思い馳せた煌めき
「う〜ん、うう〜む…」
サザは今、人々の入り乱れる城下を思慮しながら歩いていた。
「どうしようかなぁ」
ある時は公国の所蔵館、ある時は食堂、時折誰かにどうしたんだい?と訊ねられる事もあったが、どうも考え込み過ぎていてサザの耳には届かなかった。
「これと言って考えてなかったぞ?」
そして今、彼は広場の噴水前に座っている。後ろに浴びる冷たい空気が涼しくて心地良い。広場を走り回る子供達が時折サザの姿を興味深そうに見てくる事があったが、子供の母親と思わしき人物に連れて行かれてゆく。勿論サザはそんな事にすら気付いてはいなかった。
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ふ…と、少しだけ、サザの耳に懐かしさを呼び起こさせる音楽が聴こえてきた。
(聞き覚えがあるなあ…………)
音楽の聴こえてきた方を見た時、それが大衆向けに展開された劇である事が分かった。食い入る様にサザは見る。
『始めに旧い世界在り…………』
黒い服装の男が仰々しく語り掛ける。語り部だろうか。彼の言葉が鑑賞者達を誘う。
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…………始めに旧い世界在り。其の世、誰もが寵児に成り得る世界。
或る世に一人の寵児が生まれた。
然し彼の寵児は彼女の嫉妬に殺される。彼女の嫉妬が遙か未来の神を空白にした。
彼女は己を愛し過ぎて世界を潰す。歪められた世界は彼女の言葉のみを至として辱める。
広げられた傷に世界は病んだ。彼女は高く、高く嗤った。
復讐の精霊は駆ける。依代に取り憑き神を殺したヒトの娘を裁く為。
―――その女はシルフェーン。彼女は寵児に嫉妬して彼を殺した。
ソフィーティア、アンクァー、リナトラ、ペルゲーラと云う名の同胞を率いて、また彼女に忠義するクロエを懐に、彼女の配下を並べ立て、世界は掌握された。
或る夜明けのソフィーティアが言う。『ねえお姉様、お姉様が寵児を殺したのだから神は空白なのでしょう?なら私の娘のソフィアを神にして欲しいの。この娘を神に世界を美しくしましょう!』
愛するソフィーティアの言葉を拝する彼女は、無論受け入れた。シルフェーンはソフィーティアと共に彼女の娘ソフィアを新たな神にしようとする。
更に彼女は殺した寵児の肉体を持ち去り、寵児を複製していった。
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『…然しそれを良しとしない者が居たのです。それが復讐の精霊サナトでした』
サナト。復讐の精霊。
"寵児"がやがて神になる時にその片腕となる者。ただ孤独な彼に寄り添えた存在、寵児を喪い復讐に走る。
『彼は信じ合える者を見出し、彼はシルフェーン達を裁いてゆく。やがてシルフェーンだけが残された』
語り部は尚も仰々しく語り、小さな舞台を盛り立てる。
『然しシルフェーンも倒れはしない。――嫉妬に走った彼女は全てを持っていた。それでも己の命だけは変えられなかった』
『彼女は縋りもしたのだ。寵児を殺し寵児を無数に作り出す事に、ソフィーティアの娘ソフィアを神に据える事に、己の命の証を、そして確なる上は己の命の限りを乗り越えようとしていた』
舞台の真ん中で語り部は大きく腕を広げ、やがて項垂れて崩折れる。
『…しかしそれは傲慢だった。シルフェーンはあまりにも人間らし過ぎたのだから。行き過ぎた彼女の行為は複数の誰かの恨みを買う事に繋がって、そして彼女は人ゆえに惨たらしい死を迎えた』
それに合わせてか、舞台に横たわるシルフェーン役と思わしき女性が、力無く右手を伸ばし『ディン……私の愛する義妹、愛する情人、私の女神、愛らしい星のソフィアの、美しい母…親』と呟いて、やがて力尽きたであろう演技をする。
――ディン。それはこの物語に出て来るソフィーティアの名前だ。ディン・チャオ・ソフィーティア。
二人が同性ながらそういう仲であったかは分かっていない。だがシルフェーンは彼女の事を深く愛していたから「ディン」と呼んでいたとされている。
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『…しかし寵児は蘇りはせず、その魂は歪められた。世界は修正の機構を喪った。永遠に』
語り部は物語の最後の部分、終わりの言葉を語り始める。
『それでも残された者は生きてゆく。今を、未来を、自らの命の終わる時まで。それが空白の神の世界の物語、継続されてゆく人の物語であった』
『始めに旧い世界在り…………』
語り部の男は最初と同じ言葉を大切なものの様に取り出す。
―――始めに旧い世界在り。其の世、誰もが寵児に成り得る世界。
かつて世に一人の寵児が生まれた。
寵児は女の嫉妬に殺され、彼女の嫉妬は遙か未来の神を空白にした。
綿菓子の様な甘さしか認めなかった彼女は世界を潰した。その為に数多の恨みを買い彼女達は命を落とす。
広げられた傷は世界に残されたまま、空白の神の座だけが全てを語った。
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――――演技の上手さか、或いは語り部の力か、暗い物語である筈にも関わらす拍手喝采だった。
『皆様クラストラム一座の伝承劇を鑑賞しに来て下さり誠に有り難うございました!!もう一度拍手をお願い致します!!!』
語り部だった男がそう言うと、もう一度拍手喝采が巻き起こった。
「伝承劇、かあ……………………」サザは気が付けば劇を最初から最後まで見てしまっていた。
その事にはっと気が付いて改めて自分の目的を思い出すと、身動きを止めてサザは何かを考え込み始めた。
(…………伝承…か……………………)
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―――サザは何かを思い立ったらしく、先程立ち寄った所蔵館にもう一度立ち寄っていた。彼が読んでいるのは伝承ばかりだ。
(えーと…えーっと………)
伝承録を中心に寄せ集めた棚のどこかに必ずあるだろうと思って、あるものを探す。
(………!!あった…)
―――見つけた。サザが所蔵館に来て探し求めていたものが、――世界の秘密を記す黒書が。
「ちょっと…高いな………」
サザが少し高い位置にある分厚い黒書に手を伸ばし取ろうとした時、白い手と重なった。
「わっ!!」
サザが驚いて大声を出すと、いつの間にか隣に立っていた白い手の主―――長耳の青年が顰めっ面でサザの事を見ていた。
「……………………」
「ごっ、ごめん!!悪かったよ!!」
慌てて謝ったサザへ向ける表情は殆ど変えずに、
「所蔵館ではお静かに……」
とだけ言って本を取り出し、そして離れようとしていた。
「あ、あんた待ってくれ!!」
サザが慌てて彼を止めようと声を掛ける。勿論小声だ。大声を出せば今度こそ所蔵館を追い出されてしまうだろう。
「……。何か…」
長い耳をぴくりとサザの方へ動かしながら、長耳の青年は半ば嫌々そうにサザの方へ振り向いた。
「あ、あんたが取ったその本って黒書だよな!?俺も読みたいんだ!!一緒に見ちゃ駄目かな!!?」
身振り手振りで自分の意思を相手に伝えてみた。
…一応駄目元のつもりである。何せ相手はあの長耳種、断られるのが目に見えている。
(大胆な奴だな)長耳の青年はほんの一瞬だけ驚いた。だが彼の驚愕が表情に現れる事は無かった。
「……別に構わないが…」
「およ!?」予想外の答えが帰ってきた事に当然ながら大声を出してびっくりする。
「…………」ぎろり、とサザを睨み付けて来た。お静かに、と訴えているのだろう。
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―――――いやー悪いね、とサザは薄暗い一室で長耳の青年の隣に座って一緒に本を読み始めた。
「…………」青年はサザを一瞬だけチラリと見た後、サザが目で文字を追う速度に合わせてくれているらしいのか、紙を捲る速度がゆったりとしていた。
黄昏から宵へ向かいつつある為なのか、部屋全体は薄暗く頼りになるのはほんの小さなカンテラの灯りだけである。
一方でサザは黒書の内容を読む事に必死になっていた。
隣で紙を捲る長耳の青年がその姿を「今時の若者にしては熱心だ」と思っていた事に気付く訳も無く。
―――――サザの瞳の奥には、カンテラの灯りよりもまばゆいきらめきがあった。
本を読み進める度に、彼の奥のきらめきは強くなってゆく。古い機械に残された誰かの言葉をずっと昔の過去からの言伝なんだと聞いて、胸躍らせた子供の頃のあの感覚が蘇ってゆくばかり。
―――そんな青年の姿を長耳の青年は横目に見ていた。
(もしかして、自分自身がそういう表情をしている事に微塵も気付いちゃいなかったりするのだろうか)
子供の様に夢に輝くその姿を見て思いを馳せる。
黒書の紙に綴られた古の呪文の様な言葉の数々にヒトの青年は目を輝かせるばかりである事に、紙を捲るの指をほんの一瞬だけ止めそうになったが、それでは自分がこの青年へ興味を持っている事を悟られやしないかと考えだけが迸り、彼は隣に座る青年の事をこれ以上気にするのを止めた。
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「充分なのか」長耳の青年が問う。
「ああ!もう、満足したよ、ありがとう!!」
サザは快活な声音で答えて、長耳の青年と別れた。
「…あ!!」サザはその場で立ち止まって、後ろを素早く振り向く。
「?」長耳の青年はサザの急な行動に疑問を浮かべながらも、その場に留まってくれていた。
その姿をサザは少し嬉しそうに見て、大きな声を出す。
「本当はゆっくり読みたかったよな、さっきは無理な事言っちゃってごめん!ありがとう!!もしもまたどこかで会えたらよろしく!!!」
彼は去り際に長耳の青年へそう告げた。そして踵を返して宿へ向かってゆく。
彼の後ろ姿を、その表情を、長耳の青年は忘れないだろう。
夜の中でも失われない、彼の瞳の中の煌めきを覚えたのだから。
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「いやあ親切な人だったなあ…」サザはああ助かったなと言いそうな程嬉しそうにしていた。
お陰で簡単には読めない黒書の中身を読む事が出来ただけで無い。黒書に記されているとされる世界の成り立ちや秘密の一片に触れられたのだ。
正直な所サザが黒書を手に取れたのも聖女レメトの名を出した為であり、実際はあの一冊、それも一度しか読めない程の代物だったのである。
…と言うかサザの様な立場の者が世界の秘密を記す黒書を手にする事自体無理な話だ。
黒書は神の黒を装丁に取り入れている為目立つ。更に無闇に特別扱いすれば盗賊等の類に狙われやすい。だからあの様に一般書物の中に混ぜて置いている。
ただし所蔵館では伝承録を纏めている書架は入り組んだ回廊の奥にあるからこそああいう対策が取れるのであって、それ以外の場合ダミー用の被せる装丁を用意して偽物を幾つか並べたりするのが普通である。
…という訳で一般の伝承録の棚の中に混ぜて置く事でその目を欺いているもののそれだけでは無い。
実際に承認されていない者が取ろうとすれば防衛焼却なるものが発動し司書から承認を得られていない者の全身を消し炭にする構築式が張られているそうだ。大変恐ろしい。
所蔵館にあの一冊しか存在していない事を知って、閉館になる前にどうしても見つけ出して読みたかったのだ。
やっと見つけたと思ったら長耳の青年が黒書を手に取ってしまったものだから、つい焦ってあんな事を言ってしまった訳である。
(にしてもあの長耳の人…読める奴の限られている黒書を何食わぬ顔で取っても構築式が発動してなかったし、もしかして凄い身分の人だったりするのかなぁ)
…そんな事をぼんやり思いながら、一方で彼は小さい頃思いを馳せた古の時代の事を考える。
―――そうだ、昔、いつのものか分からない誰かの声が聞こえたあの金属の塊を見つけた時みたいに、自分が夢見た遠い昔の跡を辿りたくなったんだ。
その為に自分は旅に出ると決めて、そして今やっと叶ったんだ。
「…だったら、ずっとここに留まる訳にはいかないよな!!」
そしてサザは満天の星の輝く、夜の空へ拳を掲げた。
――相変わらず落ちた白い月が、大きなその姿を静かな海辺に映し出している。