宵上のエラキス
「───はーっ!食った食った!!」
久し振りにまともな飯を食べられた~と喜んだ。
あの長耳の青年に傷を癒やしてもらった後、教えてもらった通りの道を進んで何とか宿を得て事無きを得た。
朝食すら取っていなかった為もあるからか、併設されている食堂の料理を一口運んだ時、思わず涙が出た。
食堂を営む婦人がぎょっと驚いたが、サザが次から次へと食事を口に運んでゆく様子を見て沢山お食べ、と出来たての料理を用意してくれた。
彼の食いっぷりに触発されてか、母親と共に来た少年や女子達も美味しそうに料理を頬張る。
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「おばちゃん!!美味しかった!ありがとう!!!」
サザはごちそうさま!と両手をパンッと叩いて婦人へお礼を述べる。そうだお勘定!と路銀を出して婦人に渡して食堂から出ようとした。
「あんたちょっとお待ちよ」
サザが食堂を出ようとすると、婦人がサザを引き止める。
「あんたここは初めてなんだろう?予定があるなら余計なお世話かもしれないけど──せっかくなんだからアトリビュアを散策してみたらいいわよ」
アトリビュア。───この港町の名前だ。
「あまり大きくはないけどここだから見られる光景もいっぱいあるしね!!」
婦人の言う通り、サザは港町アトリビュアに辿り着いて間も無い。──確かに。とサザは予定を少しだけ変える事にした。
「ああ、じゃあ俺ここ散策してみる事にするよ!」
船便の予約ならまだ間に合う────
散策の途中に立ち寄れば良いか、とサザは街の中を散策する事に決めた。
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───アトリビュアは港町なだけあって、船が多く停泊している。
食堂の婦人はあまり大きくはない、と言っていたが、ヌウム・テラの船便や航海・漁業関係の全てが集約されているこの街は確かにそれなりの規模があると思う。
カモメ達の鳴き声、海の香り、船乗りの威勢の良い掛け声が港を賑わす。
釣り人の足元で戯れる猫達は彼等の成果である魚を求めて集まり、母親を伴って子供が父親を見送っている。
他の大陸からの来訪者達が客船のスロープから降り、貴人から旅人まで多くの人間や亜人達がアトリビュアへ足を踏み入れる。
「おお…!」とサザは別の大陸からの来訪者達の姿と大きな船便、そしてこれからの事を思い描いて感嘆の息を漏らす。
───その中に、一人だけ鮮やかな薔薇の赤色の如き髪をなびかせた女性が港町の石畳を踏んだ。
コツ、とヒールの高い靴が鳴らす音に混ざり洒落たトランクケースがガラリと車輪を無骨に鳴らす。
──誰もが彼女へ視線を向けた。通り過ぎる際に不愉快にならない程度の華やかな薫りを名残の様に漂わせて。
まるで細やかな憂いを帯びた明夜の様なターコイズブルーの瞳を猫の様に細めながら、ただ一つの欠点すら感じさせぬ美貌を持つ淑女が昼下がりの空の下にある港町アトリビュアを訪れる。
女性ですら驚きと恍惚を覚えかける彼女の美しさは、港町の中で一層際立った。
───見惚れる者達の中にもちろんサザもいた。
(ああいうのが美女って言うんだろうなあ…)
ぼーっと、初めて見る美女に現を抜かし掛けていると、気付くのが遅かったのか、件の美女が自分の方に近付いてきている。
(わっ…!)ぶつかったら、と焦ったサザが我に帰る。
するとコツ、と靴音が一瞬止まった。
「──。」
サザの前で一瞬歩を止めた美女は、何かしらの気配を感じて、サザの顔を見た。思わず美女と青年の視線が合う。
引き込まれそうな暖かな海の青色が青年を射止める。すきの無い美貌が旅のせいで薄汚れた青年に軽い恐れを抱かせる。
「………素敵な明け方ですのね」
目の前の美女はそう一言だけ呟いた。
「…え?」
ぱちくり。青年の夜の明けみたいな瞳が一度まばたきをして、きょとんと表情を変えた。
────どうやら美女は青年の瞳を見てそう答えたらしい。ぱちくりとする青年の姿へ小さく笑みをこぼしてから、美女は踵を返して朗らかに告げた。
「素敵ね、あなた。また会えたらどこかでお話ししましょう」
フォーウ!と一斉に男性達がサザを囃してからかう中、呆然としたサザはただ街中へ溶け込んでゆく美女の後ろ姿を見守るだけだった。
───まだまともに思考は追い付いていないが、薔薇の様だと思っていた女性の赤い髪は近くで見ると薔薇というよりは宵の空に輝くエラキスの星の方が近いな、とサザはぼんやり思った。