老婆の暦
「はあ…はあ…………やっと、やっっっっと着いた……!!!!」
思わぬ所で体力を多く使ったせいで、サザの足取りは少し不安な状態になっていた。
だが、無事に老婆の家らしき場所に辿り着けたらしい。
「おお。アンタ、若造の癖に胆力があるじゃないか。ここまで来られちゃああたしもこれ以上は言えないねぇ。ま、入りな。疲れてんだろ」
諦めて引き返すだろうと思っていたのか、サザが辿り着くとは思っていなかった様で流石の老婆も驚きで目を開きながら青年を家の中へ受け入れる事にしたらしい。
********
―――崖下にこじんまりと建つ老婆の家は、思ったよりも質素で、そして小綺麗だった。
「…。あんた、もしかしてあたしの家が蜘蛛の巣だらけの小汚い家だと思っていたのかい」
老婆の目はサザの考えを読んだらしい。
「へっ!?え、あ、あの、…ごめん」
「…まあ気にしないさ。―――じゃあ、改めて自己紹介するよ。あたしはエイヌスって言うんだ、若造、アンタの名前は?」
「あ、俺はサザ。ラディウスを目指して旅してるんだ」
老婆―――改めエイヌスはカップに紅茶を注ぎながら口を開いた。
「へえ、ラディウスねぇ。あんな遠い所までかい」
「ああ、そうなんだ。ラディウスは歴史も伝説も沢山ある国だろ?だから俺もそこで先人達の――――」
「ああはいはい結構だよそういうのは。若造、いや、サザだったね。アンタがここに来たのは―――街の人間共みたいに説得しに来た訳でも、怖いもの見たさであたしを見る為に来た訳でも無いんだろ?」
エイヌスは単刀直入にサザへ目的を訊ねる。
「アンタは"ベルディアン"を知りたくてあたしを訪ねに来た、んだろ?」
********
――異種族の歴史を知る生き字引きを訪ねて、少しの時が経った。エイヌスの住む崖下の小さな家の中で、軽くうなるエイヌスと、少し考えるサザが窓の近くの席に座っていた。
「う〜ん」
「……………………。」
サザは口に手を当てしばし考えた後、その口を開いてこう話した。
「ばあちゃん、全部話そうとするの、大変だろ。だからばあちゃんが知ってる事1つでいいから話してくれない?」
「ん…………、それだけでいいのかい」
「うん。何か、こうさ…当時ばあちゃんが出会ったベルディアンが何か言ってたか、とかどういう事したのかってだけでいいんだ」
サザは身振り手振りを加えながら、エイヌスに話せる範囲で良いから聞きたい、と意思表示をした。
「そうだねえ…」エイヌスは鼻をすんと鳴らした後、かつて己が見た光景を振り返りながら、ゆっくりと口を開いた。
「―――――…そう。トンチキベルディアンはある日突然やって来たのさ。訳の分からない言葉を吐きながらね」
エイヌスは生きた本の様に、青年であるサザに語る。
「そいつらは、まるで狂信めいた、異様な雰囲気を携えながら………まるで自分達の神によってそうしろとでも、さも当然であると。そう言いたげに来たんだよ…人を殺す為の武器を持ってきてね」
エイヌスは一つ語る。そして深く息を吸い込み、すうっと吐く様に彼等の言葉を詠唱した。
「…『Ahla! Aura! Daia! ezukesu! C-4 Grenae Deaa! Sophia Indifrime! Sexsa! Pechesie Hist Mal Wa Sophia!』とね」
エイヌスは瞼を少しだけ重く、しかし光の損なわれない深緑色の瞳で目の前の青年を捉える。
「よ…よく分からないけど……どういう意味なんだ?」
「どういう意図か、正確な意味は………あたしにも分からないよ。ただね…"尊い祈りの言葉だ"って言っていたよ。あたし達に捕まったベルディアンの奴がね。…まあそいつは、其の言葉を吐きながら、死んだんだ。あたし達が殺したのさ」
「まあ奴がそう言ったんだ、あたしが覚えてる限りじゃあ……」
ううむ、とエイヌスは記憶に探りの手を入れる様に思い出そうとした。
「…奴等の神は複数いて、うちエズケスっていう男の神はシルフェーンとかいう女神達より上にいて、ベルディアンの神…シルフェーン、そしてソフィミアンの神にして聖なる存在である…ソフィーティアの娘ソフィアへの言葉だとか………」
先程に続きエイヌスは内容を思い出そうとする。すぅ、と軽く啜られた紅茶の香りが辺りに漂う。
「ソフィアの所は…ヤツは確か………『聖嬢ソフィアは愛によって罪の子供を孕み、純潔なまま聖なる母、運命の女となり、そしてより偉大なる存在の永遠に若き妃となるべく、海往く旧い妃を追放してその座につくのだ』…とか言ってたねえ…………」
ほぼ全ての記憶を思い出し話した後、「本当かは分からないしあたしゃあんなトンチキの言葉なんかろくに信じやしないけどねえ」と吐き捨てた。
「…ま、結局の所訳の分からない言葉だ、としか言えないね。あたしにゃまじないにすらならない、幼稚な言葉だと思ったよ」
呆れた様に老婆は溜息を吐き、そして結局の所狂信的な言葉を吐きながら死んで、いや、殺されていった者達の事を愚かだと捨て去った。
「――この世界にゃナイエス様がいるだろう、神様なんてもんはそれだけで充分だとあたしは思うね」
「?なんで??」
エイヌスは唐突にそんな事を言い出した。
「神様がいっぱいいて、それでぶつかり合う位ならさ…と思ったのさ」
―――…成程?取り敢えずサザはエイヌスの言いたい事が何となく分かった気がした。
…かつて『もし神が複数存在すれば信仰の違いで沢山の血が流れてしまいかねない』……寄宿学校で教導師の誰かが少年だったサザに話していた、その言葉を薄っすらと思い出せたからだった。
********
「…おっと、若ぞ……サザ、アンタここにいて良いのかい?アンタはラディウスを目指しているんだろう?早く港町の方へ向かった方が」
珍しく静かな嵐の谷の夕焼け空を見つめながら、エイヌスがサザに道筋を促そうとした矢先、
―――――ドォォォォ…………ォォン!!!!!!!!
「!?」
少し遠い所から大きな音が響き、サザとエイヌスはぎょっとして窓から外を見る。
「なんだいこの音は…………!」
言葉を言い切ると同時に、ハッと何かに気付いたらしいエイヌスが素早く銃を手にし、勢い良く戸の外へ飛び出した。
「ばあちゃん!!?」
サザもエイヌスに少し遅れつつ彼女の後を追って出る。
「まさか…………!!!!」
駆け出して何処かへ向かう中、エイヌスは嫌な予感を覚えていた。
サザは何も知らないまま、エイヌスと共に大きな音の聞こえた方角へ向かって行った。