嵐の揺籃
―――――ノマディアを離れたサザが目指す次の目的地は一つ。
バラムの近くにある"嵐の谷"と呼ばれる場所。
切っ掛けは―――ノマディアで見た金髪碧眼の「ベルディアン」と呼ばれる種族の少年が虐げられている姿を目撃した時にオリュザが話してくれたベルディアン達「女神の末裔」の存在と、ノマドを含め他の種族にも伝えられている不吉な伝承。
本で読んだ所では知れない彼等の素性は、サザですら知りたがる程謎が多かった。
だから、サザは一度、「ラディウスを目指す」という目的から離れて、道草を食うつもりで彼等「女神の末裔」について知識を得てみよう、と思ったのだ。
「――…嵐の谷、かあ」
――オリュザの父アプトレムから聞いた話では、そこに住む「エイヌス」という名前の老婆がベルディアン達について知っているらしい。
(確か嵐の谷って、ナイエスに仕える精霊の加護も届かなくて、そのせいで荒れ果てちゃってしょっちゅう嵐が発生する場所だって学長先生が教えてくれたっけな…)
―――だから、嵐の谷。
「大丈夫かなぁ………っても、実際この目で見ない事には―――」
岩間の向こうに、嵐の谷。
眼前に広がる光景は、正しく『嵐の谷』と呼ぶべき激しさを秘めていた。
「うわ…………!」
切り立った崖が続き、谷底は深く、空は淀んでいる。
轟々と荒れ狂った風が吹き、谷を成す岩山の一部は削られてなのか、まるで固まった竜巻の如き渦を作り出していた。芸術品の様に。
(想像よりはまだマシだったけど…………でも雨が降ってくるかもしれないよな、急ごう)
サザは例の老婆を探しに、切り立つ崖を何とか越えようと慎重に進む。一歩でも足を踏み外してしまったら、奈落の底だ。
「気を付けて進まなきゃな…」
恐る恐る、崩れそうな部分は踏まない様に気を付けて――――
********
(…………ん?)
岩陰の向こう側から、誰かがいがみ合っている声が聞こえてくる。
「〜じゃないよ!!とっとと出てお行き!!!!」
「っても〜……達は…〜で、………たが………!!!」
しゃがれた老婆の様な声と、男性の低い声。―――言い争っている様子。
(―――喧嘩か?こんな危なっかしい所で………?)
そおっと岩陰から顔を覗かせた時、サザの目に飛び込んできたのは三人程の男性と一人の老婆がいがみ合う姿。
「はんっ!!バラムだかバランだか何だかどうでもいいんだよあたしは!!!!あたしが好きで暮らしてるだけさ!!」
「だけども婆ちゃんよう…町長だって気にしてんだぜ?アンタ一応あの街の住人なんだしさあ………」
「いい加減におし!!!!」
老婆がカッと叫ぶと、周囲がビリビリと震えた。
(うへぇ…何なんだあのばーちゃん………迫力あるなあ…)
引いた様子で彼等の姿を見ていると、老婆の方が遂に杖を振り回して男達を追い払ってしまった。
********
「フンッ」
老婆は一通り目的を済ませたのかどこかへ立ち去ろうとする。嵐の谷の足場の悪さもものともせずに杖を突きながら歩いていた。
「ばっ…ばーちゃん!!」
一連の様子を見ていたサザが、街からやって来た男達を追い払った老婆を引き留める。
「…。何だい、お前は」
ぎろりと老婆の突き刺さる視線がサザに向けられた。
「あ!?あ〜…、えっと、」
サザはどう話題を振るべきか考え悩んでいると、フンッと老婆は鼻を鳴らしてツカツカと杖を突きながら先に進んでしまった。
「まっ…待ってくれ!!俺はあの街?の連中じゃない!!」
彼は慌てて関係は無いと弁明するが、老婆の目にはどうも同じ様な扱いに映るらしい。
「フンッ、知ったこっちゃ無いね」
「あんたエイヌスさんだろ!!?俺、あんたを訪ねてここに来たんだ!!!!」
だから町人とは関係が無い、と必死に伝えるも、老婆の足取りは止まらない。
「ば〜ちゃ〜ん…!!」
思いの外健脚な老婆を追って、嵐の谷を少し駆け足で進む一人の青年がいた事は想像に固くないだろう。