旅鳥と獅子
「ええ〜っ!!!!??」
昼下がりからいきなりオリュザの叫びが響き渡った。
「えーって言われてもなあ」
「お、お兄さん…もうここを出てしまうの!!?」
……ノマドの言葉は相変わらず分からないが、何と無くもう行ってしまうのか、的なニュアンスは感じ取れた。
「行かないで!!お兄さん!!!!」
オリュザが必死にサザを引き留める。
「でも…」
引き留められて、サザは酷く戸惑った。
「ずっとここにいて!!!!」
オリュザがサザに後ろから抱き着いたまま離れようとしない。それが更にサザを困らせた。
「オリュザ」
すると、オリュザの父親のアプトレムがオリュザに向かって声を掛け、彼女を宥める様に語り、腕を離しなさいと促した。
「オリュザ、その方は旅人さんだよ。理由のある人なんだ、邪魔はするんじゃない。困らせちゃいかん…」
「お父さん…………」
…だが、それでもオリュザはサザによりぎゅーっとしがみついて、
「嫌だ!!私、この人が好き!!!!」
ぎゅうっと瞑った目に、薄っすらと涙を滲ませながら少女は離れる事を酷く嫌がった。
「お兄さん!!私はお兄さんが好き!!だからここに残って!!!!私と一緒に暮らして欲しいの!!!!!!!!」
少女の必死の懇願だった。
懇願…というよりは、告白かもしれないが…………
「オリュザ!!!!」
父親が懸命に宥め、改めさせようとするもののオリュザの意思は思いの外強く、このままではサザもノマドの民に……とならざるを得なかった。そんな折。
パシーンッ!!!
何とも小気味良い乾いた音が昼下がりのノマディアに響き渡った。
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「オリュザ!!」
今度は母親のレタムの怒鳴り声が響く。
「いい加減にしなさい!!好きな人を困らせる子にお父さんの後なんか継がせられないわ!!!!」
お父さんの後を継ぐのなんか無理よ!!とぴしゃりと言い放った。
母親からの一言で、オリュザは遂に泣いてその場にぺたりと座り込んでしまった。
「酷いわ…お父さんの後を継ぐって決めたのに…!」
「えっ、えっ…あ、あの、オリュザはどうして泣いてるんですか…」
「ああ……それは…………」
戸惑いながら訊ねてきたサザに、父親であるアプトレムが困った様な表情を浮かべながら話してくれた。
「あの子は私の後を継ぐ事が夢なんだ。だから人を困らせる様な子に、私の後を継がせるのは無理だ…と………」
敢えて、娘がサザを想っているであろう事については伏せて説明する。
申し訳無さそうに答えたアプトレムの言葉を聞いて、サザはああ、なるほど。と納得した。
あの場所で出会ったのも、ノマドゴートの群れを率いて放牧していたからだろう。ノマド族は、男性が優位の種族とは言え一家の長の役目を女性が引き継ぐ事が許されている、比較的緩やかな文化を有しているとされる。
きっと長子であるオリュザにとって、尊敬すべき父親の後を継げない事の方が大きいのだろう。
「お兄さん…」
すん、と鼻を鳴らして泣く少女にいたたまれない気持ちこそあったが、そういうものなんだ仕方が無いさ、と割り切りざるを得なかった。
「…俺にはオリュザの事情とか、色々分からないけど、お父さんの後を継ぎたくて、頑張ってるんだろ?だったらその為に頑張るべきだと思う。俺には俺の事情があって、理由があるから、オリュザの気持ちには応えられない。ごめんな」
言葉の意味こそ分からなかったものの―――
ただ、彼女が何かを必死に伝えながら自分をノマディアに留めさせようとしている事はこれも何と無くではあるが分かった。
でも、だからこそその気持ちには応えられない。
「俺、ラディウスに向かうんだ。だからノマディアに留まる事が出来ないんだ。本当にごめん」
「ラディウス…」
皇国の名をオリュザが知らない筈も無い。
「そっか…お兄さん…ラディウス…目指すんだね…………」
落ち込むオリュザへ、サザはそっと彼女の頭を撫でて、
「ああ…ごめんな、本当に、ごめん…………」
―――そう、謝る事しか出来なかった。
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「――あの、アプトレムさん」
ノマディアでの間の事で、サザは気になったある事についてオリュザの父親に訊ねる。
「…所で、「ベルディアン」や「女神の末裔」についてご存知だったりします?」
「―――女神の末裔、か」
アプトレムはしばし黙り込み、
「………いや、多分…君が聞き知っている範囲しか私も知らないだろう。だが……………………」
アプトレムは何かを知っているかの様な様子を見せる。
「だが…?」
「…………だが、私達とは別の原生の民の生き残りである、あの方なら……」
…………アプトレムはモゴモゴと口ごもった様子で、話をするべきか悩んでいる様だった。
「〜あー!もう!!何か知ってるんなら話して下さいよ!!!!!!!!」
「分かった!分かった!!!!」
サザの気迫に根負けしたのか、アプトレムは何とも言えない表情を浮かべつつ話し始めた。
「………これから君が目指すラディウスだが…その経路はもう知ってるだろう?……この大陸ならば…バラムという街を通るはずだ。その近くにある「嵐の谷」の近くに「エイヌス」という婆さんが住んでいてな――――」
要約すると、嵐の谷の近くに住むエイヌスという老婆がベルディアン達女神の末裔について何か知っているらしい。
「―――……が…」
アプトレムの次の言葉は、こうだった。
「…だが、その婆さんは大層頑固な婆さんで…ちょっと特殊な方だから…………面倒事にならなければ良いんだが…」
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―――言葉を濁していた正体は、どうやらその事だった。
「うーん」
アプトレムの言葉を理解してか知らずか、サザは軽く考える。
「…………うん、大丈夫!俺、気難しい人とか慣れてるから!!」
「い、いや、そういう意味では無く…………」
屈託の無い笑顔にしてやられてかアプトレムは出かかった言葉を飲み込んだ。
「……………………」
はぁ、と呆れ混じりの溜息がアプトレムの口から漏れ出た事を、サザは気付いていないのだった。
「お兄さん…」
「大丈夫大丈夫、旅が終わったらここにまた来るからさ」
ぎゅっ…とサザにもう一度しがみついたオリュザが、寂しそうにお兄さん、と呼んだ。
「な、だからオリュザも頑張ってくれよ、何か俺、こんな事言って無責任だけどもさ」
申し訳無さそうにしながら、サザはもう一度オリュザの頭を撫でた。牧歌的な風と温かい太陽の光に当たっているからなのか、ふわりとした感触がサザの手に伝わった。
「うン……約束、…ありがとう!!」
オリュザは拙い言葉でにこりと笑みを返した。
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「―――よし!!じゃあ、いつかまた!!!」
サザは見送りに来てくれたノマディアの人々の方を振り返って、ノマディアにもう一度遊びに向かうよ!と返した後、踵を返して一歩一歩を踏み出して行った。
「またネー!!お兄さんー!!!!」
一番に手を振るオリュザの声が届かなくなる時まで、サザは時折振り返っては手を振り返した。
ノマディアでの休息を経て、若い獅子はまた旅に出る。
まだ、彼の旅は始まって間も無い。
旅立つ彼に、旅鳥達が後を追ってゆく。




