青い瞳
―――あの奇妙な夜風の中の出来事から朝が来た。サザは僅かな寝不足を欠伸という形で訴えながらもおぼろげな視界を鮮明にするべく目を軽くこすった。
「……ふああ…………」
ゆっくり身体を上げて、一夜寝泊まりしたオリュザの家から外へ出る。まだ昨夜の出来事が脳裏に薄っすらと残っていたが、モヤついた気分を変えたくて緋色の瞳を閉じるのを止めた。
近くの水場で顔を洗い、鮮明になった意識の中で改めてノマディアの各所を見る。
何処も彼処も少し黄ばんだ白布と組木で出来たパヤが建ち、赤土色の模様が映える。一筋の線と規律良く並べられた三角の模様が特徴的なそれは、果たして何の意味があるだろう。
「あ!お兄さん!!おはよう!!」
「おっ、おはようオリュザ」
サザの背後からオリュザが元気良く駆け寄り、サザの背中をトンと軽く叩いた。
「えへへっ」
オリュザは嬉しそうにはにかみ、サザに対して微笑んだ。
「お兄さん!!あなたにも、他の場所を案内したいの!!」
オリュザがサザの腕に手を回して、笑顔で彼を引っ張ってゆく。さながらデートの様に、微笑ましい光景が映る。
「はは。待ってくれよオリュザ…ゆっくりで良いから」
「沢山見て欲しいんだもの!」
きゃははっ、と小さく笑ったオリュザがサザの腕を離れ、その両手を広げて彼の目の前でくるくると回った。
花の様な少女の振る舞いに、サザは少し困惑しながら彼女の気持ちに応えてあげよう、と頬を掻きながら後を追う。
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「…?」
サザがオリュザの後を追いながらノマディアを歩いていると、視界の端に一瞬大人達の囲いが見えたのにふと気付いて、一度だけ映ったその光景へ視線を向けた。
「………!!……………………。」
「……………………!」
「…………………………………………、…………。………、……、……………………!!!!」
ぼんやり、その光景を眺めていると大人達の間から青い瞳の少年がちらりと見えた。
(青い目?)
ノマド族の衣装と同じ服装を身に纏いながら、ノマドの人達とは全く異なる金髪碧眼の容姿。突き刺す程の冷たさを秘めた色合いが、暖かな色を持ったノマドの人間の特徴とは違う事を表していた。
何より、際立つその異質さ――――
「お兄さん?」
「あ…ああ、ごめん、つい…気になっちゃって…………」
後を追って来ないサザを気にしたのか、オリュザがサザの所まで戻ってきた。申し訳無さそうに返したサザの、その視線の先が気になって彼女もあの光景を見る。
「…………。ベルディアン」
虐げられている青い瞳の少年を見て、オリュザが呟いた。
――ベルディアン。あの青い瞳の少年の事を指しているのだろうか。
「ベルディアン?」
「……うん。」オリュザが少し複雑そうな表情を浮かべながら、ぎこちない口調で話す。
「エ…ト、ベルディアン、青い目のひと。ノマド族、青い目…悪い伝説、あるの」
オリュザは目の前の"差別"に、少しだけ寂しそうな顔を浮かべた。
「ベルディアン人の別のナマエ、確か…ジャンナラ族。他にも、青い目のひと、いるよ。銀のカミなら、パンドルアン、黒いカミなら、ソフィミアン……」
みんな、恐ろしい女神の末裔ダッて伝えられてるかラ…と、オリュザは僅かな恐れを込めて語った。
「青い目の人間…………」
オリュザの話を聞いて、サザはかつて読んだ文献の一部を思い出した。
―――"青い瞳の民。文明の隙間に割り入って出現した。彼等はそれぞれ「金青のベルディアン」「銀青のパンドルアン」「黒青のソフィミアン」と伝えられる。――彼等はその容姿故に世界を滅ぼし続けた恐るべき女神の末裔と見なされ、原生の民と争った"
(ノマド族って確か原住民だったっけ…………女神の民と折り合い良くないんだな…)
「アトね、青い目のひと、不吉な伝承があるノ」
オリュザが恐れながら話す"不吉な伝承"に、サザは固唾を呑んだ。
「エートね。……"青い瞳、女神の民。彼等は再び女神を呼び込み、ナイエスの世界を常に滅ぼす"って、いうの……………………」
「女神を…………!?」サザは固唾を呑んだ後、冷や汗を一筋流した。
―――あの虐げられている少年からは、そんな様子を微塵も感じられない。青い瞳を持って生まれた、女神の民であるというだけで敵対しているはずのノマド族に虐げられている。
「でもさ…悪い奴の末裔だって伝わってるだけで、何もあんな事まで……」
服は汚れ、身体中に傷を増やしてゆく少年を見かねてサザは割って入り仲裁しようかと一歩を踏み出す。だが、
「……お兄さんの気持ち、分かるよ……………………デモね、ナイエス様を信仰すルわたし達にとって、コノ世界を滅ぼそうとスル存在と関係のあるひと達は、許されないんだ…」
だから仲良くなんて出来ないし、私達は黙って見ているしか出来ない、と彼女は悔しそうに語った。
「デモね…………一度だけ、あってはならないことが、あったの」
オリュザの口から興味深い出来事について出てくる。
「―――あってはならないこと?」
「うん。お父さんから聞いた話よ。――お父さん、まだ若かった頃。わたしと同じ位の頃、ノマドのひとと女神の民…パンドルアンのひと、結ばれた」
「えっ、それって…………」
「ホントは、駄目なこと。お互い敵対してる関係。でも、その二人は、深く愛し合った………それで生まれた、ノマドとパンドルアンの子。」
オリュザの話によると、彼女の父親がまだ若かった頃に、ノマド族と女神の民の一つであるパンドルアンの人間が結ばれ、ハーフの子供が生まれたらしい。
「デも、生まれた子、差別…された。ノマドのひとでも、女神の末裔のひとり。ノマドのひとだったお母さんと離れたところで暮らしてたけど…………」
10年程前に獣に荒らされ、更に落雷によって家を壊されてから、子供と母親のその後の行方は、分からなくなったらしい。
「差別かあ……………………」
「うン。ほとんど、パンドルアンのひとに近い容姿、だったの。銀色のカミに、青い瞳。パンドルアン、せいかくには白っぽくて赤みのあるカミだけ、ども…ね」
―――それ以前に、憎い敵の血を引いている事が彼らにとって良くなかったのだろう。
「…アノね、わたしね。例エ違う見た目やチカラがあるからっテ、差別はするべきじゃないと思ってる。…………ノマドの大人たチや、お父さんには内緒ヨ?わたしも…差別は、怖いかラ…………」
――――きっと、一度だけじゃないのだろう。オリュザがあの少年のあの姿を見たのは。
本当は手を差し伸べたくても、差別を恐れて差し伸べられない―――――
サザ自身、差別という経験は滅多に無かったが、それでも彼女の言葉には何と無く共感した。
彼の心中もまた、複雑である。
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―――古くからの因縁に、新しい者が割り入る事は難しい。
連綿と続いた事柄を、一人一人の彼等が変える事すら叶わない。
浮雲の様に生きる彼等が思う程、簡単なものでは無いのだ。
故に荊の道―――
それでも―――――
未来を見据えられる彼等が、新しい時代へ視線を向けられる様になってゆけば、古い事柄も因縁も、いつか変えられる事だろう。




