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三毛猫の仙人

作者: べんけい

     三毛猫の仙人


     一


 時は江戸時代、年号を文化といった頃、神出鬼没の三毛猫が日本に住んでおった。

 この三毛猫、ネズミ退治が得意で人間の前でネズミを捕って見せては、その腕を見込まれて鼠算式にネズミが増えて困っておる家で飼われることになるのじゃが、ネズミがいなくなると、何処の家でも捨てられてしまうのじゃった。

 要するに今と違って何処の家も貧しくて猫なぞ飼う余裕はないからじゃった。

 だからと言って用が済めば、何の未練もなく弊履の如く捨てるというのは薄情には違いなかった。

 或る日も三毛は人の前でネズミを捕って見せておると、矢張りネズミが繁殖して困っておる権兵衛という百姓に拾われて飼われることになった。

 そうして何日かして三毛がネズミをすっかり退治すると、権兵衛は三毛に言った。

「本当に助かったよ。お前は本当に役に立つ可愛い猫だ。だから、これからも飼ってやるからな。」

 この言葉通り、権兵衛は病身の親を抱え、貧困の身の上で而も三毛が薄汚い猫にも拘らず、三毛を可愛がって飼い続けたものじゃから三毛はこの人は他の人間とは違うにゃあ、この人は優しい人だにゃあと鑑定すると、或る時、権兵衛の前で驚くことに威厳を持った人間のように日本語で喋り出した。

「吾輩は猫に化けた仙人じゃ。人間にも見上げた者がおらんかと探し回っておったんじゃが、遂に探し当てることが出来た。それはお前じゃ!何たって、お前は親孝行な上に吾輩を見捨てずに可愛がり続けてくれたのじゃからな。」

 権兵衛が呆気に取られておると、三毛は言葉を継いだ。

「そこでじゃ、大変、世話になった御礼も兼ねて褒美を取らせることにした。今晩、あの柿の木の根元を掘ってみよ。今じゃないぞ、今晩じゃぞ、然すれば、お前は必ずや大金持ちになるであろう。」

 権兵衛がまだ呆気に取られておると、三毛は言った。

「おい、分かったか?」

「あ、ああ・・・」と権兵衛が呆然と半信半疑で答えると、いきなり、「さらばじゃ!」と三毛は叫ぶが早いか、権兵衛の家を飛び出して行ってしもうた。

 で、権兵衛は慌てて自分も家を飛び出して、ミケー!と叫んでみたが、三毛はもう返って来んかった。大方、また、見上げた人物を探しに行ったのじゃろう。


 その晩、満月がぽっかり夜空に浮かんだ戌の刻頃、権兵衛は半信半疑の儘、柿の木の根元に立った。

「ミケが言ったことは本当だろうか・・・」

 権兵衛はそう呟くと、兎にも角にも持っていた鍬で根元を掘ってみた。

 すると、3回掘り返した所で、カツン!と戛然と音がしたので権兵衛は、何だ!と思って鍬を放って掘り返した所の土を手で除けて行くと、何と檜で出来た千両箱の蓋が現れた。カツンと言ったのは帯包に当たったからじゃった。

 権兵衛は躍起になって千両箱を掘り起こすと、並々ならぬ期待感を膨らませて蓋を開けてみた。

 すると、中には一分金の包塊が確かに40個入っておった。

「はあ・・・ありがたいことだ、ミケや、ありがとう。」

 権兵衛は仙人に感謝するより三毛自体に感謝したのじゃった。

 

     二


 権兵衛が突然、金持ちになった噂が村中にあっという間に広まった。

 権兵衛は訳を聞かれると、富くじが当たったと言って誤魔化しておった。

 或る晩、権兵衛は自分の屋敷の座敷で古くからの仲間の村人4人と富を目当てに新たに仲間に加わった伝之助という町人とで盃を酌み交わしておると、村人4人共泥酔状態になって寝てしまったり譫言を言ったりする中で酒には慣れておる粋人の伝之助と一対一で酒を飲みがてら話すことになった。

「ねえ、権兵衛はん、わてはあんさんが富くじに当たったから金持ちになったとは思うとりまへんのやけどねえ。」

「ああ、それは鋭い、流石粋人は違いますねえ。」と権兵衛は無意識に口走ってしもうた。彼も相当、酔いが回っておったのじゃ。更に酔った勢いで話し出した。「あれは確か先月でしたか、お月さんが綺麗な十三夜でした。何か良いことがあるとでも思ったものか、ここ掘れわんわんじゃないですけど猫がそんなことを言うもんですからね、試しに掘ってみやした。土をね、土以外に何を掘れってんですかい、へへへ、するってえとぉ~千両箱が出てきやがったんでえ、へへへ、おいら、何で江戸っ子になっちゃてるんですかねえ、へへへ、いやあ、そうなっちゃう位、驚いたの、驚かねえのって、それでミケの奴にどれだけ感謝したか知れねえ・・・」

「不思議な話でおますけど、ミケって三毛猫のことでっか?」

「へえ、図星でござんす。おいらが飼ってたんでござんす。」

「飼ってたって今も飼っとりますやないか。」

「いや、あれは三毛でもミケじゃないでござんす。ミケは出ていきやした。」

「出てった?何でですのん?」

「ミケは仙人の化身でしてね、そうそう、ミケは出て行く前に人間の言葉でこう言ったんでござんす。お前は親孝行な上に吾輩を見捨てずに可愛がり続けてくれた。よって褒美を取らすとね。それが千両箱だったって訳ですぜ。」

「ほんまかいな、それは耳寄りな話でんな、で、あんさんの話を要約しますと、見捨てずに可愛がり続ければミケが千両箱の在りかを教えてくれはるとこういう訳でんな。」

「へえ、流石粋人、呑み込みが早いでござんすねえ。」

「ええ、お褒めいただいて、おおきに、で、ミケは何処で見つけなはった?」

「ミケはネズミを捕るのが得意でしてね、或る時、おいらんちに勝手に上がり込んで来やしてね、ネズミを捕まえて見せやがったんでござんす。その頃、おいらんちはネズミがいるの、いねえのってうじゃうじゃいましたからねえ、それで大助かりだと思って飼うことにしたんでさあ。」

「ほう、そうでおましたか、じゃあ、家の土蔵もネズミが繁殖することがあるさかい来てくれはるかもしれまへんなあ。」

「ああ、来ますとも来ますとも、その時はミケによろしく言っておくんなさい。」

 誰がよろしく言いまっかいな!ミケを独り占めにしてみせまっせと欲深い伝之助は思うのじゃった。


     三


 それから半年後の或る日のこと、三毛が伝之助の商家の土蔵から出て来たネズミを見事に捕まえた。それを見逃さなかった伝之助は、あっ!ミケやおまへんか!遂に来なはった!と思ってネズミを食べ終えた三毛のところへやって来て、こう言った。

「あなた様を丁重にお世話させてもらいますさかい宜しゅうお頼み申し上げます。」

 なんじゃ、こいつ、人間のくせに猫に対していやに腰が引くいにゃあ・・・と三毛は不審に思ったが、一応、世話になることにした。

 で、ネズミ退治に励む一方、吾輩は猫であるの猫張りに人間観察にも励んだ。

「伝之助は若旦那で色男で好色一代男で人使いも金遣いも荒くて湯水の如く乱費するにゃあ。吾輩の餌も態々漁港の朝市へ丁稚をやり、刺身や寿司にするような鮮魚を仕入れさせ、凝りに凝って柵取りしてお作りにしたりする上におやつに鰹節をくれたり木天蓼をくれたりとまあ歓心を買おうと吾輩に媚びるに吝かでなく気味が悪い程、親切にするにゃあ。けれども、そこに誠意なぞというものはなく長者の万灯より貧者の一灯で今迄で権兵衛の施しに勝るものはなかったにゃあ。」

 そう思った三毛は御馳走には喜んで与るものの伝之助に褒美を取らす気が毛頭なくなってしもうた。

 一方、伝之助はいつまで経っても三毛が喋って来なくて千両箱の在りかも教えてくれないもんじゃから遂に痺れを切らして三毛に問いかけた。

「あのー、わては誠心誠意尽くしてあなた様のお世話をこれまでした積もりでおりますけど何か気に食わないことでもおありでっしゃろか?」

 すると、三毛は初めて伝之助に人間の言葉を発した。

「何故、その様なことを聞くのじゃ。」

 到頭、喋りなはったと伝之助は色めき立って言った。

「あの、つまりでんな、わてはあなた様がネズミを全部退治してくれなはった後も、ずーと誠心誠意尽くして世話して来たではおまへんか、そやのに報酬をいただけないというのは、どないなってんやろかと思いまして・・・」

「どないもこないも、お前には誠意を感じんから吾輩は報酬をやる気が起きんのじゃ。」

「そないなこと言いなはるなんて殺生でっせ、わてがこれまでどれだけ金かけて手間暇かけてあなた様にお食事を奉って来たかをお考えなはってくださりまへんと全く割に合いまへんわ。」

「お前のように損得勘定して常に事に当たり、返礼を期待して親切を装う偽善者が吾輩は一番好かんのじゃ!はあ、今、こんだけ怒鳴っただけでも疲れた。もうこれくらいにして吾輩はここを出てゆく。随分と御馳走になったな、その礼だけはしておこう、かたじけない、では、さらばじゃ!」と三毛は言うや否や、須臾にして走り去ってしもうた。

 あとに残された伝之助は、途方もなく大損をした気分になり、この上ない徒労感に浸りながら、ぽつりと呟いた。

「しばいたろか、あの穀潰し。」


     四


 それから数か月が過ぎた或る日のこと、見上げた人物を見つけ出せないもんじゃから権兵衛に会いたくなった三毛は、権兵衛の屋敷へ行って四ツ目垣の隙間から中へ入ってみると、庭の何処も彼処もがらんとしておって閑散としておって森閑と静まり返り、人気が全く感じられない。そこで三毛は、縁側へ行って障子が開け放たれた座敷を覗いてみると、果たして権兵衛がおったが、ぽつんと寂しそうに座布団に座って庭を虚ろな目で眺めておった。

 これは只事ではないと思った三毛は、軒下へ行き、砌にぴょんと飛び乗って一声にゃおと鳴いてみた。

 すると、色めき立った権兵衛がドタバタと駆けて来て縁側に立ったかと思うと直ぐに丸く蹲って三毛と咫尺の間に顔を合わせた。

「あれ!ひょっとして、お前はミケじゃないのか、ハッハッハ!そうだ、そうだ、ミケだ!よく来てくれたね、会いたかったよ!」

 三毛は親しみを込めようと仙人ではなくミケとして返事をした。

「吾輩も会いたかったにゃお。」

「さあ、遠慮なく俺の足の上に乗りなよ。」

 三毛が言われた通り胡坐を掻いた権兵衛の足の上に乗ると、権兵衛は三毛の頭や背中を撫でながら言った。

「全く本当に良い時と言うか、困ってた時だからミケが来てくれて助かったよ。」

「それはどういうことだにゃあ?」

「実は伝之助とサイコロで博打をしたんだが、ぼろ負けして有り金をほとんど取られちまったんだ。」

「それで使用人も女中も出てって誰も寄り付かなくなったって訳だにゃあ。」

「それとミケと同じ三毛猫もね。」

「ああ、飼い猫まで逃げてったんだにゃあ。」

「そうなんだよ・・・」

「しかし、何で博打なんかしたんだにゃあ?権兵衛どんはそんなことするような人じゃなかったんじゃないのかにゃあ?」

「そうなんだけど、伝之助に唆されたり博徒に脅かされたりして・・・」

「ははあん、伝之助と博徒の親分が結託したんだにゃあ。」

「そうなんだ。何しろ一方的にあいつらの方が勝っちまうんだ。みんなグルなんだ。だから間違いなくイカサマをやられたんだ。」

「そうだにゃあ、不正サイコロとか使って権兵衛どんの財産を奪ったんだにゃあ。」

「そうなんだ。それで俺のなけなしの所持金も奪おうと、また勝負しようって言うんだ。」

「それは良い機会だにゃあ、是非とも受けて立つべきだにゃあ。」

「と言うと、何かいい手があるのかい?」

「勿論だにゃあ、吾輩に任せてくれれば千人力だにゃあ。細工は流々仕上げを御覧じろってなもんだにゃあ。大船に乗った積もりで待ってるだにゃあ!」

 そう言ったかと思うと、三毛は庭へ飛び出して行った。


     五


 三毛は友達の狸がいる森へ行ったのじゃ。

「キンタ君!いるかにゃあ!」と三毛が呼ぶと、巣穴からキンタが出て来た。

「やあ、ミケ君、何か用かい?」

「ああ、実は吾輩の唯一の人間の友達がイカサマやられて財産をふんだくられて困ってるんで力を貸して欲しいんだにゃあ。」

「と言うと僕に出来ることと言えば、化かすことだからイカサマやって財産をふんだくった奴を化かしてやればいいんだね。」

「うん、そうだにゃあ。」

「で、何に化ければいいの?」

「二つのサイコロだにゃあ。」

「ああ、丁半博打に使うんだね。」

「うん、そうだにゃあ。」

 こんな会話をして三毛はキンタを仲間に加えると、彼と一緒に権兵衛の屋敷に戻って来て権兵衛と打ち合わせを始めた。

「まずは伝之助に、『前はあんた方のサイコロで勝負したから今度は俺のサイコロで勝負させてくれ!』って吹っ掛ければいいんだにゃあ。」

「俺はサイコロを持ってないよ。」

「持ってなくたっていいんだにゃあ、このキンタ君が化けてサイコロになるんだからにゃあ。そしてこっちの都合の良い賽の目を出すようにするから絶対賭けに勝てるんだにゃあ。」

「しかし、伝之助を始め客や中盆が賽を振って品定めをするぜ、大丈夫かい?」

「ああ、大丈夫だよ!」とキンタが請け合い、ちちんぷいぷいのぷいと唱えるなり煙になって消えたかと思うと、煙も消えてキンタがいた所に二つのサイコロが現れた。

 権兵衛がそれを拾って六面を見回したり、畳の上に転がしたりしてから言った。

「なるほど、これはすごい!全く本物と見分けがつかないや!」

「だろう、だから大丈夫だにゃあ。」と三毛が引き取った。「それで、もうキンタ君には相談済みなんだけど、前もって勝負は5回と限定しておくんだにゃあ。そして一回目にピンゾロの丁、二回目にヨイチの半、三回目にグニの半、四回目にグサンの丁、5回目にログゾロの丁を出すことにしたから権兵衛どんはその丁か半かを覚えるだけでいいんだにゃあ。」

「そうか・・・でも、博徒がはいはい負けましたって簡単に引き下がるかなあ・・・」と権兵衛が不安そうに言うと、三毛が請け合った。

「大丈夫だにゃあ、吾輩が座頭市に化けて権兵衛どんの味方の客として鉄火場に入場するから権兵衛どんは、『俺の用心棒の座頭市だ!』と吾輩を皆の前で紹介さえしてくれればいいんだにゃあ。」


     六


 資金の方は三毛がたっぷり用意してくれることになって権兵衛は早速、三毛に言われた通りの条件を突きつけて伝之助に吹っ掛けたところ、伝之助は、仮令、不正サイコロを使えなくて負けたとしても、こっちには親分を始め博徒や胴元が付いてるさかいどないにでもなりまんねんと強気になって受けて立った。

 当日、権兵衛は二人分の資金百両とキンタが化けたサイコロ、それと何故だか蝋燭を携え、三毛が化けた座頭市を従え、意気揚々と鉄火場が設けてある寺院へ向かった。

 着いてみると、境内で伝之助が9人の客(博徒)と共ににたにたしながら待ち構えていた。

 しかし、権兵衛も負けじと余裕をかまして言った。

「やあ、こんにちわ、伝ちゃん!」

 すると、伝之助は面食らって動揺した儘、言った。

「こ、こんにちわ、権ちゃん!今日はお供がおりまんねんなあ・・・」

「ああ、俺の用心棒の座頭市だ!」

「ざ、座頭市!」

「ああ、疑ってるなら証拠を見せようか。」

「そ、そやねえ、ほな、見せてもらいまひょか。」

 そう言われて権兵衛は懐から蝋燭を取り出したかと思うと、ひょいと横にいた座頭市の目の前に放り投げた。

 すると、座頭市は刀身の閃光を放ちながら仕込杖をさっと抜いて目にも止まらぬ早業で居合切りを決め、蝋燭が空中で3つに割れて軽い音を立てながら地面にばらばらになって落ちた。

 これを目の当たりにした伝之助を始め博徒たちが氷水を浴びたように震え上がって驚愕したもんじゃから権兵衛は既に勝利したかのように会心の笑みを浮かべた。

 賭博が開帳されると、肩や胸や腕の刺青をむき出しにした博徒が盆茣蓙のぐるりを8割方占めたので権兵衛は隣に座頭市がいるとは言え、流石にビビった。

 そんな中、各人がキンタの化けた賽を振って不正サイコロでないか確かめた後、習わし通り壺振りが縁起の良いぞろ目が出るまで壺を振って出目を整えた。

それを見て中盆が勝負開始の合図をすると、壺振りは、よおござんすね、よおござんすねと言いながら壺と賽をぐるりに見せてから、入ります!と言って賽を壺に入れ、壺を盆茣蓙の上に伏せた。次に左手の指の股を大きく開いて手の平を各人に見せ、賽が入ったことを示し、壺を伏せた儘、手前に引き、向こう側に押し、それを三回繰り返した後、「どっちも、どっちも」と中盆が賭けの募集を始めると、権兵衛が逸早く、「丁!」と叫んで丁方に五十両分のコマを賭け、続いて座頭市も、「丁!」と叫んで丁方に五十両分のコマを賭けたもんじゃから伝之助は自ずと、「半!」と言って半方に十両分のコマを賭け、それに合わせて9人の博徒たちも、「半!」と各々言って半方に十両分のコマを賭けることになった。

 そこで中盆が募集を締め切って、「コマがそろいました!」と言うと、壺振りは右手を壺においた儘、指の股を大きく開いた左掌を客が確認できるよう壺の横に伏せた。と同時に、「勝負!」と中盆が言うと、壺振りは壺を開いた。

 すると、賽の目を見た中盆が、「ピンゾロの丁!」と言ったもんじゃから、「出かしたキンタ!」と権兵衛は心の中で快哉を叫び、座頭市と共に五十両分のコマを中盆から渡された。

 斯様なことを5回繰り返したのじゃから権兵衛は寺銭二十五両を取られたとは言え、四百七十五両も儲けてウハウハもので座頭市に守られながら屋敷へ恙なく帰ることが出来たのじゃった。

 一方、伝之助はこの賭博に充てた五十両を全部すった上、親分に9人の子分(博徒)の損失、合わせて四百五十両を支払わされた報いとして商家の主人である父から勘当され、番頭から一転、浮浪者になってしもうた。


     七


 それから一週間後のことじゃった。仏像が入った如何にも重そうな厨子を横におろし、道端でへたり込んでおる六十六部に成り下がった伝之助のところへ三毛がやって来た。

「おい、伝之助、吾輩じゃよ、分かるか?」

 伝之助は元気なく俯いておったが、聞き覚えのある声にはっとして思わず顔を上げると、ミケだと直感的に気づくなり瞋恚の情が蘇って勃然と色をなした。

「わ、われ~!よくも、のこのこと来れたもんやなあ!いてもうたろか!」

「おいおい、血迷うな!吾輩は助けに来てやったのじゃ!」

「なに~!助けにだ~!」

「そうじゃ、吾輩は慈悲深い仙人なんじゃ。じゃから、お前を不憫に思って助けに来たのじゃ!」

「ほんまかいな!」

「ああ、ほんま、ほんま・・・」

「ほんなら、どう落とし前をつけてくれるんや!」

「いや、落とし前って、いきなり金品で償わせようとしては駄目じゃ!」

「ほんなら、何か、仕事でもくれるって言うんか!」

「おう、そうじゃ、流石、元粋人、呑み込みが早いのう。」

「ふん、そんなことで煽てんでもええわ!早いとこ、どないな仕事か言うてくれ!」

「それはな、権兵衛の家の使用人じゃ!」

「なんやて!われ~!どこまで、わてに屈辱味あわせれば気が済むんや!」

「六十六部よりは数段ましじゃろ!」

「そやかて、わてはつい前まで若旦那だったんやで、それが百姓上がり如きの・・・」

「嫌か?」

「・・・」

「嫌なら話はなかったことにするが、良いか?」

「い、いや・・・」

「お前だって六十六部の儘でいたくないじゃろ!」

「そりゃあ、まあ、そやなあ・・・」

「権兵衛は今や村長じゃ!その片腕となって欲しいと言っておるのじゃぞ!」

「わてをだすか?」

「そうじゃ。それには使用人から這い上がらねばならんがな、その試練を乗り越えてこそ、お前は真っ当な人間になれるのじゃ!分かるか?」

「はあ、なんか、そないな気がしてきましたわ。」

「そうか、よし、では、お前を権兵衛に引き合わせて進ぜよう。」

 という訳で伝之助は権兵衛に仕えることになり、権兵衛の優しさに感化され、真っ当な人間になってゆくのじゃった。

 三毛はそれを見届けると、再び、見上げた人物を探し求めて流浪の旅に出るのじゃった。


     八


 三毛は別の村へやって来て、とてもチャーミングなシャム猫に化けて割と裕福そうな家の門前に佇んでてみた。

 すると、そこの娘らしき年の頃は20位の女子おなごが三毛を見るなり嬉しそうに門から出て来た。

「うわあ!なんて可愛いらしい猫ちゃんなんでしょう!而もちゃんとお座りしておりこうさんね!」 

 このリアクションに三毛は気を良くして、にゃおと一声鳴いてみた。

「うわあ!なんて人懐こい猫ちゃんなんでしょう!さあ、こっちへいらっしゃい!」

 三毛が言われた通り近づいて行くと、女子はしゃがんで三毛を拾い上げて抱きかかえた。

「うわあ!ほんとに可愛い!まるで今まで私が飼ってたみたいに懐いて来るわ!」

 三毛は抱かれながら女子の容姿が芳しいばかりか、あんまり猫可愛がりに可愛がるもんじゃからシャムに化けて良かったと悦に入り、暫くの間、この家で飼われることにした。

 而して人間観察を続けて行く内に夫が外面が非常に良くて家では亭主関白という所謂、内弁慶であることが分かった。

 一方、妻は、「あれは人妻と言って亭主のおもちゃになるか、亭主の支配者になるか、二通りの生き方しか知らぬ女」と太宰が言ったように前者のタイプで、「女は与えられたものを正しいものと考える。その中で差し障りのない様に暮らすのを至善と心得ている」と漱石が言ったように夫におもちゃのように扱われても、それを正しいものと考え、その中で差し障りのないように柔順に仕えているのが分かった。

 娘はと言うと、中々の読書家なのじゃが、「女には自分の好みがない。人が読むから私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいる」と太宰が言ったように絶大な人気を博しておる十返舎一九の東海道中膝栗毛を御多分に漏れず愛読し、「女は物知りぶっている人を矢鱈に尊敬する」と太宰が言ったように物知りぶる父を矢鱈に尊敬し、「女は詰まらぬ理屈を買いかぶる」と太宰が言ったように父の屁理屈まで買いかぶっておるのが分かった。

 また、「女は人が困るのを面白がって笑うものだ」と漱石が言ったように母が夫に責められて困っておるのを面白がって笑い、「お前は母が困るのを見て笑って良いと思ってるのですか?」と母から詰られると、「酷いわ、そんな筈がないわ。お母さんは私の品性を侮辱してるんだわ!」と弁解するのじゃが、これは、「侮辱したと思うのは事実かもしれないが、人の困るのを笑うのも事実である。であるとすれば、これから私の品性を侮辱するような事を自分でしてお目にかけますから何とか言っちゃ嫌よと断るのと一般である」と漱石が言った訳と同じ訳になることも分かった。

 また、「唾を吐きかけられ、糞をたれかけられた上に大きな声で笑われるのを快く思わなければならない。それでなくては女と名のつく者とは交際が出来ない」だの、「陰で笑うのは失敬だとくらいは思うかもしれないが、それは年が行かない稚気というもので人が失礼をした時に怒るのを気が小さいと先方(女)では名付けるそうだから、そう言われるのが嫌なら大人しくするが宜しい」だのと漱石が言ったことを実践する男としか付き合わなくて案の定、その彼氏の欠点をしょっちゅう貶したり嘲笑ったり陰で笑ったりしておるのも分かった。

 じゃから、この娘は性格が決して良くないと鑑定した三毛は、シャムとしての自分を可愛がるのは自分の姿形が良いから可愛がるのであって優しさから可愛がるのではないと思い、それを証明するべく娘の家を家出してから醜い猫として或る日、娘の家の門前に現れ、前と同じようにお座りして娘の反応を窺った。

 すると、娘は三毛を見るなり駆けて来て、不細工は彼氏だけで沢山だ!と言うや否や三毛をサッカーボールの如く蹴飛ばしてしもうた。お陰で三毛は何度も転がった末、激痛を堪えつつあの女と付き合う為にはこんな目に遭っても文句を垂れてはいけないのか、あの女の彼氏は辛いにゃあ、あれは太宰の言う亭主の支配者になる女だにゃあと思った。

 

     九


 三毛は江戸時代にいながら時空を超えられるから太宰も漱石も知っておるのじゃ。

 さて三毛は痛みが残る中、隣村にやって来た。

 季節はもう師走じゃった。木枯らしが吹きすさんでおって傷に染みるもんじゃから三毛は痛々しい限りじゃ。全く以て困ったもんじゃ。

 おまけに氷雨がぱらついてきよった。火点し頃じゃから何処の家も飯の支度をしておって道にうろついておる者と言えば、男か子供じゃったが、誰も傷と寒さに苛まれる、哀れな三毛を気にも留めない。

 そんな折、向こうの取っ付きの家から若い男が出て来て道端で立ちしょんを始めた。

 寂しそうななりを見て三毛は独り暮らしと見て試しににゃおと人懐こそうに鳴いてみた。

 すると、男は三毛の方を見るなり優しそうに微笑んで小便をし終えてから、おう、寒かろう、家に入らないかと言って手招きした。

 三毛は喜んで男に近づいて行くと、さあ、こっちにお入りと言いながら男は三毛を快く家の中へ請じ入れた。

 三毛は人間には充分警戒しなければいけないことを重々承知していたが、持ち合わせた慧眼によって、この男は絶対悪い男じゃないと判断した上で家の中へ入って行ったのじゃ。

 見ると、囲炉裏に火がくべてあって自在鉤に吊るされた鉄瓶が湯気を吹いておった。程よい湿気を含んだ温かさに助かったと心底、三毛は思った。

 男は食事はもう終わったようで良い暇つぶしが出来たと言わんばかりに三毛を膝の上に乗せてあちこち撫でまわしたりあやしたりたりしながら酒が入ってると見えて自棄糞気味に笑いながら色んな独り言を呟いた。

「おいらも皆と同じ貧しい百姓でな、米作ってるのに米が食えねえときたもんだ。はっはっは!なあ、可笑しいだろ、皆、年貢に取られちまうからよ。だけどな、おいらが皆と違ってもっと可笑しいことに嫁が来ねえときたもんだ。はっはっは!何でか分かるか、なんとな、おいら、村長さんのめんこいめんこいお嬢さんに恋してるからよ!一介の百姓が身分不相応にもだぞ!これまた可笑しくねえか!はっはっは!つまりよ、面食いだからいけねえんだよな、そこらの娘じゃ満足できねえって訳よ。但、望みはあってな、村長さんが言うにはよ、家内の象みたいに長い鼻を短くしてくれるのなら娘を嫁にやっても良いって言うんだよ。土台、無理な話だけどな、全く可笑しな話だろ!はっはっは!」

「全然、可笑しかないんだにゃあ」

「あれ?何か今、声しなかったか?」

「吾輩じゃよ」

「えっ?」

「ほら、今、お主が抱いておる」

「えっ、お前が喋ってるのか?」

「そうじゃ」

「お前、まさか、今、巷で噂の猫又妖怪じゃないだろな!」

「違うよ、吾輩は実は仙人なんじゃ」

「仙人?」

「そうじゃ、今は猫に化けてるのじゃ、じゃから安心せえ」

「しかし、何で猫に化けてるんだ?」

「お主に言っても分からんことじゃが、吾輩は猫であるという小説の猫に憧れてな」

「はあ、確かにおいらは小説という高尚なものには縁のない男だから知る由もないことだが」

「うん、まあ、そんな話は置いといて、お主の独り言をずーと聞いておってな、吾輩はお主には助けてもらったしな、是非、お主の願いを叶えてやろうと思ったのじゃ」

「と、と言うと、何かい、村長さんのお嬢さんをおいらの嫁にしてくれるって言うのかい?」

「そうじゃ」

「しかし、それには村長さんの奥さんの長い鼻をおいらが短く出来なきゃいけないんだぜ」

「大丈夫じゃ、吾輩に任せればな」

「あんた、仙人だというし・・・」

 吾作はそう言ってから暫し考えておったが、仙人に見込まれたんだ、断る手はないと思い、「うん、任せるよ」

「そうするに若くはない。ところで、にゃあにゃあ語で喋ってもよいかな」

「にゃあにゃあご?」

「うん、語尾ににゃあと付けた方がお主に親しみを込められるんじゃよ」

「ああ、そうか、うん、いいよ、じゃあ、おいらも親しみを込めたいから、あんたのことを何て言えばいいかな?」

「ミケと呼んでくれればいいにゃあ、その代わり吾輩はあんたのことを何て呼べばいいかにゃあ?」

「おいら、吾作っていうんだ、だから吾作どんでいいよ」


     十


 一晩、温かい吾作の家で過ごしたお陰で傷が癒えた三毛は、鞍馬天狗を訪ねるべく鞍馬山へと足を運んだ。この山はまたの名を暗部山と言い、春は桜、秋は紅葉の名所じゃが、冬になると冬枯れて暗部山の名の通り闇のように暗くなるのじゃ。

 その冥蒙たる木立の中にある鞍馬寺の本殿金堂に安置された毘沙門天、千手観音と共に護法魔王尊として安置されておるのが鞍馬天狗として此の世に示現するのじゃ。

 三毛が森然たる喬木の森林を横目に仁王門に通じる九十九折の石段を上がって行くと、亭々と聳え立つ天狗杉の天辺から空気を切り裂くように滑空して鞍馬天狗が三毛の目の前に降り立った。

 山伏装束に身を包み、一本歯の高下駄を履いた、その風貌は赤ら顔に口髭と顎髭をぼうぼうに生やしておって鼻が勃起した一物のように隆々と長く伸び、目は鷹のように鋭く、背中からは大鷲のような巨大な羽根を生やしておる、筋骨隆々とした大男じゃ。

「よう、御同輩!久しぶりじゃな!今日は何用じゃ?」

「今日は貴殿の羽団扇を借りに参ったのじゃよ」

「おう、そうか、勿論、貴殿のことじゃから人助けに使うのじゃろ」

「ああ、そうじゃ、悪人にはこらしめる為に使うがの」

「よし、分かった、存分にご利用為され」

 という訳で三毛は鞍馬天狗から羽団扇を借りると、俊足を飛ばして立ちどころに吾作の家に帰って来た。

「これはにゃ、羽団扇と言って長い物に対して裏側で扇ぐと、長い物が短くなり、逆に短い物に対して表側で扇ぐと、短い物が長くなるんだにゃあ。長さの調節は扇ぎ方の加減によって出来るから何か良い練習台になる物を探して、それで以て骨を掴めばいいんだにゃあ。そうして吾作どんは整形外科の医師になりすまして村長さんのところへ行って私は鼻の長さ形を自由自在に変えることが出来ます。ですから奥様の鼻を如何様にもすることが出来るのでございますと売り込めばいいんだにゃあ」

「なるほど、そうか、そりゃあ、いい、よし、是非ともやってみるよ!」

 

 修練と言うと大仰だが、練習を積んで骨を掴んだ吾作は、年の瀬が押し迫った頃、村長の家に行くと、女中の取次ぎを受けた村長が玄関にやって来て、「おう、こんにちわ、吾作どんじゃないか、珍しいのう、どうしたんじゃ?」

「こんにちわ、村長さん、あの、実はおいら、顔を整形する技術を取得しましたんで奥様のお鼻を直しに参ったんでございます」

「なんと、そんな技術をお前さんが!はっはっは!冗談は止しとくれよ」

「いや、冗談じゃありません。これはほんとに本当の話で、おいらは正気の上で本気で言ってるんです!」

「おう、そうか、そんなに言うなら、そのお前さんの技術とやらを見せてもらおうかのう」

 村長は内心、こ奴、娘にぞっこんじゃから娘欲しさの余り、気がふれてるんじゃなかろうかと疑いつつ吾作を夫人のおる居間へ通して斯く斯く然々と吾作が来た訳を夫人に説明した。

 すると、夫人は自分の鼻が短くなることを年がら年中、切に願っておるもんじゃから藁にも縋る思いで吾作の技術を試すことにした。

 吾作は待ってましたとばかりに携えていた風呂敷包みを解くと、羽団扇を取り出した。

「奥様、では、おいらの整形技術をお見せしますから、お顔をぐぐっとおいらの前に出してください」

「こうかい」と言って夫人が顔を前に出すと、吾作は羽団扇の裏側で夫人の鼻を扇ぎ出し、「短くなあれ、短くなあれ」と唱えながら夫人の鼻を手で優しく揉み解して行った。

 すると、夫人の鼻が見る見る程よい高さの形に整ったもんじゃから村長は驚愕して夫人の顔に瞠若たらしめられた。

「お前、鏡で見てみろ!とっても美人になったぞ!」

「えっ!ほんとに!」

 夫人は大急ぎで傍に用意しておいた手鏡を取って自分の顔を鏡に映した。

「うわあ!すご~い!ほんとだ!ほんとだ!なんてことでしょう!どう御礼をしたらいいんでしょう!ねえ、お前さん!」

「ああ、これは娘を嫁にやるのは素より、何か褒美を取らせんと行かんなあ・・・」

「まあ、お殿様みたいなこと言って!」

「はっはっはっは!いやあ、これはめでたい!盆と正月が一緒に来たようだ!と言っても言い足りない位、めでたいことじゃ!」

「ほんとですわ!ねえ、吾作さん!」

「はあ、まったくです!」

 そんな訳で吾作は村長の娘とめでたく結ばれる運びとなり、大願成就すると共に年末から年始にかけて村長の計らいで毎日のように白い米が食える上に酒は飲み放題だわ御馳走は食い放題だわで村人たちにも喜んでもらおうと結婚式のお祝いも兼ねて皆でお祭り騒ぎをするのじゃった。

 その後、吾作は村長の跡を継ぎ、質素倹約に励み、村人たちから尊敬され、夫婦生活を円満に営むのじゃった。

 三毛はそれを見届けると、吾作に引き留められたが、再び流浪の旅に出るのじゃった。

 

     十一


 三毛はタイムスリップして現代の日本にやって来た。まず大阪へ行き、或る民家の庭へ進入し、玉散らし仕立ての伽羅木の木陰で休んでおると、軒先に置いてあるラジオから或る演歌歌手が聞き手にこう答えているのが聞こえて来た。

「大阪は食べ物がおいしくて服も流行の品がちゃんと揃っていて、ついついお金を使う機会が増えてしまいますねえ」

 この演歌歌手は大阪で公演の予定があって大阪の放送局で大阪人に関心を買おうとしておるのじゃ。その証拠に名古屋の放送局でもこう言っておるのを三毛は名古屋の或る民家のラジオから聞いた。

「名古屋は食べ物がおいしくて服も流行の品がちゃんと揃っていて、ついついお金を使う機会が増えてしまいますねえ」

 大人の世界ではこの手の偽り事は日常茶飯事に行われておるのであって斯様に大人は自分の利益のためなら調子の良いことを抜かして平気で嘘をつくのじゃ。

 一見、和やかに見える大人同士の挨拶、これも偽り事の一つで予定調和なんじゃよ、つまり、本心を韜晦して都合の良いように二枚舌使ったり三味線弾いたりして、そ

の場に合わせて取り繕っているだけなのじゃ。真心のない笑顔、そう!作り笑顔が得意な奴ほど、世渡りが巧く行く!それが現実じゃと三毛は思わずにはおられないのじゃ。

「兎角、物象にのみ使役せらるる俗人は、五感の刺激以外に何等の活動もないので、他を評価するのでも形骸以外に渉らんのは厄介である」  

 そうなんじゃ、漱石の言う通り、俗物は上滑りで外面のみで判断し、内面が全く見えんのじゃ。じゃから俗物が大半を占める俗世では外面を装うことが巧みな奴ほど、成功するのじゃ。

 こんな世の中では正直者は損をしがちになるもので、正直者が馬鹿を見る、この傾向が強まっておることを三毛は現代日本に来て痛感した。

 そこで三毛は正直に生きていて損ばかりしておる男に施しを与えてやろうと思って冴えない男の中から或る男に目星をつけて、その男の借家へ黄昏時に行って庭に進入してみると、男は電気も付けんと薄暮の中、縁側に座ってぼんやりと庭を眺めておった。

「にゃお!」

 三毛が出し抜けに鳴いてみると、「おっ!猫にまで馬鹿にされる俺なのに」と男は乗って来た。「愛嬌振りまいちゃって、きっと中身も良い奴に違いない!」

 男がそう言うと、三毛は安心して男に近づいて行った。

「おう!可愛い奴だ!俺に寄って来るなんて、お前はほんとに良い奴に違いない!」

 男はそう言って三毛を抱き上げると、こう呟いた。

「でも、お前、餌を期待して来たんじゃないのか?生憎、餌をやる余裕は俺にはないよ」

 すると、三毛は言った。

「吾輩を餌欲しさに寄って来る、そんじょそこらの俗な猫と見縊るでない!吾輩もお主を良い奴と見込んで寄って来たのじゃ!」

「ぎょぎょー!!猫が喋ってる!!な、なんなんだ、この猫は!」

「吾輩は猫に化けた仙人じゃ、じゃから不気味がらんでもよい」

「ま、まさか、仙人なんて今時そんなもん・・・」

「信用できんと言うのか?」

「あ、ああ・・・」

「しかし、現に猫が喋っておるという非現実的なことにお主は直面しておるのじゃぞ!じゃから吾輩の言うことも信用しても良いと思うがな」

「ああ、まあ、そうだなあ・・・」

「信じる者は救われるという言葉を知っておるじゃろ」

「ああ・・・」

「なんじゃ、その気のない返事は!現代人は信仰心が足りんからいかん!」

「いや、俺はあまりのことに呆気に取られてるんだよ」

「おう、そうか、そりゃあ、そうだな、気持ちは分かるが、それはそうと、お主は先程から浮かぬ顔をしておったが、何か悩みでもあるのかな?」

「うん、まあね、会社で人間関係が上手くいかなくてね・・・」

「おう、そうか、矢張り正直の頭に神は宿らぬか」

「う~ん、確かに俺は馬鹿正直って言うのかな、つい本音を押し通して同調できないもんだから食み出し者になっちまうんだよ」

「なるほどな、今時の者はそういう者を空気が読めないと謗るんじゃろ」

「ああ、読めない訳じゃないんだけど、読めても合わすことが出来ないんだよ」

「ああ、分かるよ、お主、自分の信じる正しい道を押し通しておるんじゃろ」

「まあ、そんな大層なことじゃないけど・・・」

「いや、謙遜しんでも良い。同調圧力に屈しない!寧ろ全く誇るべきことじゃないか!」 

「まあ、そうなんだけどね、世間じゃ、それは駄目なことになっちゃうんだよ」

「う~ん、全く駄目なのは世の中の方じゃ、間違っとるよ、ほんと、ま、しかしじゃ、お主には吾輩が付いておる。そこでじゃ、求めよ!さらば与えられん!」

「へへへ、また、格言かい、求めれば何かくれると言うのかい?」

「それは違う。進んで努力すれば、求めているものを掴み取ることが出来るということじゃ!時にお主、今、求めているものがあるじゃろ!」

「あ、ああ・・・」

「しかし、諦めてるんじゃろ!」

「うん、まあね・・・」   

「それこそが駄目なことなんじゃよ」

「・・・」

「求めよ!さらば与えられん!実践することじゃ、さすれば成就する。信じる者は救われる。吾輩を信じよ!」

「あ、ああ・・・分かったよ」

 男は三毛の気迫に押されたばかりでなく実際にやってみる勇気が湧いて来たのじゃ。


     十二


 翌日、急いで駆けて来たらしくまだ明るい時分に男は会社から借家に帰って来た。

「お~い!仙人の猫様!出て来て下さ~い!」

 三毛は男の弾んだ声についにやったんだなと確信して縁の下から出て来た。

「どうしたんじゃ、敬語なんか使って」

「いやいや、実はですね、あなた様の激励を受けました時、私は確かにあなた様から勇気を授かりましてね、今日、会社でですねえ、前々から好きだった事務員の子に思い切って声を掛けたんですよ。そしたらです、その子が感激した様子で、すごく好意的に微笑んでくれましてね、それで、今まで喋れなかったのが嘘のように彼女と喋れるようになりましてね、彼女も私同様、楽しそうに喋りましたもんですから、もう、これはチャンスだと思いまして一気に告白するまでに至っちゃったんですよ!そしたらですねえ、私も吉田さんのことが好きだったのって彼女が吐露したんですよ!いやあ、案ずるより産むが易しとはよく言ったものですねえ!」

「はっはっは!そうか、それは良かった。で、彼女はどうしておるのじゃ?」

「あの、私は残業はやらない主義ですし、やりたくてもやらせてもらえませんが、彼女は必要とされている身で残業をしていまして今日は連れて来れませんでした」

「おう、そうか、じゃあ、今度の土日辺り、お主と彼女の仲睦まじい所を拝見させてもらおうかな」

「ええ、それは可能だと思いますが、拝見だなんて勿体ないお言葉ですねえ」

「いや、吾輩も是非、お主の幸せを噛み締めてみたいからのう・・・まあ、しかし、余り深入りしては邪魔になるから・・・」


 実際、土曜日の晩、二人の交わる寸前になって三毛は邪魔にならぬよう満足して男の借家を去った。

 男は翌朝の日曜日に気づいて三毛が帰って来ることを願ったが、三毛は二度と男の前には現れなかった。そう、三毛は仙境へ帰って行ったのじゃ。息抜きの為に・・・息抜きと言っても此の世の時間に換算して300年じゃが、三毛は正直者が報われた、その事実をせめてもの安堵の材料にして帰って行ったのじゃ。(完)


 


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