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第一話 原初の鬼




 シャラン、と錫杖(しゃくじょう)の音が響く。


 室内では特殊な薬香が焚かれ、それを吸い込む事で、儀式を行う神官達は陶酔感とスキルの一時的な上昇を得ている。脳内物質を強制的に過剰分泌させている、などという科学的な知識はないが、経験則でその効果を知っているのだ。


 そこは窓の無い、広大な地下室だった。獣油で作られた黄色い蝋燭(ろうそく)の明かりに照らされた薄暗い室内。粗い石造りの壁際に並ぶ騎士達は、磨き抜かれて輝く鎧を身にまとい、槍を持って直立不動の姿勢をとっている。近くに寄って呼吸音を聞かなければ、置物だと思ってしまうほどに不動だった。


 地下室の床には淡く光る魔法陣が広がっていて、その上で若い娘が錫杖を持ち踊っている。薬香によって酩酊し、その目は焦点が定まっていない。透けるほどに薄い布一枚まとっただけの白く若い肌に、滝のような汗がつたっている。


 しかしそれを欲望の目で見る者はいない。彼女は女ではなく巫女であり、また(にえ)である。一心不乱に踊るその様はエロティシズムではなく、神聖さに溢れていた。


 この場にいるのは、踊り子と、詠唱をするローブを着た神官達。それに護衛の騎士達だ。そして魔法陣から少し離れた所に、他にも二人の人間が立っている。


「……彼女はこの後、どうなるのですか?」


「勇者様、あれは道具ですぞ。勇者様の武器となる召喚獣を呼び出す儀式に必要な贄なのです。これが終われば用済みですから、気にする必要はありませんぞ」


 勇者様と呼ばれた、背の低い、黒髪黒目の少年。この国の平均に比べるとかなり背が低いために鎧が着こなせなかったからか、肩や胸当て、手甲などだけをパーツに分けて装備している。また、その腰には白い細剣がかけられていた。


 もう一人は、宰相。この国の(まつりごと)を司る男だった。齢五十にして今だ肉体的には全盛期で、むしろこの場の騎士達の誰よりも、強者のオーラを放って立っていた。


「で、でも……」


「ははは。優しいですな、流石は勇者様ですぞ。しかし、道端の石ころにばかり気を配っていては、先に進む事など出来るはずがありませんぞ」


「……う」


 勇者様と呼ばれた彼も、それは言葉としては分かっている。彼は魔王を倒し、世界を救わなければならないからだ。しかも時間制限付きなので、一人一人の人間を救っていれば、世界の破滅まで間に合わないという事も知っている。


 だが今、隣に立つこの人は、一人の人間を石ころと言ったのか。何故僕は、それに言い返せないのか。怖いからだ。僕は怖い。勇者に相応しくない人間の筆頭と言っていいほどに、僕は心が弱いのだ。怖いと思うと身体がすくんで、何も出来なくなる。息をすることすら、難しくなるのだ。


「勇者様は細かい事を気にせずとも良いのです。さあ、もうすぐ召喚の儀式も終わりだ。そろそろ貴方の相棒が見えてくるはずですぞ」


 いつの間にか、踊り子は踊りを止めていた。息を切らせて肩を大きく上下させながら、魔法陣から外れた所に這って行った。死ぬことは無いようだ。命を削るような魔力密度の踊りを見て、勇者はそれが心配だったのだが。


 魔法陣の中心には、彼女が振っていた黄金の錫杖が突き立てられている。それは床に刺さりながらもカタカタと微振動していて、魔法陣そのものも、鼓動のリズムに似た明滅を繰り返していた。


「むっ……これは……」


 宰相が唸る。召喚の儀式が上手く行かなかったのだろうか?汗を流す神官達の表情を見る限り、本人達は会心の出来だと思っているようだが。


 魔法陣の明滅が速まってゆく。それを見やる勇者の心臓もまた、合わせるように強く鼓動する。僕には分かる、何か、とんでもないものがここに───


 バチバチと電気のような青白い光が散る。錫杖の微振動は周期を高め、キーンと耳鳴りに似た音を立てて砕け散った。そしてそれが刺さっていた穴が割れ、ヒビを伸ばして大きくなってゆく。そこから、人の手が伸びてきて、穴の淵を掴んだ。


「こここっ、これが普通なんですか?召喚って……!」


「それは無い!これは異常事態ですぞ……!!」


 地下の祭場そのものが揺れ、天井からは砂ぼこりがパラパラと落ちてくる。神官達は蜘蛛の子を散らしたように何処へともなく逃げまどい、やがて壁際の騎士達の冷たい鎧の腕にすがりついていた。


「通常であれば、ただ魔法陣が光って、大人しく召喚獣が現れるのですぞ!これは……何か良くないものを呼び出してしまったか……!!」


「ひぇっ、そそ、そんなあ……!!」


 情けない声を上げているのは、勇者様と呼ばれた少年だ。彼とてその立ち位置、その地位を望んで得た訳ではない事がよく分かる。宰相とて、出来ればこのような臆病者に世界の命運を任せたくはなかっただろう。


 バキバキと床板を割って、召喚獣がその姿を現す。それは、人の姿をしていた。



『言っておくがのう、事前契約無しの異世界召喚は拉致監禁と同じじゃぞ』


 それは一見、人間の女だった。肌は浅黒く、髪は銀髪、瞳は宝石のように光る薄い紫色をしている。それだけであれば、珍しいが、居なくもないだろう。ただ彼女と人を完全に分け隔ているのは、その額に生えた長い角だった。


 その声は美しいが、地響きに似た、低い、抗えない力強さを持っている。言っている言葉自体に緊張感は無いが。勇者にはそれが正論に聞こえた。


『あ"ー、ここは……あれかのう。剣と魔法のファンタジー世界という奴かのう。なにやら中世時代ヨーロッパに似た文化圏のようじゃし……ゲームっぽいのう』


 勇者の顔が驚きに染まる。召喚獣のはずである彼女の言葉は、彼と同郷のものだったからだ。つまり日本語。少し時代劇がかっているが、それは些末な事だろう。


 見れば、彼女が着ているのは和服だ。薄汚れた茶色一色で、男物の甚平のように質素なものであったが、紛れもなく、彼のよく知る世界から来た服装だった。江戸時代の日本からでも来たのだろうか?しかし、ゲームという単語を知っている……


「お、お前は……召喚獣……ではないのか?」


 宰相が震える声でそう尋ねる。その身体もまた震えているのは、彼女から湧き出る覇気の所為か、地面を割って出て来たというインパクトの所為か。


『獣とな……言ってくれる。まあ、人間ではないがの。ワシは鬼じゃ』


 そう言って彼女は腕を組んで、床に唾を吐いた。見た目は美しく、少女と女の境目といったところだが、素行は野盗のように下品に過ぎるようだった。



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