私、泣いてもいいかな?
僕は土下座した巫女服の若女将をドン引きした目で見る……どうしてこうなった!?
「っつ!?」
僕は突然、自分の中の第6感が浮上してくるのを感じた。頭の中でピキーンとか効果音が鳴ったような気がしないでもない。何故か、部屋の鍵を閉めなければならないという衝動に駆られる。そして、僕はお盆をテーブルの上に置き、衝動に逆らわずに急いで部屋の鍵を閉めた。
すると、大きな音でドアが叩かれ、ドアノブをガチャガチャする音がした。
「おい! さっきここからゴルサンの波動がした! 開けろ!」
部屋の前からドアを隔たってカスの叫び声が聞こえた……もう勘弁して欲しい。
「博士。そのような物言いでは開けてくれないわ。落ち着きましょう」
狂信者Aが現れた……残念美人の予感がする。
「長老。彼女の言う通りだ」
狂信者Bが現れた……男はどうでもいい。
「ううむ。ドアを壊すわけにはいかないし。合鍵を使うには若女将の権限がいる。どのように侵入すればよいか……」
珍獣が現れた……お前は警備に戻ったのではないのか!? というか、警備員が客を襲うとか南米か!
「みんにゃ! 落ちちゅいて!」
背後からの声に振り向くと、「異世界の記録」の本を抱きしめて顔を赤らめたあほの娘がいた……いつの間にか本が盗られている。あんたが落ち着けよ。
僕と若女将の視線が合う。すると、僕の冷ややかな瞳を見て、若女将ははっとした表情したかと思うと慌てて手をパタパタとし、さらに顔を赤らめて俯いた……かわいいげ。げふん、げふん。いや、僕はもう騙されない。
「……えっと。皆さん、ここのお客様はあまりしつこいのはお嫌いのようです。あなた達は接客のプロなのですから、公私混同をしてはいけません。これは女将としての命令です。301号室には近づかないように。あと、お客様に仕事での用がない限りは話しかけてはいけません。再度告げますが、これは女将としての命令です。お客様が帰るまでは、私が301号室は担当することにしますから……命令違反が分かったら給料減額です」
若女将が部屋の外の狂信者どもに呼びかけた。平静を装ったかわいい声でさらっと職権濫用をしている。彼女は公私混同の意味を辞書で調べる必要があるようだ。
「ほら、怒られたじゃないの。はあ、給料減額は困るわね……しょうがない。騒がしくてごめんなさいね。お客さん」
従業員Aの声がした……やはり、この人は残念美人の気がする。
「……給料減額か。仕方がない……はあ、301号室は出禁という訳か」
どうでもいい声がした。
「嫁に迷惑をかけるわけにはいかないか……惜しい人材なのに……」
珍獣の声がした……きっと、嫁も珍獣なのだろう。
「儂は諦めんぞ」
カスの声がした……やはり、地中に埋めるしかないな。
ドアの向こうから人が去っていく気配がする。狂信者は一名を残して去っていったようだ。
「申し訳ございません。失礼な従業員ばかりで」
若女将は本を抱きしめたまま頭を下げる……自分が失礼な従業員の中に含まれていないように聞こえるのは気のせいだろうか。
「不躾で申し訳ございませんが、お食事はいかがしましょう。外でお食べになりますか?宿泊客には食事の割引サービスがございますが……」
仕切りなおすためか、若女将は下げていた頭を上げて言った。先程よりは表情が落ち着いている。
「……うーん。食事はこの部屋でいただけますか?」
「もちろんです」
「……では、こちらで食事は食べます」
僕は少し考えたが肯定の返事をした。散々な目にあってはいるが、やはりなるべく節約をしたい。
「ありがとうございます。あとで、メニューを……いえ。お詫びに今日の夕食はサービスとさせていただきます。こちらをお渡ししますので食事を食べるときにお呼びください。メニューをお持ちします」
夕食1回分が無料になった。かなり疲れはしたが、ついていると……思おう。
すると、若女将は袴についているポケットから301号室と書かれた木片を取り出す。木片の中央には赤いガラス玉がついていた。
「こちらの魔石に指を触れて念じると受付に301号室からの呼び出しがあると伝わります。食事以外でも呼んでいただいて結構です。そうしたら、私が参りますのでご用をお申し付けください」
若女将は僕にそう告げると、お盆を回収して部屋を出ようと……
「これ以上は訴えますよ」
僕は本を持ったまま退場しようとする若女将に告げた。
「す……すいません! いえ、申し訳ございませんでした!」
若女将はひきつった笑顔で本を僕の手に返却すると、ものすごく深くお辞儀をした。もしかして本当に忘れていたのかもしれない。そして、長いお辞儀を終えると慌てて部屋から出て行った。
若女将が出ていくと、僕は素早くドアの鍵を閉める。
「……ふう。さてと」
僕は若女将の胸の中に抱きしめられた本の香りを嗅いで落ち着こうと……ピキーンと頭の中で効果音が鳴った気がした。僕の第六感が背後に誰かいると告げる。
振り返るとそこにはいつの間にか窓ガラスにへばりついたカスがいた。カスは「見つかった!?」と言いたげな表情をしている。窓ガラスにへばりつくというハエみたいな所業ができるのは魔法がある世界なのだからだろうと思いたい。
僕は本をテーブルに置いて静かに窓に近づくと割れない程度に窓ガラスを叩き、窓枠を揺らした。
「ちょ、止め。マジで危ないから……ね? ね? 止め……あああああー!」
カスが落下する。叫び声が周囲に響き渡り2回ほど打撃音がしたと思うと、最後に水しぶきが上がる大きな音が聞こえた。
窓ガラスを開けて階下を覗くと狭いけれど池のある和風の庭園が見えた。入り口の反対側は庭園になっていたのかと僕は思う。幸い誰もいないようだ。
音を聞く限りでは、カスは屋根を転げ落ちた後に池に落ちたらしい。だが、くたばってはいないようだった。池の中央からカスは浮かび上がると自力で泳いで岸へと辿り着いた……一生沈んでいればよかったのに。
カスは膝を地面につけて四つん這いになっている。どうやら、息を切らしているようだ。しばらくその様子を見ていると、カスはゆっくりと立ち上がり僕に視線を向けた。しかし、さすがに今回のことはこたえたようで、何か言いたげな表情ではあったが悔しそうな表情をして庭園から走り去っていった。まあ、走れる元気があれば、そう簡単にくたばりはしないだろう。
僕は念のために窓の手前にある障子を閉めて外から誰にも見られないようにすると、テーブルの上に置いた本を手に取る。そして、周囲に誰か隠れていないか大雑把に確認すると、座布団を枕代わりにして仰向けで寝ころび、若女将の香りのする背表紙を顔に押し付けて匂いを思い切り吸引した。
「……その香りは豊満であった……なんちゃって」
僕はしばらくこの状態で疲れた精神を癒す。
数十分、香りを堪能すると匂いもなくなってきた感じがしてきたので、僕はゆっくりと起き上がる。障子から入り込んでくる光を見る限り、いつの間にか夕方になっていたようだ。この部屋に時計はないものかと周囲を確認すると、壁の上の方に丸い掛け時計があった。地球と同じようで1~12の丸い文字盤の中央に3つ長短の針がある仕組みで時間を指している。まあ、頭に入ってきた情報だと約24時間、365日で地球と同じことは分かっている。今は19時00分を丁度示していた。暖かい地方みたいだし、日の入りは日本よりも遅いのかもしれない。
僕は精神的な安定は取り戻せたので、とりあえず夕食を食べることにした。テーブルの上に置いてある呼び出し用の魔石に指先を触れて念じる……「異世界の記録」によると魔石の使い方は指先に神経を集中させて魔力を注ぎ込むみたいにすればよいらしい。すると、魔石がぼんやりと光った。どうやら、うまくできたようだ。
「あっ、そうだ。本は鞄にしまっておこう」
僕は若女将があほの娘に変貌しないように念のため本を鞄にしまう。
……5分後。
「お呼びになられましたか?」
トントンとドアを叩く音が聞こえたかと思うと、若女将の声がした。
「はい」
僕はそっとドアを開ける。
若女将はお盆の上に夕食のメニュー表、湯気が立ち上る湯呑を載せていた。
「どうぞ。入ってください」
「失礼します」
僕が入室を促すと、若女将が部屋の中に入った。そして、座布団に座ると、若女将はお盆を畳の上に置き。続いて、夕食のメニュー表と湯呑をテーブルの上に置いた。飲み終わった湯呑もすぐに回収をする。
「夕食のご予約でよろしいでしょうか?」
若女将が口を開く。
「予約?」
「えっと、まだ日は落ちていないですよね?」
そう言えば、イタリアとかスペインでは夕食が遅いとかいう話を聞いたことがある。確かにまだ日は落ち切っていない。もしかしたら、ここも同じように夕食をとるのが遅いのかもしれない。
「この国って夕食は何時頃から食べるの?」
僕は興味を持って聞いてみる。
「えっと、早くて20時位ですね。21時位から食べる人が多いです」
彼女は手早く答える。若女将なだけあって僕が異国の者だと察したのかもしれない。
「じゃあ、早いかもしれないですが、20時位に持ってきてください……すぐ決めるからちょっと、待って」
僕はメニュー表を開く。
お姉さんの通り、軽食なら銅貨2枚から、それなりに量を食べるなら銅貨5枚以上はかかるようだ。高級な料理もあるようで、高い料理だと銀貨1枚と書いてある。日本料理はないようで、ヨーロッパ風の料理の方が多い。
「えーと、じゃあ、このパンとスープ、肉料理、サラダ、デザートは……桃をお願いします……飲み物はレモンティーで。全部まとめて持ってきていいです。」
僕はメニュー表を若女将に指し示しながら注文をする。今日の夕食だけは無料なので、しばらく贅沢はできまいと気になった料理をとりあえず注文した。高い料理は遠慮して頼まなかったが合計銅貨20枚分である。1食分としては贅沢だろう。飲み物は酒類しかほとんどなかったので、茶類を選択している。衛生的な事情かなと何となく思う。昔は水だとお腹を壊すから、アルコールの入ったものが好まれていたと授業で先生が言っていた気がする。
若女将はポケットからメモを取り出すと、不満も見せずに僕の注文した内容をメモに書き込んだ。
「他にお困りのことはありませんか?」
「いえ。大丈夫です」
「では、失礼します」
若女将は部屋を出て行った。今回はかなり淡々としていたが、僕は若女将が何度かちらちらと鞄をうかがっていたのを見逃してはいなかった。おそらくはタイミングを計ってまた僕に本の売買を求めるつもりだろうと思われる。
僕は1時間分の暇つぶしを考える。やはり、「異世界の記録」の本の確認だろう。頭の中に文章は刷り込まれたが、情報の再確認をしたい。頭の中の情報と本の内容のすり合わせを行っていると1時間などあっという間だった。
夕食の時間になると若女将が夕食を持ってきた。量が多いから往復するのかと思ったけど、若女将の隣には両手にお盆を持っている案内所のお姉さんがいた。二人で持ってきたので、全て料理は揃ったようだ。若女将と違いお姉さんは割烹着を着ている。僕のことを見ると、片目で軽くウインクをしてくれた……常識人の登場に心が落ち着く。
「話は聞いたわよ……同情するわ……」
お姉さんはテーブルに料理を並べた後に僕に近づいてきて肩に手を載せた。
「……思ったよりも上級者向けの宿でした」
僕はお姉さんに素直な感情を伝えた。
「まあ、この子はまだまともだったでしょう? この子のいない時はもっとカオスだったわ」
お姉さんは若女将を見ながら言う。
「……まあ、そうでしょうね」
若女将も大概だが。言われてみれば、若女将以外に接客されたらもっとひどくなったかもしれない。あほの娘になるときはあるが、その時以外は気配りのできる良い娘だ。
「うーん。それにしても豪勢ね。お金ないんじゃないなかったの?」
お姉さんがうらやましそうにテーブルに並んだ料理を見る。一人用のテーブルなのでスペースはかなりぎりぎりだ。
「それは……」
僕は返事をしようとする。
「お、お姉ちゃん! そ、そろそろ忙しくなってくるから戻ろう?」
若女将がお姉さんとの会話に割り込んできた。どうやら、自分の失態は伝えていないらしい。
「……まさか、この子も何かやらかした?」
お姉さんが呆れ顔で僕に尋ねる。
「えーと。実は……」
「あー、駄目! お願いします、言わないでください!」
若女将は僕とお姉さんの間に割り込んで手をパタパタとし始めた。どうしても、お姉さんには知られたくないようだ。完全にキャラが崩壊し始めている……かわいい。もしかしたら、宿の狂信者どもと同類扱いされたくないのかもしれない。
だが、無情にもお姉さんは背中を向けている若女将を羽交い締めにした。
「お姉ちゃん、何すんの!」
若女将が涙目でお姉さんの方へ首を捻る……あかん、完全に幼稚化している。
「お客さんの前でそんな態度とったら駄目でしょう。ねえ、君、何があったかきちん教えてくれない?」
お姉さんは真面目な表情で僕に問いかけてくる。
まあ、宿の存続にかかわるかもしれない問題だしなあと僕は思う。
「ちょっと、待ってください」
僕の中ではお姉さんはこの町で一番信頼のおける人間なので無下にするわけには行けない。仕方がないので、僕は先ず部屋の入り口に向かい、鍵を閉めた。
お姉さんは僕のとった行動に不思議そうな表情をした。
「百聞は一見に如かずといいますから」
僕はそう言いながら、ゆっくりと鞄の方へと向かった。
「だ、駄目! 私の視界にそれを入れないで! いや、見たいけど、見せないで!」
若女将は必至でお姉さんの羽交い締めから抜け出そうとするが、びくともしないようだった。
お姉さんは訳が分からないようできょとんとしている。
僕は鞄の元へ辿り着くと、「異世界の記録」の本を鞄から取り出して、お姉さんと若女将に両手で掴んで提示した。
「ごりゅしゃんの魔じょう書!!」
若女将は物凄いパワーでお姉さんの羽交い締めから抜け出すと、野獣のように俊敏な動きで「異世界の記録」……「ゴルサンの魔導書」に飛びついた。
僕は奪われないように「異世界の記録」を引っ込めると、近づけないように右手で若女将の頭を押さえつける。
若女将は抵抗しようとするが、多少力を込めれば抑え込むのになんてことなかった。
「うわーん。にゃんで邪魔しゅるの~!」
若女将は幼児化とあほの娘が融合した状態になっているようだ……ここまでいくと、見てて痛々しい。
「……こういう訳です」
僕は同情の瞳でお姉さんを見つめる。
「……うん。私、泣いてもいいかな?」
お姉さんの瞳は完全に輝きが失われていた。