あにょほょん売っちぇくりゃしゃい!
僕は思わず叩きつけてしまった「異世界の記録」の本を拾う。
もしかしたら、おじいさんの言っていた「近いうちに分かる」というのはこの本のことを示していたのかもしれない。もしくは両方か。
僕は本を叩きつけて落ち着いたので座布団に座って本を開いた。
すると……急に本から頭の中に様々な情報が流れ込んできた。僕は本に書かれた一文字一文字がまるで脳に刷り込まれたような感覚を得る。
「何だ。これ……本の内容……いや、文字が頭の中に入ってきたのか?」
僕は頭の中に記憶されている本の文章と、実物の文章が本当に一致しているか確かめるために本を読みだす。
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初めまして、私は権田瑠偉という名の日本人だ。
この本を読めるということは、日本語を理解できる方とお見受けする。また、強制的に頭の中に本の文字を刷り込んだことを謝罪したい。
この本は地球からこの異世界……アガラタにきた日本人のための指南書のようなものだ。私は地球で命を落とし、このアガラタに地球での記憶を持ったまま赤ん坊として転生した。なので、子供の頃からアガラタの常識を学ぶことができた。だが、地球から転移してきた数人の日本人の方々とアガラタで知り合いになったところ、ほとんどが鍋蓋一枚にすっぽんぽんで放り出されたらしい。そんな状態では右も左もわからずに死ぬ寸前まで追い詰められたものもいたと聞いた。また、中には誰にも気がつかれず死んでしまったものもいるだろう。そこで、私はアガラタに転移してきた日本人のために仲間たちとこの本を執筆した。
この本は世界各地に「ゴルサンの魔導書」という道具として王族や貴族等の権力者に寄与させていただいた。また、「ゴルサンの魔導書」はこの世界初めての魔力量測定道具として寄与している。何故、そんなことをしたかというと、先ず転生者、転移者の多くは魔力……魔法を使うためのエネルギーを多く有す。もしくは特別な能力を有していることが多い。一般的には転生者、転移者のことは知られていないが、王族や貴族などの権力者は異世界からの転生者、転移者が強力な能力を有していることを知っている。この本を持ってページを開くと魔力量を測定し始める仕組みなので。権力者は異世界からの転生者、転移者らしき人物を確認すると、先ずはこの本で魔力量の測定をする可能性が高い。そうなれば、諸君らの手にこの本が渡り必要最低限の情報が頭の中に刷り込まれる訳だ。ちなみに魔力量の測定結果は最後のページにこの世界の数字で記載される。
尚、アガラタの人に本の内容を知られないために、日本語の文章そのものが脳に刷り込まれることになっている。この本は日本語が分からなければ内容は理解できないという訳だ。寄与した者には記載させられている文字に意味はなく、仕組みを探ろうとしている者へのフェイクだと伝えてある。ゆえにこの文字が読めることを周囲の人に言うのは控えて欲しい。
また、念のため、文章の理解はできないだろうが、日本語が分からない地球人のためにこの謝罪を記載しておこう。We are not good at English(私達は英語が苦手です)
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……日本人は英語が苦手だから仕方ないよね。僕もごるさんも中学英語までだし。
そして、僕はページの途中だったが、自分の魔力量が気になったので本の最後のページを開いた。この世界にきて魔法が使えないとか嫌だし。すると……魔力量の数字がバグっていた。意味不明な記号の羅列になっている。おそらく、おじいさんが僕の筋肉にはマナが満ちて足りていると言っていたから、測定不能といったところか。
そんなことを思っていると、トントンとドアが叩かれる音が聞こえた。
僕は若女将が緑茶を持って来ると言っていたことを思い出す。そして、テーブルの上に本をのせてから立ち上がり、ドアを開けに行った。
「ゴルサンの波動を感じた!」
ドアの前には筋肉ムキムキのおっさんが上半身裸で謎ポーズを決めて立っていた。僕は刹那にドアを閉めて、鍵をかけた。
僕はお姉さんから「狂信的なゴルサン信者達ばかり」と警告されたことを思い出す。そして、今度からはきちんと相手が誰か確認してドアを開けようと心に刻んだ。
「ちょ、何しているんですか。アランさん!?」
ドアの向こうから声がした。若女将が珍獣に出くわしたらしい。筋肉ムキムキのおっさんはアランという名前なのか……忘れよう。
「いや。こちらから凄まじいゴルサンの波動を感じたのでな。思わず、シャツを脱いで駆けつけてしまった」
「何で服を脱ぐんですか!? 気持ちは分かるけど、早く服を着てください!」
若女将の慌てている声がした。
気持ちは分かるのか!?
「ううむ。ここの客とゴルサンについて語り合いたかったのだが……若女将が言うなら仕方がない。警備に戻ろう」
珍獣が去っていく気配がする。あんなのが警備とは世も末だ。
すると、もう一度ドアを叩く音がした。
「緑茶をお持ちしました。入ってもよろしいでしょうか?」
若女将の声がした。どうやら、今度は本物の若女将と思われる。
僕は警戒しながらドアをそっと開けた。
すると、若女将が両手に湯呑みの載ったお盆を持って立っていた……かわいい。
「……申し訳ございませんでした。301号室のお客様には無理やりゴルサンの話はしないように全従業員へ伝えておきますので……」
若女将はお辞儀をしつつ開口一番に謝る。
「……まあ、そうですね。僕は静かであればいいです……うん。本当によろしくお願いします」
若女将がかわいそうなのでギリギリのところで許すことにする。うん、僕ってば心が広い。
「……申し訳ありません。緑茶を置いたらすぐに下がりますので」
「どうぞ。入ってください」
「失礼します」
若女将の言葉に僕が入室を促すと、若女将が部屋の中に入った。僕が座布団に座ると、若女将はお盆を畳の上に置く。
「失礼……しま……」
若女将の言葉が不自然に途切れる。
「……どうしました?」
僕は待てどもテーブルに置かれない緑茶にしびれを切らして若女将の方を向いた。すると、若女将は酒を飲みすぎた僕のお父さんようにカタカタと湯呑みを大きく震わせていた。何故か、滅茶苦茶動揺している。テーブルに中身がこぼれないのが不思議だ。
僕は異様な光景の前に心を落ち着かせようと……お盆を拝借して自分の視界をふさいだ。
「……見えなければどうということはない」
僕は頬袋に食べ物を詰めまくるハムスターの動画を思い出して心が落ち着くのを待つ……かわいい。そして、心が落ち着いたところで、お盆から半分顔を出して若女将の様子を覗いた。若女将の様子をうかがうと、その巨乳も大きく震えて……じゃなかった。視線が……「異世界の記録」の本に向かっていた。
僕は今、落ち着いている。「また、ごるさんかよ!」と叫ぶのを今なら耐えられる。
僕は若女将もこの宿の関係者……というか、幹部なのだと考えを改める。若女将はちらほらと怪しい言動をしていた。と言うか、お姉さんの話からすると両親がゴルサンの剣を探す旅に出て、それなら仕方ないと休学するような娘である。この娘も狂信的なゴルサン信者なのだろう。あの本は「ゴルサンの魔導書」という道具だったが、王族や貴族に寄与したって記載されていたから希少なのだろう。
僕はこの状況にどのような行動をすればよいかを考える。
先ず、ここの従業員は当てにならないだろう。カスや珍獣を見る限りだと、従業員を呼ぶのは悪手だと思われる。
若女将の動きを止めるというのも駄目だろう。緑茶がこぼれて本にでもかかったら何をしでかすか分からない。これ以上失態を起こしたら、「死んでお詫びします」とか言いかねないだろう。
そして、最後の選択肢は……特に問題なさそうだ。
僕は……「異世界の記録」の本を手に取り! ……立ち上がって! ……部屋の脇の鞄に入れた!
「……ふう。困難なミッションだった」
僕は汗を拭うふりをする……汗かいてないけど。
若女将の視線は鞄に向かっていた……あまりかわいくはない。むしろ、怖い。獲物に狙いを定めた野獣のようだ。
だが、僕は湯呑みを持つ彼女の震えが止まっているのに気がつく。硬直して動かない彼女から湯呑みをそっと取ると、それをテーブルの上に置いた。
「ふぅ……」
危機は去ったと安堵した後に顔を上げると、若女将はいつの間にか僕に視線を向けていた……顔が近い。まさか、かわいい女の子に顔を近づけられて恐怖を覚えるなどとは思わなかった。
そして、彼女は素早く後ずさると……土下座をしながら言った。
「あにょほょん売っちぇくりゃしゃい!」
僕はこのあほの娘にもカスの血が流れているのだと認識を改めた。