ち、違う! 誤解だ! 冤罪だ!
「……ここが異世界か……実感がわかないな」
僕は目の前に広がった景色を眺めながらぽつりと呟く。猫に食べられて異世界に辿り着いたという奇想天外な出来事に面食らわされたが、そんな気分は目の前の景色に吹き飛ばされた。
気がつくと、僕は高い丘の頂上にある大きな樹の下に立っていた。視線の先にはちらほらと樹木が生えており、地面にも幾ばくかの草花が生えている。ここまでは日本でも見たことのある景色だったが、少し遠くを見ると高い外壁に取り囲まれた町が見えた。高い外壁のある街なんて現代日本では見たことはない。少なくとも、僕は見たことがなかった。どうやら、おじいさんの言っていた通り、剣と魔法の世界に辿り着いたらしいと実感する。
丘の下を覗くと町へ向かう街道が見えたので、僕はとりあえず丘を下りて町に向かおうと考える。
そして、僕は冒険の始まりに心を躍らせ、街道へ降りやすいルートを探そうと顔を右に向けた時だった……右にいた人物と視線が合った。
その人物は金髪碧眼の美青年だった。筋肉のつきも悪くなく、ほどよい細マッチョな男だ。まともな格好をすればさぞ女性にもてるだろう。問題なのはすっぽんぽんで鍋蓋1枚という残念な格好だ。左手で持った鍋蓋で股間を隠しているのがとてもむなしい。表情も心なしか悲しみを帯びているように見える。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。
そして、僕は変態を刺激しないようにゆっくりと彼から視線を外した。
「ふう……出発だ」
僕は決め顔をしてそう言うと、すぐに丘の下に降りることにした。変態から一刻も早く離れなければならないと本能が告げたからだ。
「ちょ、待ってくれ!」
背後から慌てるような変態の声が聞こえた。
だが、僕には変態の知り合いはいない。きっと幻聴だと心に言い聞かせて、走るスピードを上げる。急な傾斜を無理やり降りてはいるが、現在の身体能力なら怪我の心配もないだろう。
「お、おっと、ちょ!?」
僕の耳には草木をかき分け、変態という名の獣が一生懸命に追ってくる音が聞こえたが、犬が吠えているだけだと自分に言い聞かせ、振り返らずに急な斜面を降りていく。
死ぬ前の肉体ではとても降りることができない急斜面を通ったからか、丘の下にはすぐに辿り着いた。
「はあ、はあ、はあ。き、聞きたいことが……」
だが、変態は非常に身体能力が高いようだった。声をかけられた気がしたが、過度の社会的ストレスによる被害妄想だったら恥ずかしいので無視をする。
僕は街道を走って急いで町へと向かった。
街道はしっかりと石畳が敷いてあるので全力で走るわけにはいけない。全力を出したらおそらくは石畳が砕けてしまうだろう。なので、結構早い程度のスピードで走っている。
「は、は、話……」
息切れが激しいようだが、後ろから追いすがる変態の声が聞こえた。このスピードについてくるとはただの変態ではないのかもしれない。もしかしたら、変態的アスリートなのかもしれないが構わずに町へと向かう。
町に近づいてきたこともあって、街道には人の姿が確認され始めた。
僕に周囲の視線が集まるのが分かる。正直言って、恥ずかしい。だが、立ち止まるわけにはいかない。そんなこんなで、しばらく走っていると、町への入り口が見えた。
町の入り口には髭を生やしたおっさんと年頃の若いお兄さんがいた。二人は革の鎧を着ており、木の先端に金属の穂のついた槍を持っている。また、何人かが入り口の門の前で並んでおり、町への入場を順番待ちしているようだった。
僕は町の入り口に向かえば門番がいると考えていた。おそらくは槍を持っている二人が門番だと思う。
この状況を打開する手段はすでに考えていた。僕は入り口に並んでいる人の後方付近で立ち止まると、あらかじめ考えていたセリフを叫んだ。
「た、助けてください! 変態! まごうことなき変態に追いかけられています!」
僕の渇いた叫び声が周囲に響くと、門番と町への入場待ちをしている人の視線が僕に集中した。
すると、門番と思わしき二人のうち髭の生えた方のおっさんが僕の元へ駆け寄ってきた。
「坊主。変態とはどういうことだ?」
髭の門番は僕に問いかける。
後ろを振り返ると変態が顔を真っ赤にして走ってきていたので、僕は変態に指を差して門番に返答した。
「あれです。変態です」
僕の言葉で髭の門番が変態に視線を向けた。
「……見たことのない変態だな。坊主、知り合いではないのか?」
思いのほか、髭の門番は冷静だ。変態を見てもまったく動揺はしていないようだった。ベテランさんの対応に僕は心強く感じる。
「ええ。高い丘で景色を眺めていたら、いつの間にか近くにいまして。刺激しないように視線を外して立ち去ろうとしたのですが、何故か追いかけられ……」
僕は正直に事実を伝えた。
すると、髭の門番は顎に手を触れて一考したかと思うと、懐から透明なビー玉を取り出した。
「坊主。手を出せ」
その言葉に応じて、僕が右手を差し出すと、髭の門番は僕の手のひらにビー玉をそっとのせる。透明なビー玉に何も変化は起きなかった。
「……嘘は言っていないようだな……おい、マルコ! 縄を持ってこい!」
髭の門番が大声で若い門番に向けて指示をする。
「あ、は、はい! 了解であります!」
若い門番は門の脇に設置してある詰め所のような建物に入っていった。
僕は若い門番はマルコというのかと何となく思う。
「坊主。返してもらうぜ」
髭の門番は僕の手のひらに載っていたビー玉を取り上げる。
「はあ、はあ、はあ……」
そんなやり取りをしている間に変態が追いついてきた。肩で息をしており、汗だくで顔を真っ赤にしている。かなり無理をしているようだ。また、よほど股間を見せるのが恥ずかしいのか、左手で鍋蓋を股間の位置にキープをしている。
自然と周囲の視線が変態に集まる。
「変態だ」
男の声がした。
「変態よ」
女の声がした。
「うーむ。いい体つきをしているな」
渋い男の声がした。
「はあはあ。たくましい男の身体……はっ!? 駄目、私には夫がいるのに! 男の裸を軽々しく見ては……ちらっ……ちらっ」
中年のおばさんの声がした。
野次馬の中には別の種類の変態がいたようだが、僕は聞き流すことにする。
「兄さん。何故そんな恰好している? 山賊に身ぐるみでも剥がされちまったのか?」
髭の門番が変態に質問をする。髭の門番は優秀なのだろう。答えやすいように変態に同情するような仕草で変態に語りかけていた。
すると、変態は空いている右手を顎に当て、一考した表情を見せると答えた。
「……そうだ」
変態が返事をした。
だが、僕にはそれが嘘を言っているように見えた。そのように答えれば、話が進みやすいと思って返事しただけのように感じたからだ。
「坊主。手を出しな」
髭の門番は間髪入れず変態に話しかける。
変態は空いている右手を一瞥すると、門番に手の平を向けた。
それを見て、髭の門番は先程と同様に変態の手のひらにビー玉をそっとのせる。すると、透明なビー玉はゆっくりと黒く変色した。
「……嘘だな」
「は? 何を馬鹿な」
髭の門番の言葉に変態は露骨に不機嫌な表情になる。
「兄さん。もしかして田舎者か? これは真実の玉といって、大きな町では裁判や町への入場確認でよく用いられるものだ。嘘を言ったら、透明な玉が黒く染まるっていう魔法道具でな。あんたは今、嘘をついたことになる」
髭の門番は先程とは違い、変態を疑うような表情になった。
「は? 馬鹿な。ただ、玉が黒くなっただけじゃないか!?」
変態は興奮しているようだ。疲労困憊の影響もあるのかもしれない。先程よりも言葉遣いが乱暴になっている。
「田舎ではどうか知らないが。ここでは、これは個人の証言よりも信憑性があるのさ。じゃあ、質問を続けよう……そうだな。あんたはこの坊主の知り合いか?」
「……違う」
変態は苛立った態度で答える。
真実の玉がゆっくりと透明になる。
「……そうだな……あんたは何かしらの魂胆があって、この坊主に近づいた」
「……ち……違う!」
真実の玉はゆっくりと黒くなった。
「……坊主。お前の目的は何だ?」
「お、俺はただ服が欲しかっただけだ!」
変態は感情を抑えきれないのか大声で叫んだ。
真実の玉はゆっくりと透明になった。
「……坊主。おとなしくお縄につきな」
髭の門番は変態の手のひらから真実の玉を回収する。
すると、マルコという門番がいつの間にか変態の後ろに回り込んでおり、あっという間に縄でぐるぐる巻きに縛り上げた。
「ち、違う! 誤解だ! 冤罪だ!」
変態は抵抗しようとしたが無駄のようだった。そのまま、マルコに引きずられて詰め所へと連行されていった。