「伝説の肉球作成」
ゴブリン退治から宿に戻ると、公衆浴場で血を洗い流した。そして、今は明かりもつけずにベッドの上に倒れ、天井を見上げている。手には生き物を殺した感覚が未だに残っていた。手を天井にかざす。だが、いつも通りの手だ。ゴブリンを殺したからって、見た目は変わらない。
怯えているゴブリンの表情が目に焼き付いてしまって、今日は槍と魔法の練習をする気になれなかった。師匠には一応、今日は槍の練習はしないと伝えている。
「……はあ、こんな時、日本なら一人でできる娯楽もあるんだけどな」
今日はひどい表情になっていると予想できるので、他の人にもう会いたくなかった。目を閉じてみるが、数分で目は開いてしまう。
「……目を閉じても眠れない。こんな時はこの体も不便だなあ」
明日はようやくデュマさんが戻ってきたので、「伝説の肉球」を作るのに立ち会うことになっていた。なんでも、デュマさんは崖から落ちたらしく、帰りが遅くなったとのことだ。幸い、大きなけがにはならなかったそうで、明日の早朝に来て欲しいと連絡があった。
「……筋トレでもやるか」
ベッドから地面に降りると、暗い心を探るように腹筋を行う。そして、腕立て、スクワット、背筋、ストレッチをひたすら行う。
……気がつくと朝になっていた。カーテンの隙間から鮮やかな朝日の光が挿し込んでいる。筋トレのおかげで少しばかり、気分は晴れていた。気合を入れるために、顔を両手で軽く叩く。
「うん。朝食を取って出発しよう」
デュマさんの家は、「ホテルゴンダ」のある3番通りを抜け、更に奥にある4番通りあった。4番通りは中流階級の住宅街らしい。デュマさんの家には工房があるので、実験などで迷惑が掛からないように、最奥の端に家を建てたと聞いている。
「それにしてもすごい家だな」
若くて品の良いメイドさんに案内された部屋には立派な絵画、壺などの調度品が飾られていた。魔物の研究者と自称していただけあって、絵画には立派なドラゴンが描かれている。また、家具には詳しくないが、座ったソファーは程よい沈み具合で、目の前にあるテーブルは一目で年代物だと分かるような一品だった。
デュマさんの家に辿り着くまで、4番通りにも広い邸宅は多数見られた。だが、デュマさんの家は4番街の中では別格で、家に入るまでに大きな庭を通る必要があり、大きさも一回りどころか、二回り以上大きい。また、中では執事やメイドも当たり前のように働いていた。
「……おいしい」
テーブルに置いてあるティーカップを手に取り、紅茶を飲む。お茶と言えば緑茶と思い込んでいた自分の認識を改めさせるほどの味がした。茶葉も相当いいものを使用しているのだろう。
「やあ、待たせたね」
デュマさんがドアをノックした後に部屋に入ってきた。相変わらず、ダンディーな顔をしている。また、今日は作業を行うからか、作業着のような地味な服を着ていた。崖から落ちたと聞いてはいたが、外観からは疲労などは感じられない。
「おはようございます」
挨拶をすると、デュマさんがこちらを見て微笑む。
「ああ、おはよう。では、早速だが工房へと案内しよう。ついてきてくれ」
デュマさんが部屋の外を手で差し示す。紅茶が少し残っていることに憂いつつも、デュマさんの誘導に従って、ソファーの脇に置いた鞄を回収して部屋を退出した。
「崖から落ちたと聞きましたが、大丈夫なんですか?」
「ああ、心配してくれてありがとう。取り敢えず、治癒魔法をかけてもらったから大丈夫だ。それよりも、作り方の書いてある本と材料は忘れていないだろうね」
「大丈夫です」
鞄をポンと叩く。
「それなら安心だ。私は未知のものが好きでね。今も胸が躍っているんだ」
デュマさんが少年のような笑顔を浮かべる。
「僕も工房といったものがどのようなものか知らないので楽しみです」
「ははは。自分で言うのも何だが、自慢の工房でね。楽しみにしてくれてもいいぞ」
デュマさんの言葉に自然と笑みがこぼれた。そして、世間話をしながら移動し、一度家の外を出て、庭園を通り、離れにある工房へと辿り着く。
工房と呼ばれている建物でも、一般的な家くらいの大きさがあった。レンガで作られた建物で、火を使用することもあるのか、煙突も建てられている。
デュマさんが鍵を取り出して、扉を開ける。
工房の中には学校の理科室のように流し台と大きなテーブルがあった。ただし、流し台に水道の蛇口はついていない。おそらくは下水道はあるが、上水道はないものと思われる。奥には薬品の入っている金属でできた棚も見受けられた。また、暖炉があり、刃物、おたま、他にも何に使うのか分からない形状の道具が壁にたくさんかけられている。
「どうだ、立派なものだろう」
「はい、すごいです。これなら「伝説の肉球」を作れると思います」
「ふふふ。では、先ずは本を貸してくれないか?」
「はい」
鞄から「調合と錬金」を取り出してデュマさんへと渡す。
「ありがとう。では、あちらで確認するとしようか」
デュマさんは本を受け取ると、テーブルへと向かったのでついていく。
テーブルの上には大きな金属のたらいがあり、中には緑色の液体につけてある猫の毛皮が入っていた。日本でもよく見る大きさの白、茶、黒の三色の毛を有している三毛猫の毛皮だ。また、肉球だけは取らずに解体している。
これが、デュマさんが捕まえた「猫」なのだろう。また、「調合と錬金」に書かれていたように毛皮を薬品につけてあった。毛皮というのはそのままだと固くなったり、腐ったりするため、様々な処置をした後に薬品につける必要があると、本に書いてあったことを思い出す。
「急いでいると聞いたから。昨晩、使用人に命じて、すぐに加工に入れるようにしておいた。あとは洗った後に乾かして加工するだけだ」
デュマさんは本をテーブルの上に置く。そして、テーブルに置いてあるマスク、皮手袋を装着した。
また、こちらにもマスクを渡してくれたので、装着をする。
「まあ、見ていてくれたまえ」
デュマさんは毛皮をたらいから取り出すと、中の液体を流しに捨てた。そして、木枠に毛皮を伸ばした状態で張り付け、魔法で乾かした。その後も、手慣れた手つきで薬品を手早く塗り、乾かすのを繰り返していく。
数時間も経つと、それは清潔な毛皮となっていた。
「あとは……と」
デュマさんはそこで本を手に取る。そして、しばらく経つととこちらに顔を向けた。
「寄生草のつるをくれないか」
鞄から寄生草のつるが入った瓶を取り出して、デュマさんに渡す。
デュマさんはそれを受け取ってテーブルの上に置くと、首を捻りつつも猫の毛皮、寄生草のつるを大きなはさみや刃物、裁縫道具などを使って加工していく。昼休憩をはさみながらも、夜には猫の手を模した手袋が完成した。
「ふむ、こんなものかな。どうだろうか」
デュマさんは出来上がった「伝説の肉球」を片手に持ち、こちらに示してきた。本に記載しているものと寸分たがわぬ出来だ。
「これが、伝説の肉球……」
デュマさんを見ると、自信に満ちた表情でこちらに笑いかけてきたので、笑みを返した。
これで食堂のおっさんの娘さんを救えるだろう。




