「猫の件」
「あ、走っていく」
女の子は僕の「土の防壁」を破壊すると、僕に見向きもせずに公園の奥へと走っていった。
僕は食堂のおっさんが捕まえてくれと叫んでいたので、女の子を捕まえた方が良いと判断して追いかける。見失っては困るので足にかなりの力を込めて走るとすぐに女の子に追いつくことには成功し、僕と女の子は並走する形になる。
女の子は少し傷んだ白いワンピースを着ており、長い茶色い髪をポニーテールでまとめていた。日本であれば中学生位の幼い顔立ちが特徴の女の子だ。猫パンチを繰り出しながら走っていなければ可愛い女の子なのだろうが、状況から見た目がシュールになっている。
「……止めるにはどうすればよいのだろうか?」
僕は走っている女の子を立ち止まらせる方法を考える。そういえば、女の子は僕の「土の防壁」に先程攻撃を仕掛けていた。これは使えるかもしれないと思い、早速魔法を唱えることにする。
「土よ。我が魔力を纏い、敵を妨げる壁となせ。土の防壁!」
僕は女の子の進行上に「土の防壁」を素早く作り上げる。
「伝説の右手にゃ!」
女の子は「土の防壁」を走ったままの勢いで猫パンチを繰り出して破壊した。少しは勢いを殺したようだが、止まってはくれないようだ。そして、どうでもいいが頬を紅潮させてかなり気持ちよさそうである。
「土よ。我が魔力を纏い、敵を妨げる壁となせ。土の防壁! 土よ。我が魔力を纏い、敵を妨げる壁となせ。土の防壁!」
僕は続けて魔法を連続で2回唱え、1つ目は進行上に、2つ目は1つ目の横1歩離れた場所へ「土の防壁」を設置する。
「超気持ちいいにゃ~!」
すると、女の子は進行上の「土の防壁」を破壊し、続けてすぐにまだ破壊されていない2つ目の「土の防壁」に顔を向けた。また、口元からよだれが垂れて目がとろけている。何かちょっとエロく見える。
思った通り、「土の防壁」に引き寄せられるようだ。おそらくは壊しやすいものに反応するのだろう。あと、様子を見る限りでは何かを猫パンチすると気持ちが良いのだと思われる。
「土よ。我が魔力を纏い、敵を妨げる壁となせ。土の防壁!」
僕は努めて冷静に女の子の背後へ3つ目の「土の防壁」を出現させた。
「はぁ~、幸せにゃ~」
女の子は素早く2つ目の「土の防壁」を猫パンチで破壊する。もう完全に呆けて目がいっている。
あヘ顔とかはちょっと……ここまでくると流石に僕も守備範囲外である。
僕は女の子が3つ目の「土の防壁」へ振り向いたのを確認すると、4つ目の「土の防壁」を女の子の背後に出現させる。そして、何度か同じループを繰り返して、女の子をその場に止めることに成功したと確信すると、女の子の正面に回り込み両手を掴んで身動きを取れないようにした。
「パンチ! パンチさせてにゃ~! もっと気持ちよくしてにゃ~!」
女の子は必死な表情と声で抵抗する。だが、女の子の力では僕の腕を振りほどけない。
ちょっとエロいと思ったが、流石にここまでの異常行動をとる人物を間近に見るとかなり気味悪く感じる。正直に言って、ここまで恐ろしい病気だとは思わなかった。これは、早く一刻も早く治してあげなければならない。
「す、すまない。そのまま、動きを止めておいてくれないか」
背後からの声に振り向くと、そこには右手に紙袋を持った食堂のおっさんがいた。息を激しく切らしており、必死で追いかけてきたのが伝わる。
「えっと、これはどうにかなるものなのでしょうか?」
「ああ、薬を飲ますから待っていてくれ」
食堂のおっさんはそのように告げると紙袋から赤い液体の入った口の細い小瓶を取り出す。おそらくはあれが薬なのだろう。彼は女の子の横に移動すると、女の子の顎を片手で無理矢理持ち上げる。次に小瓶の蓋を口で外し、飲み口を指で器用に支えながら女の子の口内に入れた。そして、指をかまれながらも小瓶を上に傾けて薬を女の子に飲ませる。ずいぶん手慣れているようだ。
無理矢理薬を飲ませているせいか、女の子の口元からは薬が垂れて地面に落ちてしまっていた。それでも、小瓶の薬を飲み終わると、女の子の抵抗も徐々に弱まっていく。
「もう大丈夫だ。すまないが、手を離してくれないか」
「分かりました」
僕は食堂のおっさんに言われた通りに手を離す。
すると、食堂のおっさんは女の子を引き寄せて正面から抱きしめ、胸の中に顔をうずめさせた。
女の子は食堂のおっさんの胸の中で「うー、あー」と悲痛な声が漏らしている。茫然と見ていると、彼女はそのまま力尽きたかのようにおっさんの胸の中でおとなしくなった。
食堂のおっさんは女の子がおとなしくなるのを確認すると、女の子を背負った。
女の子を見ると、目元が赤くなりながらも背中で穏やかな寝息を立てている。どうやら、完全におとなしくなったようだ。
僕はその姿に安堵する。
すると、食堂のおっさんは余裕ができたからか僕の顔をじっと見てきた。そして、少しの沈黙が流れると非常に驚いた顔になる。
「この間の……本当にありがとう」
食堂のおっさんは頭を深く下げる。
どうやら、僕を覚えていてくれたようだ。
「いえ、こういう時はお互いさまということで」
「すまない、そう言って貰えると助かるよ」
食堂のおっさんはそう僕に告げると、女の子の方に顔を向けながら背負い直す仕草をする。
「えっと、何でこんなところに? 外に出すのは危ないのでは?」
僕はおっさんが背負っている女の子を見ながら質問をする。
「あまり薬に頼りすぎても徐々に効き目が弱くなるらしくてね。安息日の夜なら人が少ないから、1週間に1度だけ公園に連れ出して猫パンチをさせているんだ。ただ、攻撃しやすいものを目にすると本能で猫パンチしたくなるようでね。いつも家から持ってきた枕を猫パンチさせているのだが、君が魔法で作った土壁に興味を持ったんだろう。しばらく枕に夢中だったんだが、急にそちらに走っていってしまったんだ。大事にならずに済んで良かったよ」
「それは……何と言えばいいか」
僕はどのように返事をすればよいか困惑する。
「おっと、すまない。こちらが迷惑をかけたのは重々承知している。魔法の練習中だったんだろう? 邪魔にならないように今日はもう帰るよ」
おっさんは本当に申し訳なさそうな表情でお辞儀をすると公園から去っていった。背中からは何とも言えない哀愁が漂っている。かなり疲れているのだろう。早く何とかしてあげたいものだ。
「……「猫」の件はどうなっているんだろう? 材料が集まらないと何もできない」
僕は食堂のおっさんの現状を目の当たりにしてしまったことで、師匠に明日、「猫」捕獲についての進捗がどうなっているかを聞こうと心に誓った。そして、宿に戻って「導きの光球」の練習を続けているといつの間にか夜が明ける。
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僕は次の日になるといつもの朝食を取って階下に降りる。そして、受付で師匠がどこにいるかをソフィアに聞いてみた。
「おじいちゃんなら庭で掃除をしていますよ」
「ありがとう」
僕はソフィアにお礼を言っていつも槍の修業をしている庭へと向かう。
ソフィアに言われた通り、師匠は庭で槍ではなくほうきを持って掃き掃除をしていた。気分が良いようで鼻歌交じりでリズムに乗って掃除を行っている。珍獣と違って、仙人みたいな見た目の師匠は掃除姿がよく似合う。
「ゴルサンのひつじ、ひつじ、ひつじ。ゴルサンのひつじ、おいしいな~」
「……メリーさんすみません」
僕は歌を作った人は知らないので何となくメリーさんに謝る。あと、歌詞が違うように思えるのだが気のせいだろうか。
「ゴル……、馬鹿弟子か。何か用か?」
僕が近づくと師匠は歌と掃き掃除を止め、こちらへ顔を向ける。
「この間の「猫」の件ですが、デュマさんから何か連絡ありましたか?」
「まだ、連絡はないの。お前が戻って来るまでには聞いておこう。あ、そう言えば、寄生草のつるをリンダからもらっておこうと思うのだが、どれだけ必要なのか分かるか?」
「えっと、ちょっと待ってください……この本にはなるべく細いものを……300ミリメートルもあればいいと書いてありますね」
「分かった。まあ、安心して仕事に行くがいい。全部任せておけ」
師匠は僕にそう告げるとそのまま掃除に戻る。そして、次は「世界に一つだけのゴルサン……」とか歌い出した。ごるさん、流石に君がこの歌を自分で作詞したなら著作権侵害で訴えるよ。まあ、少しリズムはいじっているようだけど。
「……ありがとうございます。では、僕もこれで」
僕は異世界で突っ込んでも仕方がないと思い、師匠に礼を告げるとギルドへ向かうことにした。
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採取の手伝いとトンネル工事の土砂運びをいつも通り終え、宿に戻ると受付に師匠がいた。
「帰ってきおったか。待っておったぞ」
「師匠、「猫」の件はどうなりましたか?」
「今日の早朝に捕まえにいったらしい。順調にいけば、明日にでも戻って来るそうだ」
「明日ですか、約束通りに1週間以内に捕まえられそうでよかったです」
僕は「伝説の肉球」は何とかなりそうだと思い、安堵する。
「それと、寄生草のつるの方もすぐ手に入るそうだから、リンダに貰えるように頼んでおいた。明日には持ってきていれるそうじゃ」
「なるほど、では明後日には「伝説の肉球」を作れそうですね」
「そうだの。果報は寝て待てとゴルサンも言っておるし、心配せずに過ごしておれ」
「……ははは、そうします。では、僕はのんびりと風呂にでも入らせてもらいますよ」
僕は「果報は寝て待て」がごるさんによるものとなっていることに顔を引きつらせる。
「おう。今日も庭で待っているから槍の修業も忘れるなよ」
「はい、分かりました」
僕は部屋に戻ってから風呂に入ると夕食を取り、師匠に言われた通り庭でエレナさんと槍の修業を行い、その後に公園で魔法「土の防壁」の修業、宿に戻ってきてから「導きの光球」の修業というここ最近の日課をこなすのであった。
今までは、最後の変なセリフをタイトルになるようにしてきましたが、きりの悪いところで切れることもあったので、今回から適当につけることにしました。