……変態、貴族とブルーノ
夕食を食べた後、槍と短剣の修業を終えた僕は師匠と共に廊下を歩いて受付にいるエレナさんの元へと向かっていた。
「僕から話は切り出しますから、取り敢えずは待っていてください」
「儂からエレナに槍を教えてやると言うのは駄目なのか?」
「駄目です。あくまで、教えてもらう側のエレナさんから言ってもらわないといけないと」
僕はすでに師匠への根回しを終えていた。修業を始める前に確認したところ、「もちろん、教えることに抵抗はないぞ。むしろ、嬉しい位じゃ」とお墨付きをもらえた。あとは、エレナさんへの切り出し方の問題である。あれだけ悩んでいたのに、変に師匠から話を切り出せば、「私が悩んでいたのは一体何だったのよ!」とか、エレナさんが反発する可能性もある。
「……あなたは告白を断られたにも関わらず、もっと真剣に頼めば付き合ったのにと後で言われて怒らない自信はありますか?」
「儂はよほどのことがない限り、引き下がらないタイプじゃからそんな気持ちは分からん」
カスは鼻をほじりながら僕に答える。カスが! 世の中には押しの弱い人もいるんだよ! というか、エレナさんからするとかなり頼みこんだみたいだし。それだから、お前はカスなんだよ! だが、駄目だ。ここで暴言を口に出すのはいけない。ラッコが一生懸命に貝を割るアニマル動画を思い出すんだ……なごむ。
「……前もって話した通り、エレナさんが自分から話し出すまで黙っていてくださいね」
「分かった。分かった」
この人は本当に分かっているのだろうか? そんなことを考えていると、宿の受付へと辿り着く。あらかじめ聞かされていた通り、そこにはエレナさんがいた。
「あ……マサムネ君、とおじいちゃん……」
エレナさんは困惑するような表情を浮かべていた。僕はあらかじめ考えていた作戦通りに間髪入れずにエレナさんへ近づいていく。一方の師匠はこちらの話が聞こえないように少し離れた場所に待機させておいた。
「マサムネ君、これってどういうこと?」
エレナさんは師匠に聞こえない程の声で少し不満気に僕に声をかける。師匠が来るとは予想もしていなかったからだろう。
「僕が連れてきたんです。やっぱり、師匠に教えてもらった方が効率良いと思って」
「さっきも言ったけど、おじいちゃんが教えてくれるはずないよ」
「その点は心配ありません。ちょっと、仕込みを入れまして」
「……仕込み?」
エレナさんは僕の言葉を聞いて少し怪訝な表情になる。
「僕は師匠の弱みを色々と握っているんです。そのことを話したら、エレナさんから頼むのならば教えてくれると約束してくれました」
「……えっと、おじいちゃんの弱みって?」
「それは秘密です。ただ、きちんとエレナさんから頼めば槍は教えてもらえます」
まあ、本当は師匠を脅してはいない。弱みはいくつか握っている気がするけどね。
「……ちょっと待って、急にそんなこと言われても心の準備ができてない」
エレナさんは不安そうな表情をしている。ただ、僕のいうことに疑いは持っていなさそうだった。ここで、一気に畳みかけよう。
「これはエレナさんの悩みを一つ解決できるチャンスですよ。今、ほんの少し勇気を出すだけでいいんです。それに、無いとは思いますが、断られたとしても僕が教えてあげますから」
「……分かった。やってみる」
エレナさんは不安げな表情ではあったが、顔を上げて気合の入った引き締まった表情となった。うん。頑張ろうとしている人の表情はいいものだ。
僕とエレナさんは壁にもたれかかって待機している師匠の元へと向かっていく。
「やっと、来たか」
師匠は少し偉そうな態度で僕等を見て声を出した。おーい。そういう物言いが、誤解を積み重ねていく要因となるんだぞ。
「おじいちゃん、私から頼めば槍を教えてくれるって、本当?」
「……ああ、本当じゃ」
二人が対峙する。僕は少しハラハラしながらそれを見守る。
「おじいちゃん、お願い。私、本当は昔から冒険者になりたかったの。だから、槍を教えてください」
エレナさんは気合を入れた表情と言葉で頭を下げる。
「……ふむ。儂の修業は辛いぞ?」
師匠は根踏みをするような表情で言う。
「覚悟の上です」
「冒険者になりたいと口にはしているが、今の仕事はどうする?」
「今の仕事は辞めます。お金は貯めてあるから問題ないわ」
「……ふむ。それなら、早速だがこれから修業を始める。庭で待っとるから、着替えてきなさい。その恰好では修行には不向きじゃ」
全く問題なく話は収まった。これだけの会話をすればよかったのに、家族のすれ違いとは本当にどうしようもないものである。師匠は今まで見せたことのない優しい表情になると、庭に行く道を引き返していった。微妙に体が震えているから、正面から見ると嬉しくて鼻汁を垂らしながら泣いているんだろうな。
「……やった! やったよ! マサムネ君!」
エレナさんはあまりに嬉しかったのか正面から僕に抱き着いてきた。すごい役得である。甘くて女性特有の香りがする……エレナさんも結構胸があるんだな。服の上からでは分かりづらかったが、着やせするタイプなのだろう。おそらく、この一族は巨乳の遺伝子を有しているものと僕は推測をした。いつか出会う可能性があるかもしれない姉妹の母親も大きいのではないかと妄想する……でも、ゴルサン狂信者なんだよな。
「よ……良かったです」
僕はエレナさんの肩にそれとなく手を回してばれない位に抱き返しながら返答する。イエス、タッチ! ……セクハラではありませんよ? あちらから仕掛けてきたんですから。
「あ……ごめんね。急に抱き着いたりして」
エレナさんは恥ずかしく感じたのか頬を赤く染めて僕から離れる……もっと抱きついていても僕は構いませんよ? セクハラになるので口には決して出しませんが。
「いえ。嬉しかったら、喜ぶだけ喜んでいいんですよ。我慢しないでください」
「う、うん。ありがとう」
エレナさんの目が少しうるんでいる。そんなに嬉しかったのか。うーん。落ち着いて、安心したから涙が出てきたのかな? こういう泣き笑いの表情の女性って可愛いよね。抱きしめたくなる。
「……あ、おじいちゃんを待たせすぎるといけないから行くね?」
「ええ。これで兄妹弟子ですね」
「ふふふ、そうね。本当にありがとう」
エレナさんはその場から足早に去っていく。僕は今更ながらに恥ずかしくなり頬を赤く染め……急に頭の中でピキーンという効果音が鳴った。僕は第六感に従って紳士かつ真剣な表情で素早く前方へステップしながら背後を振り返る。すると、そこにはリンダ様が仰々しいオーラを纏って降臨なされていた。まあ、オーラは僕にしか見えていないだろうが。
リンダ様の手を空中に漂わせている姿勢を見ると、どうやら僕に目隠しをしようとしていたらしい。おそらくは背後から「だーれだ?」とか、「私は誰でしょう?」とか恐ろしいいたずらを行おうとしていらっしゃったのかと思われる。リンダ様、止めてください。そんなことされたら、僕のSAN値(正気度)が削られてしまいます。
「……何で、避けるの? というか、よく反応出来たわね……でも、避けないでよ。何か、私が恥ずかしいじゃない」
リンダ様は手持ち無沙汰なのか意味もなく手をワキワキさせる。何か、触手に見えて怖いから止めて欲しい。あ、止めてくれた。怖いから心を読まないでください。
「リンダ様、おたわむれはお止めください。理性が暴れるところでしたよ」
「お、おたわむれ!? ……うん? 理性って暴れるものなの?」
「……言葉の綾です」
「そ、そう。それにしてもあなたもやるわね」
「え? 何のことでございますか?」
「……普通に話していいのよ?」
「え? 普通にお話しさせていただいておりますが、何かしらご不便がおありですか?」
リンダ様はおかしなことを言う、普通に喋っているだけじゃないデスカ。
「……まあ、いいわ。エレナのことよ。あの子に浮いた話はあまり聞かなかったけど、男性と抱き合うところなんて初めて見たわ」
「えっと、どこから見ていました?」
「エレナが何かしら大声で叫んでいたところからね。声に驚いて行ってみたら、二人で結構長い抱擁をしていたから、そこの角で隠れていた訳。エレナがこっちに走ってきたときは心臓がバクバクしたわ」
そこからか、それならそのような誤解を受けても仕方がないだろう。
「それなら、ちょっとしたことで、喜びのあまり抱き着いてきただけで、僕を好いて抱き着いてきたわけではないですよ」
「ちょっとしたこと?」
「聞くなら本人に聞いた方がいいですよ。僕から話すのは少し違うような気がするので」
「……まあ、それはそれでいいけど。あなたもどさくさに紛れて結構抱きしめ返していたわよね?」
「……ははは。僕も手伝ったことだからつい嬉しくなったんですよ」
きっちりと細部まで見ていたリンダ様に僕は恐れを抱く。駄目だ。話題を変えなければリンダ様のオーラに飲まれてしまう。
「ところで、今日は午前中にリンダ様とは違う人に森の採取について教えてもらったんですよ。リンダ様が言っていた通り、ポーションの材料って他の森にも生えているんですね」
「ああ、ピッポから聞いているわ」
「ピッポ?」
「えっと……あなたと一緒に採取に行った男の名前よ。ここでコックしているの。彼の作った食事をあなたも食べているはずよ」
「ああ、今日一緒に採取した人はピッポさんという名前なんですね」
「正確には愛称だけど……何でかしら? 彼、人に顔と名前を憶えてもらうのが苦手みたいなのよね」
「……確かに今、頭の中に何とか顔を映し出せましたけど、あの人って影薄そうですよね」
「まあ、否定はしないわ。いつも気がついたらそこにいるって感じだし。と、そうそう。私、エレナと受付を交代に来たのよ」
リンダ様は先程までエレナさんが座っていた受付へと行き、椅子に座る。僕もそれを見ると、去ろうと……
「受付って暇だから、もう少し話していかない?」
リンダ様は机をトントンと叩く。止めてください。あなたが音を出すと、何か怪しげなモンスターが近づいてくる幻聴が聞こえてしまいます。
だが、僕はそう思いつつも逆らえない。何故か、リンダ様の方に向かってしまう。あれ? 部屋に戻りたいのに何故だろう? すると、リンダ様は蠱惑的な笑みを浮かべて話始める。あ、僕、死ぬかもしれない。
「今日は久しぶりに私が拷問担当したの。初めは●を剥がしたり、イタイイタイ茸のエキスを●●●たりしたけど、それでも要領を得ない発言を繰り返したから、ブラッドチェリーの葉を……」
「もう、止めてください。一般的な人間は拷問の話を暇つぶしに聞きたくないです」
僕は涙目で懇願した。泣いて懇願するなんて初めてだ。僕の心は限界かもしれない、一部の言葉が塗り潰されたかのように聞こえる気がする。
「……あ、ごめん。そうだったわ。昨日の言っていたことを周りにも聞いたけど、こういうことはあまり話題にしない方がいいのよね……あ、そうそう。なら、これは本当なら言ってはいけないことなんだけど」
「これ以上は止めてください。パワハラですよ」
僕は嫌な予感がして、本気で聞きたくなかったので耳をふさぎながら言った。
「パ、パワ? えっと、君に関係ある話みたいだから、話してあげようとしたんだけど……」
「うん? もう一度言ってくれませんか?」
僕はリンダ様の困惑した表情を見て思わず耳から手を離す。
「えっと、君に関係ある話みたいだから、話してあげようとしたんだけど……」
「僕に? 拷問の話じゃないですよね?」
「拷問をした相手が君に関係あるの。マサムネ君って、町に入るときに騒動に巻き込まれたって報告書に書いてあったけど」
「……ああ、あの変態のことですか」
僕はこの世界に来た時にそんなことがあったなあと思い出す。衝撃な出来事ではあったが、こっちの生活になれるのに必死ですっかり忘れていた。
「加害者のえっと、変態君? 彼の拷問をしていたらね。何故か分からないんだけど、貴族様が来て彼を引き取っていったのよ」
「変態が貴族に?」
「ええ。何だか、武装した人までいて仰々しかったわ。彼、君のことを恨んでいたようだから、一応伝えておいた方がいいかなって」
「変態が僕を恨んでいる? ……うーん。恨まれるようなことは……」
僕は頭をフル回転させて当時のことを思い出そうとする。僕からすると、いきなり全裸の変態に追いかけられたから逃げたけど……彼視点から見れば、服が欲しかっただけなのに変態扱いされ、更に拷問を受けて……
「最初は「信じてくれ」としか言わなかったんだけど、イタイイタイ茸を●●●てから、あいつのせいだってぶつぶつとつぶやき始めたから、痛みから心の奥にあった思いが込み上げてきたんだと思うわ」
「それって、リンダ様の拷問のせいでは?」
「……職務だから仕方がないじゃない」
リンダ様はふくれっ面を僕に向ける。すいません、可愛いとは思いますが、怖いので怒る仕草は控えていただけますか?
「……でも、いくら僕のことが心配だからってこんなこと話していいんですか?」
「それがね、その場にはブルーノもいたの」
「え? ブルーノが? 何で?」
「ブルーノは金貸しだから貴族ともつながっているの。本当はいけないんだけど、変態君が君を恨んでいるってなると、何か起きるかもしれないから一応伝えておこうかと思ってね」
「……変態、貴族とブルーノ」
僕は予想しなかった組み合わせに嫌な予感を覚えるのであった。