槍を教えさせてください!
僕は棚をあさる……石鹸を2個手に入れた! ヘアーコンディショナーを1袋手に入れた! タオルを2枚手に入れた! 歯ブラシを2本手に入れた! 歯磨き粉を1袋手に入れた! 金属のコップを1つ手に入れた! 布袋を2枚手に入れた! 布袋へ手に入れた物品をしまった!
「……ふう。他に必要なものは」
僕は珍獣と一緒に宿へ戻ると、カスから襲撃をされたことをソフィアに告げた。そして、珍獣に口添えをしてもらい、今は従業員用の部屋で生活用品を物色している。
尚、珍獣にお咎めはなかった。詳しい内容は語らなかったが、どうやら珍獣がカスに脅されていたのは本当らしい……本当にカスはカスである。ちなみにいまだ目覚めないカスを見るソフィアの瞳は年頃の娘が父親を汚物として認識するような冷たい瞳をしていた。
「あの、桶ってありますか?」
「桶ならこちらですね」
僕の問いかけにソフィアが部屋の奥の方へ案内をしてくれた。桶は部屋の隅に積み重なっていた。ソフィアは桶を1つとって僕に渡してくれる。
「どうぞ」
「ありがとう……とりあえずはこんなものかな」
僕はソフィアに礼を言う。
「もし後で欲しいものがあれば、お申し付けください。全て祖父持ちですから。次はお風呂ですが、荷物はいかが致しますか?」
ソフィアがにこやかに僕に尋ねる。言われてみれば、鞄と布袋の荷物、桶とかなりの量だ。
「えーと。部屋に運んでもらうことってできます?」
「もちろんです」
「……では、お願いします」
「こちらに置いていただけますか。あとで部屋にお持ちしますので」
ソフィアが部屋の隅を示す。
僕は風呂に必要なものだけを桶に入れて、残りの荷物は言われた通りの場所に置いた。
「では、行きましょうか」
ソフィアはそう言うと、従業員用の部屋から出て行った。僕もそれについて行く。
昨日は気がつかなかったが、この宿にも風呂はあるらしい。昔、風呂は高級だったと聞くが、粉でできているとはいえヘアーコンディショナーや歯磨き粉なども普通に存在していたため、やはり文化レベルはかなり高いようだ。
従業員用の部屋は1階にあり、風呂場も1階にあったためすぐに辿り着く。
「では、ごゆっくり」
ソフィアは僕に会釈して去っていった。
僕が風呂の入り口を見ると男湯と書いてあった。隣に女風呂はないため、完全に場所が分かれているのかもしれない。中に入るとここのお風呂は日本の大浴場とほとんど同じようで、木片の鍵のついたロッカーがあり、そこに荷物をしまう仕組みのようだった。見る限り他の人はいない。僕は服を脱いで桶の中に必要なものを入れると風呂場に向かう。
「結構広いな」
風呂場は木で建築されていた。硫黄の香りなどしないので温泉ではないようだ。シャワーがなく、代わりに洗い専用と書かれているに巨大な桶があり、大量のお湯が入っていた。どうやって、これだけ大量のお湯を沸かしているのだろうか?僕はとりあえず、桶にお湯を汲んで頭からお湯を被ることにする。そして、石鹸で体と髪を洗い、ヘアーコンディショナーを取り出した。背面に使用方法が書いてあったので、桶にお湯を入れてコンディショナーの粉を溶かす。これを少し髪につけて浸透させればいいらしい。僕は手早くコンディショナーを髪に浸透させて、念願の風呂に向かった。
僕は桶を軽くすすいだ後に身体を拭いたタオルを入れて風呂の脇に置くと、湯船の中に入る。
「ふう。何か、疲れが取れる気がする」
僕はお湯のほんわりとした感触に精神を癒される。そして、明日のことをのんびりと考え出す。
先ず、明日の午後はまた、同じようにトンネルで働かなければならないかな。あと、服がもう2着は欲しい。そう言えば、剣とか冒険者っぽい装備は買った方がよいのだろうか? ……ゲームみたいにいくらでも入るアイテムボックスとかあれば便利だろうけど、実際にあるのかな?このままだと荷物が多くなるし……。
そんなことを考えながら、10分程湯船につかっていると他の人が入ってきた。僕は体も十分に温まったので桶を回収して、股間をタオルで隠しながら風呂から出ていく。
部屋に戻ると、すでに19時30分になっていた……受付で鍵を受け取った時に夕食頼めばよかったな。
僕は桶をテーブルの上に置くと呼び出し用の魔石に念じてソフィアを呼び出す。
ソフィアは10分位で部屋へと来た。手には夕食のメニュー表を持っている。
「えっと、先ず、これを乾かす場所ってある?」
僕はテーブルにある桶とタオルを指差す。
「それでしたら、1階から出られる庭に共用の洗い場があるので自由にお使いください」
ソフィアが笑顔で返事をする。
庭にそのようなものがあったのか。昨日はカスのせいで気がつかなかったようだ。
「あと、夕食の準備もお願いします」
「はい。ではこちらを」
ソフィアが僕に夕食のメニュー表を手渡す。
「えっと、じゃあ、これと安い方のスープで」
僕はメニューをソフィアに指し示しながら、肉をパンにはさんだものと安いスープを頼む。
「銅貨3枚となります」
ソフィアは笑顔で僕に視線を向けて言う。
僕は銅貨3枚を鞄から取り出してソフィアに渡した。
「ありがとうございます。すぐにお持ちしますか?」
「うん。すぐでよろしく」
ソフィアはそのまま部屋を出ていく。どうやら、今回はあほの娘にならずにすんだようである。
僕は部屋の鍵を閉めると、勉強のために鞄を開けて赤いカバーのリンゴについて書いてある本を取り出そうと……した時だった、昨日嗅いだ間違えようのない若女将の豊満な香りが鞄の中からした。おそらくは僕が風呂に入っている間に「ゴルサンの魔導書」を再び堪能したのだろう。
やはり抜け目がない。あほの娘にならなかったのは事前になっていたからだと思われる。さてと……いや、ここで慌ててはいけない。夕食がすぐに来る可能性があるからだ。僕は変態行為をする時は誰にも見られないように慎重に行う派である。
僕は赤いカバーの本を取り出して布団の上に叩きつけると、素早く窓の障子を閉め、外界から視覚的にこの部屋を完全に遮断した。部屋の鍵はすでに閉めてあるので抜かりはない。そして、もちろん時間を確認する。時間は19時43分だった。予測では19時50分までは確実な安全圏だと考える。おそらくは20時過ぎにくる可能性が一番高いだろう。だが、僕は余裕を持たせなければ落ち着かない派だったので50分までだと心に刻む。
「準備は整った」
僕は「ゴルサンの魔導書」を素早く取り出して、座布団を枕代わりに寝転び若女将の豊満な香りを堪能する。
「……ふう。春の訪れを感じる」
……15分後。
部屋のドアが叩かれる音がした。
「夕食をお持ちしました」
ドアの向こうからエレナさんの声がしたので、僕はドアを開ける。
やはり、夕食以降はエレナさんが僕を担当してくれるらしい。
エレナさんはお盆の上に肉を挟んだパンとスープ、スプーンを載せて部屋の前にいた。
「どうぞ」
「失礼します」
エレナさんは僕の招きに応じて部屋の中に入り、畳の上にお盆を置くとテーブルに夕食とスプーンを置いた。
「……調合とか錬金術に興味あるの?」
エレナさんは気になったのか、テーブルの隅に置いてある赤いカバーの本に反応した。赤い本のタイトルには「調合と錬金」と金色の文字でタイトルが書かれている。
「ええ。昔、偶然この本をいただきましてさっきまで勉強していたんですよ。ははは」
僕は満面の笑顔で返事をした。
「勉強熱心ね。でも、外に遊びには行かないの?観光でしょ?」
「……いえ、観光もいいですが、探し物をしながら旅をしているんです」
「探し物?」
「ええと、詳しくは言えないんですけど……今はお金がないので、観光は二の次になりますね。勉強しているのは金稼ぎのためです」
「ふーん。いいなあ。私もこういうものやりたかったな」
エレナさんは興味深そうに本の表面にそっと触れる。
「興味あるんですか?」
「うーん。私、子供の頃は冒険者になりたかったけど、魔力が少ないからあまり戦闘ができないの。だったら、薬師とかもって考えたことあるんだけど、うちの町では後継者に困っている人がいなくてね。こういうものって門外不出だから教えてもらえないし。結局は今の仕事をしているのよ」
エレナさんは手を引っ込めると羨ましそうに僕の本を見つめた……申し訳ありません。こっちは特に渡すわけにはいかないんですよ。
「あ、愚痴のようになってごめんね。では、ごゆっくり」
エレナさんは少し寂しそうな眼をして退室していった。
「冒険者になりたかったか……」
僕は部屋の鍵を閉めながら呟く。
カスは元5つ星冒険者らしいし、彼女らの両親も今は旅をしていることを聞くと冒険者なのだろう。確か、ソフィアも魔法学園を休学しているといっていたと思うから優秀なのだと思われる。冒険者になりたかったエレナさんがコンプレックスを抱くのは当然かもしれない。
「まあ、あまり関わりすぎるのもよくないだろうな。それにあの本も不用意に他の人には見せてはいけないようだ……食べよう」
僕は夕食を食べ、桶とタオルを乾かしに向かった後に歯ブラシをすると、23時まで赤い本を読んだ。そして、そのまま眠りに……つけない!?
時計を見ると深夜1時だった。寝不足で倒れるとかはしたくなかったので、無理に目をつぶっていたが、やはりこの体は全く眠くならない。
「うーん。1万2000年前から一睡もしていないからかな。やっぱり体の構造がおかしくなっているのかも」
僕は布団から出ると何となく障子を開けた。地球と同じ黄金色の月明かりが美しい。そして、庭を覗くとぼんやりと灯篭らしきものが光る庭で槍を振り回しているカスがいた。
「やっぱり、さまになっているな……朝まで暇だし、教えさせてやろうかな。懐柔策も……まあ、普通にいけそうかな」
僕は何となくカスに槍を教えさせてやろうと考えた。冒険者になればこの先、何かこう異世界で一番ヤバイ奴とかと戦うことになるかもしれない。その時に「これが武術を習得しているものとしていないものとの差だ」とか決め台詞を言われて、負ける可能性もある。
僕はカスに槍を教えさせてやろうと決心し、窓を開けると庭に飛び込……のは怖いから、窓を閉めて素直に階段から降りて向かうことにした。靴も1階にあるしね。
そして、僕が靴を回収した後に庭に出て近づくと、カスはこちらに気がついたのか視線を向けた。
「貴様……は!? ち、近づくな!? これ以上儂から何を奪う気じゃ!?」
初めは貴様とか言っていたのにカスは急に怯えだす。眼が腫れぼったいので、おそらくは孫2人に物凄く説教されたのだと推測した。
「カスであるあなたにいい話があるんだけど」
「カ、カス!? ……って、いい話?」
カスはこちらのセリフを予期していなかったのか、きょとんとした顔をした。
「僕に槍を教えさせてあげます。僕は冒険者として鍛錬したいんですけど、強くなる方法が分からなくて……」
「……何? つまりは元5つ星冒険者である儂に教えを請いたいと?」
カスは少し得意げな表情になる。
「請う訳ではないんですが、いい話だと思うんですよ。僕は強くなるし、あなたもお孫さんからの評価が変わるでしょう」
「な、何!? ま……孫からの評価がアゲアゲじゃと!?」
カスが驚愕の表情をする……上がるとは一言も言っていないのだが。
「……考えて見てください。この宿の癌であるあなたが、嫌っていた僕に唯一の取り柄である槍を教える。そうすれば、多少は改心したと思って、急激に下がり続けるお孫さんの評価も少し下がる程度で済むでしょう」
「それって……結局下がっていない?」
「それでもきちんと続ければ……」
「……続ければ?」
カスは真剣な表情で息をのむ。
「きっと上がる可能性があるはずです」
僕は絶対という言葉が嫌いな人間なのであくまで可能性という表現を使った。
「は。さすがに儂もこんな甘い言葉に騙されは……」
「ちなみに断ったら、断られたって二人に言うんで」
「仕方がない! 儂に槍を教えさせてください!」
カスは一瞬で土下座の姿勢になり地面に頭を擦りつけた。




