それぞれの想いを重ねて
ペットボトルを置いて、小さなピッチを作る。
3人だから、本当に小さなものだ。
簡単なルールを決め、俺と凜々花の『チーム北見』対『茉莉花1人』の勝負がはじまった。
が、まるで勝負にならなかった。
茉莉花が上手すぎて、2人でもどうにも止まらない。
フェイント、股抜き、ルーレット……
ムキになればなるほど、チーム北見は引き立て役でしかなかった。
犬の散歩やランナーといった通りがかりの人が、茉莉花に感心して声をかけていくほどだった。
結局チーム北見が2人とも座り込んでギブアップするまで、惨劇というか、茉莉花の独り舞台が続いたのだった。
「久しぶりでスッキリしました」
茉莉花は息を弾ませて言った。
そりゃあ、あんだけ一方的なら、さぞかしスッキリすることだろう。
「はい、どうぞ」
チーム北見と違い、余裕たっぷりの茉莉花がポットから注いだコーヒーを、凜々花と俺に差し出す。
「どうしてあんなに上手いんですか?
ズルすぎます!
4人はいなきゃ勝負になりませんよ」
なんでも小学生の頃は、男子に混ざってサッカーをしていたらしい。
今の茉莉花では想像できないが、男子を押しのけて試合に出るほどだったとか。
「小学生のときは、女子のほうが成長も早いですからね。
そんなにたいしたことじゃ、ありません」
そう茉莉花は言うが、何度も抜かれて地面に倒れるチーム北見からすると、白々しいほどの謙遜だった。
茉莉花がコーヒーに続き、簡単な朝食を出してくれる。
小さなおにぎりと野菜やタマゴのサンドイッチだ。
「いつの間に用意したんですか!」
――オマエが寝ているあいだにな、と心の中で凜々花に突っ込む。
「水くさいですよ。
言ってくれたら私も手伝ったのに」
――寝坊している奴が、言えたことか。
「じつはお腹が減っていたので本気がでなかったんです」
――嘘をつくな、ウソを……
「あッ、本当!
じゃあ、食べたあとに本気でやろうね!
私も本気を出せなかったので」
「え、ええ、もちろん……です。
でも、その、次は違うのにしたらどうかなー、なんて思うんですけど。
サッカーじゃないやつで」
凜々花の中途半端な負けずギライが、かえって大きな負けを引き出しそうだが、それも自業自得だろう。
もっとも、俺もそれに巻き込まれて付き合わされるのだろうが。
もうすでにこの時点で、なんとなく俺は茉莉花のしたいこと、望んでいることがわかっていた。
きっとこの先も今日1日、ずっと同じようなことが続くのだろう。
そして俺の予想通り、1日が回っていく。
だだっ広い公園で遊び回り、11時になると近くにある、そこそこに有名な蕎麦屋へ。
それから午後はカラオケ、終わってボーリングへと移る。
その頃には正直なところ、かなり疲れてはいたが元気なフリをする。
これぐらいで疲れていたら、茉莉花の想いというか、願いを満足させられないだろう。
そしてこれが最後と連れて行かれたのは、写真館だった。
「こんな格好でいいのか?」
「いいんです、すごく自然でしょ。
気取ることばかりが、日常ではありませんから。
そうでしょ?」
「ン、まあな」
「それに、凜々ちゃんがはじめに言い出したことなんです。
写真のことは。
私のプランじゃ、ないんですよ」
――凜々花の望み、か……
俺は写真があまり好きではない。
写真写りもホメられたもんじゃないが、それは素材の俺の問題なので贅沢は言えない。
そういうことではなく、写真を見てあとから過去に浸るという、その行為が好きではないのだ。
毱花が死んだあとの半年ほど、過去の写真を見ない日とは、1日もなかった。
けれどこれではダメだと思ったその日から、俺は1度も毱花の写真を見ていない。
1度も、だ。
アルバムも、写真の入ったディスクも、触れることさえしていない。
それはたしか、今は凜々花の部屋にあることだろう。
凜々花が手元に欲しがったのではなく、俺の目の届かないところへ追いやっただけのこと。
そんな俺のことだ、撮る行為そのものも、撮られることも避けていた。
自分で撮ったとしても、仕事に絡む建物や人だけ。
だからきっと、凜々花の結婚式では、写真が足りないと恨み言を言われるのかもしれない。
凜々花にしてみれば、茉莉花のいる今こそが、『いつもできないことをする』チャンスでもあるのだろう。
事実、茉莉花がいるここ数日。
いつもと違う日々で、これまでと違う年末なのだから。
大掃除も、食事も、今日だってそうだろう。
こうして思えば、それぞれが不思議な関係を、それぞれに見ているのだろう。
俺は亡き妻を重ね、凜々花はおそらく写真とソックリな母親を重ねているのだろう。
突然やってきた茉莉花という存在に。
そして茉莉花自身も、俺に父親を要求している。
そうでなければ、デートと称して早朝からラジオ体操などというバカなことをするだろうか?
父親と、あるいは家族で、子供の頃の茉莉花がしたかったこと。
それを俺と凜々花で代わりにしているのではないだろうか。
きっと茉莉花は、俺をひとつの依り代にして、父親としての南雲氏と繋がっているのだ。
政治家ではなく、ただ茉莉花の父親としてだけの存在として……
先に亡き妻の面影を重ね、連れてきたのが俺であるのだから、それにどうこういう気もない。
むしろいまこの場で、その大役の責任を果たしてやりたい、そう思うだけだ。
俺と茉莉花が並んで立ち、その前の椅子に凜々花が座って1枚撮る。
それで終わりとも思ったが、凜々花に外れてもらい、椅子に茉莉花を座らせた。
その椅子にいくらか被さるようにして、中腰で立ってさらに1枚撮った。
写真の引き渡しは後日になるらしかった。
◇
早朝からラジオ体操にサッカー、午後はカラオケにボーリングと詰め込んで遊んだせいもあり、凜々花は車の中ですでに眠っていた。
「帰るか?」と聞く俺に、「このまましばらく、車を流して欲しい」と茉莉花は答えた。
そのリクエストに答え、俺は比較的カーブや曲がりのキツくない道を選んで走らせる。
寝ている凜々花を起こさないように……
「なあ、どうして凜々花に会わせたかと、そう聞いたな」
俺は正面から向き合って話しにくい話題を持ち出す。
それは茉莉花に出されていた、宿題だった。
車を運転している今なら、顔を見ずに話せる。
だから、言いにくいことも言いやすいだろう。
「俺はたぶん、凜々花に会わせたかったんじゃない。
俺が茉莉花を、オマエを俺の手元に置いておきたかった。
ただそれだけだろう」
「『たぶん』で、『だろう』なの?」
「ずいぶん俺には手厳しいな。
いや、茉莉花を手放したくなかった。
訂正しよう」
「そう……
ねえ、今は?
今はどう思うの?」
「ン、難しいな、その問いは」
「すぐに、答えてはくれないの?」
「気持ちと理想は違う。
それが重ならない。
いくら俺が理想を唱え、どんなに良いことを言い、なるほどそうだと思われたとしても、世界は何ひとつ変わらないだろう。
けれど茉莉花には、そうできる可能性がある。
まあ、それが茉莉花のしたいかどうかは、わからんがな。
俺にできないことができそうな茉莉花に、できない自分を比べて嫉妬しているのかもな。
だからこそ、オマエの可能性を潰すことを、俺が言いたいとしても言いにくい」
「まわりくどいのね。
好きなら好きと、言ったらいいじゃない」
「……それを言っちまったら、オマエの答えが変わるんじゃないのか?」
それからしばらく、茉莉花はシートにもたれて外に流れる景色を見つめたままだった。
――黙っちまったら、それが答えだろうが。
そうであるなら、なおさら俺は近づけん。
茉莉花を手元に留め置くことに、俺はいつかきっと後悔するだろう。
――本当にこれで良かったのか。
大きな可能性が広がる場所へと続く、その道から茉莉花を引きずり下ろしたんじゃないか?
茉莉花を手元に留めようとするなら、いつの日か、そう思うはずだ。
結局、俺と茉莉花に重なる道はない、
たまたま一瞬、交差したに過ぎないのだ。
茉莉花が父の後を継ぐと俺に告げれば、その時点でお別れだ。
今日1日の様子からして、きっと彼女の中で答えは出ているのだ。
政治家が白く輝くほどに綺麗で、ひとつのホコリも出ない奴らだなんて、欠片も思っちゃいない。
だが、それと『俺がホコリにそのものなって茉莉花の邪魔する』ことを、俺自身が良しとするかは全く別の話だ。
いままでに下手を打ったことはないが、裏社会と繋がりのあった俺だ。
格好のスキャンダルのネタにしかならない。
だから俺と茉莉花に縁はない。
それが結論だろう。
「俺は自分で決めろと言った。
そうである以上、俺が引っ張り込むようなことは、したくない。
そして俺は、茉莉花に出された宿題の答えを出した。
あとは、茉莉花の心ひとつだ」
そのあと30分ほど車を流したが、茉莉花が特に答えることはなかった。
そして俺は、パーキングへ車を寄せた。
「ねえ、1月4日まで……
置いてもらえるかしら、私を」
茉莉花は俺を見ずに頼み、俺も茉莉花を見ず、それに「わかった」と答えた。




