アクションをとれ
――最悪だ。
今の今まで、娘を巻き込んだことなど1度もない。
すでに事態は動き出していて、おまけにどうなるか想像できない。
茉莉花次第だと?
いったいどうすればいい?
何を目指せばいい?
会見場でもセットして、無理矢理にでも喋らせんのか?
いまさら無理だ。
すでに俺が日和っちまってる。
茉莉花から毱花を切り離して、冷酷に思い入れのないモノ的に扱うことは難しい。
仕事に徹しきれないなら、計画も実行もズッコケる可能性が高い。
じゃあ、茉莉花とよく話し合って……
いやいや待てよ、何を話し合うんだ?
自然と視線が下がり、床を見つめてしまう。
目の前のわずかな視界には、床の汚れ以外何も見えなかった。
――!?
握ったままの携帯が、手の中で震えた。
凜々花か。
「ん、わかった。
すぐ行くよ。
なに? 一言多いんだよ」
俺は「探したって、どこにもいないし……無責任なんだから」と文句を言う凜々花に言い返すと2人に合流し、財布としての役割を果たす。
そのまま2人は再度、店の更衣室を借りて着替えた。
戻って来た茉莉花は、ピンクのフレームの丸メガネをかけ、ポニーテールに髪型を変えている。
俺から奪いとった黒のオーバーサイズのフライトジャケットをそのまま羽織り、その中にはパーカー、下はピッタリとしたジーンズ。
それらもやはり黒だった。
足元だけ白いスニーカーにして、アクセントを効かせている。
『スッキリしたパンツスタイル』とかなんとか凜々花が言っていたから、当初の予定通りなのだろう。
それが大人っぽいかどうかは、まあ、ノーコメントだ。
そして娘の凜々花も装いを合わせたらしい。
2人して似たファッションだ。
キャラクターがプリントされた黒のトレーナーを、カーキ色のMAー1の中からのぞかせている。
黒のミニスカに黒いタイツ。
茉莉花はもともとなのか、あるいはゆるいパーマでも当ててあるのか、ポニーテールの毛先に変化がある。
一方の凜々花は高校生らしく、ストレートの黒髪ショートだ。
「どう、パパ?
揃ってて、いいでしょ!」
「フン、ジャケパンの俺様が浮くだけだろう。
……まあ、いいんじゃないか。
似合ってるよ、2人とも」
「おお、茉莉花さん凄いですよ!
この人ぜんぜん褒めませんから。
だから言ったじゃないですか!
似合ってますって」
楽しそうにオシャレをして騒ぐ2人は、次はメシにするらしい。
モールの食堂街にエスカレーターで移動すると、凜々花は目当ての店があるらしく、先頭を切って案内する。
いつもなら娘の方針に異議を唱えるところだが、今はそんな些細なことにこだわる元気はなかった。
2人とは対照的に俺の内面は暗い。
凜々花は茉莉花の手を引いて、「こっち、こっち」とドンドン先へと進んで行く。
目当てへ向かう凜々花はもちろん楽しそうで、引かれて歩く茉莉花もまた、これまでの茉莉花ではない。
もっとも俺は、半日ほどしか彼女のことを知らない訳だが……
親娘……
姉妹……
思い浮かぶたび、俺は首を振って否定した。
◇
「なあ、そもそもオマエら、喧嘩してたんじゃないのか?」
「パパ、それいつの話?」
「いつの話だと?
俺が聞いてんだよ」
「凜々ちゃんと私は、もう仲良しよね!」
「ねー」
「ケッ、気持ち悪いよな。
女のそういうとこ」
「そういう男の細かいこだわり? みたいなの。
格好いいと思ってるのかしらね?」
茉莉花は凜々花に同意を求めた。
「パパはねー、雑でぶっきら棒なのがハードボイルドだと思ってるみたい。
売れない探偵だからね。
きっと映画か漫画の見過ぎよ」
「へー、そうなんだ。
意外にミーハーなのかしら」
「んー、でも最近の流行りにはまるで疎いの。
そもそもハードボイルドなんて化石よ。
そんな男の人は、まずモテませんから。
女性にも、お客にも。
もっといろいろ工夫しなきゃ!
探偵っていってもサービス業なんだから。
ずっとずーっと、いつもいつも凜々は言ってるのに、全然わかってくれないの。
茉莉花さんからも、パパに言ってやって下さいよ。
美人さんに言われれば、鼻の下伸ばして『わかりました!』って従いますって」
「うわぁー。
それ、いいのか悪いのか、とっても微妙ね」
「それある!」
俺の前にはパンケーキが、どうしたことか置かれていた。
いったいなぜか?
2人が味見したいがために俺も付き合わされ、勝手にメニューを決められたのだ。
さっきの西との電話から、胃が痛んでも腹が減った感覚などない。
片肘をついたまま、いつまでもメニューをボンヤリ見ている俺に痺れを切らし、凜々花が頼んでしまったのだ。
蕎麦かうどんかラーメンか……
ズズッとやりたいところだが、山盛りのパンケーキを出すような店に、あるはずもない。
だから一口だけ俺も味見し、あとは持て余し気味に端から突き崩すだけだった。
「ちょっとパパ、グチャグチャにしないでよ、もう!
見た目も大事な味なんだから。
さっきから、何ムスッとしてるのよ。
美人を2人も連れてるのに」
「自分で言うことかよ?
こんなデザートが昼飯になるわけなかろうが。
俺の昼はな、麺類と決まってんだよ」
「私の昼は麺類派のパパと違って、パンですから。
これこそが正しいのです」
「太るぞ、こんなの食ってたら」
「自分が気に入らないからって、いちいちデメリットをアピールする癖、やめたら。
そういうのは茉莉花さんに嫌われるわよ」
「茉莉花とは仕事なんだよ。
だからそういうのは関係ない」
「あっ、そうだ、茉莉花さんはどんな男性がタイプ?」
「え? 私ですか。
私、あんまり見る目がなくて……
んー、凜々ちゃんは?」
「私はね――」
「すみませーん!!
トイレはどこになりますか?」
「店内にはございませんので、店を出て右の共用の――」
「大きな声でお手洗いを聞くなんて、デリカシーないの? パパ。
こういう人はタイプじゃないです」
俺は凜々花のクレームを背中で聞き流し、案内されるままに席を外した。
どうせ財布の俺は、最後の支払いに居ればいいのだ。
――これからどうするか?
それを話すにしても、凜々花を外したい。
しかし凜々花には服の調達を手伝ってもらっているし、邪険にもできない。
早く凜々花を帰したいのが本音だが、あれほど楽しそうな娘の機嫌も損ねたくはない。
仲良くというよりは、じゃれる凜々花の相手を茉莉花がしてくれている、というのが正解かもしれないが……
だが2人の安全のためには、早い方がいいだろう。
とはいえ、茉莉花と話したところで、早くどうにか解決するのかも、現状ではまったくわからない。
状況にも、まごつく自分自身にもイラついていた。
トイレの鏡に映った自分の顔は寝不足のせいもあるのか、眼のまわりも暗く、まるで自信がなさそうだ。
――クソッ!
ウンザリして洗面台に両手をつく。
するとまた、ビチョビチョの洗面台で濡れてさらにイラっとくる。
誰が濡らしたかわからない、人の出入りの激しいトイレだ。
綺麗とは言えない。
――だったら、気にすることもないな。
ジャケットを脱ぎ、腿のあいだに挟む。
袖のボタンを外してシャツを捲くると、俺は人目を気にせず勢いよく、ザバザバと顔を洗った。
跳ねる水しぶきが、他人が濡らした洗面台をさらに上から塗り替えるように濡らしていく。
冷たい水で顔が冷えるに従い、落ち着いていく。
ハンドタオルで顔を拭き、グショグショに濡れたそれを備え付けのクズ籠へ捨てる。
それからもう1度、鏡に映る自分を見る。
さっきの自分より、いくぶんマシなはずだ。
足早にトイレを離れ、メンズファッションのフロアへ向かう。
なるべく無地で爽やかな青のハンカチを、捨てたハンドタオルの替わりに買う。
少し迷ったが、ついでに目についたシルバーの細くシンプルなブレスレットを買い、右手首につけてみた。
梱包はその店で処分してもらった。
冷静になった、というよりも、開き直ったのかもしれない。
そのための、必要経費だ。
上手くいかないなら、そのままではダメだ。
自分から何かを変えなければ、なにも変わらない。
顔を洗い気分を変え、ハンドタオルも冷静なイメージの青に変えた。
たかが小物だが、身に着け、装いも変えた。
この事態を、茉莉花を、どうしたらいいのか?
そんなことは、今はわからん。
けれど、必ず上手くやってやる。
俺なら、できるはずだ。
ほかの奴にはできないミッション。
だからこそ、俺のチカラが証明されるはずだ。
――誰に、だって?
そりゃ、もちろん俺自身にだ。




