タグづけ
「そんなこと、私言いましたっけ?」と茉莉花は誤魔化して笑う。
「俺と警察を動かせるかどうかで、勝負する話だったように記憶しているがな。
違ったか?
まあ、そんなことはどうでもいい。
――で、アンタ誰の娘なんだって?」
「私は誰の娘でもありません。
私は、茉莉花です!
茉莉花であって、茉莉花以外の何物でもないです。」
「フーン……
まあ、そりゃそうだな。
そうなんだと思うわ、俺もな。
可愛らしい、茉莉花ちゃん。
裸に近い恥ずかしい格好の、茉莉花ちゃん。
高校生の娘に、大人の余裕でマウントして力関係をハッキリさせようとする、立派な茉莉花ちゃんってな」
「別に……私はいじめようとか思ったわけじゃ」
そんなことは当然、俺だってわかっている。
どうでもいいことだ。
俺は茉莉花の釈明に取り合わず、続ける。
「けどな、『誰の娘でもありません』って否定から入る茉莉花のその発言自体が、アンタの今の位置を示してんだよ。
誰の娘でもない、それはつまり、いつも誰かの娘として見られているってことだろう?
あんたが自分自身のことを評価してほしい、自分自身でありたい。
そう思うこと。
それはまぁ、わかるんだ。
本当の自分を見て欲しい、知って欲しい……
誰でも思うことで、昔からのテーマ、とも言えるか」
俺は話しながら立ち上がり、頑なに俺を見ない茉莉花を応接に残したまま、南の窓際へと歩く。
ブラインドを少し開け、外の明るさを取り込んで振り返り、続けた。
「けどな、人間て奴はな、だいたいが付属してるもんで考えんだよ。
本人よりわかりやすいタグが付いてりゃ、なによりもそのタグが重要なのよ。
『誰それの娘』ってな。
そこでだ、1つ聞こう。
茉莉花、そもそもなんで監禁されていた?
オマエが、ヤクザのカネでも騙し取ったのか?
あるいは誰かに強烈に恨まれるようなことをしたのか?
つまり、茉莉花という自分自身のせいで、その責任においてそういう事態になったのか?」
「まさかそんな……
私がそんなことするわけないでしょ。
あんな奴らと何の縁も無いわよ。
失礼ね」
「……だよな、俺もそう思うわ。
そーんな大それたことをするような、クソ度胸は茉莉花にはない。
ぜんぜん持ち合わせていない。
俺はわずか数時間、アンタと一緒に居ただけだ。
でもな、ああいう異常な状態、環境ってのは、そいつの『人となり』ってのが強く出るもんだ。
たとえ誰かを押し退けてもどうにかしてやるという、強い意志。
あるいは偏執的と言えるほどの、強烈な個性。
そういうものは、茉莉花からは感じなかったぜ」
南側の壁にもたれ、茉莉花を見下ろす。
相変わらず毛布にくるまっている茉莉花は小さくて、俺にとってみれば小娘でしかない。
が、そこに『俺にとっての大きな付属がつく』ということもまた、ひとつの事実だった。
かつての妻、毱花にそっくりだという、ごく個人的な付属。
それはやはり、見逃せないポイントだ。
確実に俺の行動に影響を与えているだろう。
「ということは、だ。
少なくとも今の時点で、『誰かの娘である』ってことが、茉莉花が望まずとも重要なファクターである。
それは間違いない。
あんたは自分で『あんな奴らと何の縁も無い』と言った。
これが意味することは何か……
つまり、『誰かの娘である』という理由によって、監禁される羽目になった。
それが答えだ。
違うか?」
「……ねえ、私はどうしたらいい?
私の人生って、一体なんなの?
父の代わりでしかないの?」
「俺は1度、それに答えたぜ。
アンタは忘れたかもしれんがな。
『風に吹かれ、吹かれるに任せて靡くだけの奴には、何も掴めない』ってな。
その答えを外に、誰かに、あるいは俺に……
自分以外に求めても、そりゃ他人の考えで、仮の答えでしかない」
茉莉花はソファの上で膝を抱え、背もたれに体を預ける。
その姿勢のまま、顔を手で覆ったり、首を振ったりしていた。
南の窓側から見えるうしろ姿は、拗ねたり拒んだりして答えないという風には見えなかった。
少なくとも彼女なりに真剣に考えているように、俺には思われた。
「もういい、この話はヤメだ」
――俺は茉莉花の親を知らん。
だから、茉莉花の父と茉莉花を重ねることはないし、できない。
けれどどうだ?
俺は茉莉花の父の代わりに、今は亡き毱花を茉莉花に重ねているじゃないか?
ほとんどの奴にとって、茉莉花についたタグとは『父親が有名』『父親が権力者』『父親が金持ち』……
おおかたそんなのだろう。
じゃあ、一方で俺自身はどうか?
やってることは、たいして変わらん。
俺から見て、茉莉花についているタグとは、『死んだ愛する女にそっくり』だ。
いったい何が違うというのだろうか?
茉莉花を突き放しつつ、俺は逃げている。
最低だ。
けど、俺のクズっぷりも今に始まったことじゃ、ない。
しょうがないのさ。
俺は決して茉莉花に優しくしたのでは無い。
自分を甘やかして、戻ってくるブーメランから逃げただけなのだろう。
――偉そうに言うくせに、オマエはどうなんだ?
その問いから、逃げだすために。
それから凜々花が戻るまで、日曜の穏やかな朝日の差し込む事務所は、静かなままだった。
◇
「茉莉花さんは童顔だから……
そうね、スッキリしたパンツスタイルがいいかも。
あんまり子供っぽいのはちょっと違うと思うし
このボア付きジャケットをベースにしてしていいの?」
「バカ言うな、そりゃ俺のジャケットだ」
「いーえ、下着と交換しましたから私のです。
ブラウスにブラにハンカチに……
3対1のトレードです」
「なっ、トレードも何も、1つも俺の手元にないぜ」
「ちょっと聞き捨てならないわね。
どういうことか、あとで説明してもらえるのかな?
パパ」
「凜々ちゃん、たいしたことじゃないですから安心してください。
そういうことでいいですよね、北見さん」
――どうにも女の数が多いのは、苦手だ。
都合よく丸め込まれちまった。
あのあと、娘の凜々花が替えの服をデカいトートバッグいっぱいに入れて、事務所に戻ってきた。
いったいなぜ、そんなにたくさん……
そう思うほどだった。
とりあえずの着替えに30分も追い出され、コンビニで立ち読みする本がなくなり困るほどだった。
それからは、女2人の勢いにやられっぱなし。
さっさと俺を追い出して和解を済ませ、今じゃ俺が2人の共通の敵であるかのような扱いだ。
おまけに2人のショッピングの財源は俺ってんだから、どうにもな……
いい歳をした男の俺が近くで、「あーでもない、こーでもない」などと言ったって、邪魔モノ扱いされるだけで役に立つこともない。
ましてや茉莉花の下着なんかも、ある。
ようするに、最後の支払いだけが俺の仕事って訳だ。
買い物に付き合いきれなくなって壁際に逃げる男どもに混じり、ベンチに腰掛ける。
通路の先では、たまに2人が並んで、商品を選ぶ姿が遠目に見えた。
12月。
年末の日曜日。
昼どきのファッションモールは、大勢の人で混み合っていた。
家族連れ、恋人同士、友達同士、もちろん個人の客もいる。
俺が凜々花と出かけるときは、いつも決まって2人きりだ。
ほかに誰かが一緒にいるなんてことは、まずない。
だからまさに、今回はイレギュラーな事態と言えるだろう。
その光景は、俺にとっても新鮮な光景だった。
俺以外の誰かと娘の凜々花が、楽しく会話をしながら買い物している様子。
(もちろん店員は別だ)
それは不思議な一場面で、多少蚊帳の外におかれていても、離れて見ていて嫌な気はしなかった。
そうして見ていると、自然と浮かんでしまうのだ。
もし死んだ毱花が生きていたら、こうだったのかもしれないと……
そうして俺は、自分で言ったこと――付属してるもんで考える――それを自分自身で証明していた。
毱花に似ているという色の濃いメガネを外して見ることができない俺が、彼女の人生についての答えを持つはずもない。
――もういい。
ミジメに情けなく感じるその一方で、ずっと見つめていたくもある。
相反する気持ちが、俺の中で揺れ動いていた。
俺は考えを打ち消すように、1億円としての茉莉花についてだけ、考えることにした。
ベンチから立ち上がり、人の少ない壁際を探して電話を掛けた。




