144話 ※カンナ※ Prt.2
6-29.※カンナ※ Prt.2
※ ※ ※ カンナ 視点 ※ ※ ※
あの日の事は、今でもはっきりと覚えている。まだ幼かった私でも忘れようがない最悪な一日だったから。
私は、いつもの様に神威お兄ちゃんの勉強が終わるのを庭で遊びながら待っていた。お母さんが作ってくれたお手玉を何度回せるのか新記録に挑戦していたの。
すると、遠くにある本家の方向から人が騒いでいる声が聞こえてきたわ。
私はその声が気になって本家へと向かい、庭を通り抜けて竹で造られた扉を開けようとした。すると「きゃー!!」という女性の悲鳴が聞こえたの。
扉を開いて中へ入ろうか迷ったけど、怖かったので少しだけ開けてコッソリと中を覗く事にした。
私達が住んでいる離れの家とは違い、本家の屋敷はとても大きく立派な建物だった。誰も居なかったから私はゆっくりと中へ入り、騒ぐ声が聞こえる方へと向かって行った。
すると道中、何人かの人達が地面に倒れているのが見えた。怖くて近付く事はしなかったけど、まだ息をしているのが分かったから生きているみたい。
全員が東雲家で働く使用人の格好をしていた。みんな苦しんでいる。でも、あの症状はたぶん前にお母さんから教えてもらった症状に似ている。
「もしかして・・・〝邪気〟?」
邪まなる存在が常に放っているモノで、凶暴なほど強い邪気を放つとお母さんが言っていた。なんで、その邪気が東雲家を襲っているの?だってこの場所には結界が張られているのに。
分からないけど、私は騒ぎのする方向へと向かった。倒れている人が心配だったけど、私では救えないし。それに私の事をいつも苛めてくる男の子達も倒れていて、助ける気が失せたから。
でも、あの男の子達も東雲家に属する者。悪しき者への抵抗がある筈なのに、邪気に当てられ倒れるなんて信じられなかった。
本家の入り口から、沢山の人が飛び出してきて門の方へと悲鳴を上げながら逃げて行く。私は怖くなって近くの草影に隠れた。すると、その時〝キィーン〟という耳鳴りの様な音が聞こえたの。空を見上げれば術式が展開していくのが見えた。あの音は、きっと強力な結界が発動したんだと分かったわ。
だって、あの耳鳴りの様な音。あれはお兄ちゃんが結界術式の展開を練習していた時、それを近くで見ていた私は聞いた覚えがあったから。
とうい事は、この本家に強力な結界が張られたんだ。つまり、いつもの結界では不十分であり、この東雲家でその非常事態が起きてしまったのだと分かった。
私は怖くて震えたけど、その非常事態が気になってしまい草影に隠れながら一番騒がられている方向へと移動して行く。
「渚様、お止め下さい!どうか正気にお戻り下さい!!」
・・・え、渚様?
その騒ぎが起きている近くまで来た時、男性の焦った声が聞こえた。
東雲 渚。私と神威お兄ちゃんのお母さんの名前だ。お母さんがそこに居るの?
私は草影から顔を出して周りの様子を眺めた。広い庭で東雲家の関係者達が騒いでいて、守護法術で身を護っているのが見えた。
東雲家の庭が、あんなにも綺麗に手入れしてあったのに今では見る影も無い状態だった。焼けた木に、黒く焦げた地面、血が出て倒れている人。とても、とても怖かった。
東雲家の術者達が守っている中に神楽様の姿も見えた。そして、彼等が対峙している方向に1人の女性が立っている。
黒い湯気みたいなものを纏い、動物の耳と尻尾を生やしていた。私からの方向では、その女性の後ろ姿だけしか見れないから、顔までは分からない。髪の毛が長くて真っ白。そして、白い2本の尻尾を揺らしている。
えっ、2本の尻尾?・・・まさか・・・・・
「渚様、お止め下さい!」
その女性に向かい、術者の男性が大きな声で私の母の名を叫んだ。でも、対峙している女性が軽く手を振ると男性達が炎に飲まれてしまった。結界のおかげで無事だったみたいだけど、結界が壊れかけているのが見える。
そして白い髪に隠れていた女性の顔が、風が吹いてくれたおかげで見る事ができた。
その顔は、私の知っているお母さんの面影があった。でも、いつもの優しいお母さんの顔じゃない。髪の毛は黒かったのに今は真っ白。動物の耳や尻尾なんて無かったし、目が吊り上がっていて怖い、口から牙も生えている。あんな姿をした化け物、私の大好きなお母さんなんかじゃない。
「キュエエエエエエエエエエエ!!」
化け物が、ガラスを引っ掻いた様な奇妙な声で叫んだ。とても大きな音で、凄く不快な音だったから私は耳を手で塞いだ。
「ダメだ、妖狐になりかけている。渚様の意識は呑まれていて正気では無いぞ」
どうしてみんな、あの化け物の事を〝渚様〟って呼ぶの?違うよ、私のお母さんはとても綺麗で、とても優しくて、とても料理が上手で、いつも私の事を「神無ちゃん」と微笑んで呼んでくれるんだから。あんな化け物なんかじゃないよ。
「皆は下がりなさい、私が渚を鎮めます」
私達が居る場所へ、赤い浴衣を羽織った女性がゆっくりと歩いて来るのが見えた。あの方は____
「桜様!ここは危険です、お逃げ下さい!」
「聞こえなかったのですか?私は〝下がりなさい〟と命じたのですよ」
「しかし、貴方様は___「おい、止せ」・・・はい、すいません」
桜様を止めようとした人が、他の男性に止められて従った。
東雲 桜様。
噂では齢700歳以上も超えているというのに、今でも若々しい体を保ち続けている女性。そして、東雲家が受け継ぐ〝姫巫女〟の初代様として大切にされている人物。つまり、現姫巫女である神楽様と同じ、御狐様から『九尾』を身に宿した人物だ。
「渚、何をしているのです。双尾様の宿り姫でありながら、この様な失態を___」
「キュエエエエエエエエエエエ!!」
桜様まで、あの化け物の事をお母さんの名である〝渚〟と呼んだ。・・・本当に、あれがお母さんの?
化け物が桜様を敵と判断し、叫びと共に数個の炎の球を形成して放った。だけど、その炎の球は桜様に当たる前に消えて無くなった。結界なのかな?でも霧散したというよりも掻き消えた様に見えたけど。
「なるほど、『呪』ですか。まさか御狐様に〝呪〟を行なう愚か者が、この東雲家に居ようとは思いませんでした」
「キュイイイイイ!!」
「渚も油断しましたね・・・いえ、力が弱まっていた貴女には、この〝呪〟を祓い清める力が足りなかったという事でしょうか」
「キュエエエエエ!!」
「もう私が誰なのかも分かりませんか・・・では、致し方ありません」
その時、化け物が着ている服のポケットから〝何か〟が落ちた。私はその〝何か〟を見て驚いた。化け物が落とした物は私にとって見覚えのある、いつもお母さんが作って私にくれていた____
___お手玉だったの。
「や、止めてぇ!お母さんを殺さないでぇ!!」
私は茂みから飛び出して叫んだ。
初代様である桜様は、強大な神気を有していると聞いた覚えがある。このままじゃ、お母さんが殺されちゃう。そう思った私は桜様に叫んでいた。
私が居る事に少しだけ驚いた桜様だったけど、すぐ笑顔になって私に話し掛けてきた。
「貴女は、渚の子でしたね。この邪気の中、結界も無しに動けるとは驚きました」
邪気?・・・そういえば邪気って毒みたいに危ない物質だから気を付けるんだよ、とお兄ちゃんからも教えてもらった気がする。でも、私は別に辛くも苦しくも無い。
「お子、其処を退きなさい。今の渚には意識も無く、言葉も通じません。このまま放置すれば危険なのです」
桜様が懐から一本の小さな枝を取り出した。普通の枝に見えるけど、初代様ならばアレだけで強力な術式を発動できる。
「や、止めて、お、お母さん、お母さんを殺さないで!」
「大丈夫ですよ、この術に殺傷能力はありません」
そう言った桜様が、手に持っていた小さな枝を軽く振った。すると持っていた枝からサクラの花が咲いて、空からサクラの花びらが舞って落ちてきた。とても暖かな風が吹いて、花々が咲く春の幻想的な風景が目の前に広がったと思うと私は急激な眠気に襲われた。
「・・・でも残念ですが、渚はもう永くは無いでしょう」
桜様の小さな呟きが聞こえた様な気がしたけど、私はとても眠くてすぐに意識が遠のいていった。