英雄の奥様と娘
マリロード王国の英雄サイラス・アバード将軍に娘が生まれた。
タチアナと名付けられたその子は、地味で平凡なスーザンと顔はあまり似ておらず、サイラスによく似た美形で可愛い女の子であった。おまけに……。
タチアナが生まれた時のサイラスの狂喜ぶりは、スーザンと婚約できた時以上であった。おまけに、サイラスばかりか、義母のカーラまでとても喜んだ。
「やったわ!この子は念願の魅惑肌よー!!よくやったわ!!スーザン!」と歓喜してスーザンの背中をばんばん叩くカーラ。
「私の孫よ!これが私の孫よー!
まー!何かしらこのぷにっぷにっのお肌は!?ぷにぷにじゃないわ、ぷにっぷにっよー!」
その違いはよく判りませんが……と心の中で突っ込みを入れつつ、カーラの異常な興奮ぶりに、かなり引くスーザン。
「母上、いい加減、私のタチアナを返してください!」とサイラスがタチアナを離そうとしないカーラに催促する。
「何言っているの、私が帰った後にでも堪能なさい。今は私に譲るべきでしょう?」
最後にはサイラスとタチアナの取り合いまでするカーラ。
「クリスティーナに、早速、自慢しないとね!!」
いえ、クリスティーナ王妃様にその自慢はお止めになった方が良いですよ~と思うスーザンであったが、止められないのはよくわかっている。また、カーラの自慢に対抗しようとクリスティーナ王妃がどんな無茶を周囲に言ってくるかと思うと、とても心配なスーザンであった。
「ねえ、スーザンが生まれたばかりの頃も、こんなタチアナのようだったのかしら?」
「ああ、その頃からスーザンに出会いたかった!!」と冗談でなく、本気で残念そうなサイラス。
「さあ、どうでしょう?」と控えめに微笑みで返し、うちの両親は普通で良かったです、本当に~と思うスーザンであった。
部屋の片隅では、カーラの夫でサイラスの父親でもある前アバート公爵は、カーラ―とサイラスのタチアナを取り合う攻防を見守りつつ、スーザンにそっと「無事に生まれてよかったね。頑張ったね」と優しく微笑んでくれて、スーザンが唯一、ほっとした瞬間であった。
でも、スーザンが彼に目線で「あの二人を止められませんか?」と聞くと、すかさず「すまない、無理だ!」と首を横に振り、返答してくる義父でもあった。
タチアナが生まれてからは、仕事の帰りもやけに早くなってきたサイラスに、きちんと仕事されているのか、それともまた周囲に迷惑をかけていないか、心配するスーザンであったが、ある日のこと。
「じゃあ、行ってくるよ」と仕事に行こうとするサイラスのマントの一部がやけに膨らんでいた。
「……サイラス様?タチアナをどこに連れていくおつもりで?」
「む、私の仕事ぶりをタチアナも見たかろうと、ちょっと仕事場へ。乳母は連れて行く故に……」と言って、マントに隠したお眠り中のタチアナを仕事場に持って行こうとするサイラスに、今回ばかりは本気で怒るスーザン。
「まだ、環境変化や抵抗力も弱い赤ちゃんなのですから、王宮に長時間、連れていけませんよ。タチアナは連れて行っては駄目です!」
「じゃあ、スーザンが来てくれ。いや、いっそ二人とも行こう!最近は、スーザンが仕事場になかなか来てくれないから禁断症状で仕事がはかどらない」
「……タチアナと一緒にお帰りをお待ちしておりますから」
「朝から夕方まで、ほぼ1日中、スーザンにもタチアナにも会えないなんて、私にどれだけ仕事が苦痛なことか!前はスーザンが一緒に仕事場によく来てくれたのに、タチアナが生まれてから、全く仕事場に来てくれなくなったじゃないか!もうタチアナはお外にでても大丈夫だろう?なら、いいじゃないか!?」
「……」いいわけがない。この時期の赤ちゃんはまだ抵抗力も弱く、外に連れて行くだけで熱をだすことなどしょっちゅうであるし、おしめやミルクなどのお世話も外では大変である。
そもそも、サイラスの職場にスーザンが行っていたのは、国王陛下に許可をもらってまで、表向きはスーザンもサイラスにお茶を入れたり、書類整理をしたりなどの雑用の仕事をしていたが、本当はサイラスの周囲の方々から懇願され、サイラスの仕事効率アップのために行かされていた。
子供ができたから、サイラスも父親として、もっと落ち着いてくれると思ったのに……。
どういえば、サイラスにわかってもらえるか、スーザンが考えていると、
「ふやーん、うえ、うっく」とタチアナが目を覚まし、泣き出した。
「ああ、泣くな、タチアナ」と言ってサイラスがすぐにあやすが、泣き止まないタチアナ。
それもそのはず、サイラスはあやしながらずっとタチアナをぷにぷにし続けて、さすがに不快なのだろう。
スーザンがしょうがないですねっとタチアナを受け取るとやっと泣き止むタチアナ。
泣き止んだタチアナは涙目でかなり不機嫌そうなぶちゃっとした顔で、しっかりスーザンの服を握り、サイラスが再び抱っこしようとしてもスーザンから離れまいとするタチアナにややショックを受けるサイラスであったが、一方で、愛する妻にしがみつく娘の姿にも「私の娘は世界で一番、可愛い~」と鼻の下を伸ばしてもいた。
その後、ほぼ毎朝のこの攻防に、もう疲れたスーザンは、タチアナの体調が悪くない限り、タチアナと一緒に毎日、サイラスへ昼食を届けることを約束するのであった。
英雄の奥様は、娘が生まれても、さらに英雄に手を焼いている!
でも、スーザンがタチアナと共に昼食を届けるようになって、サイラスの仕事効率が確かに上がり、副官のセドリックをはじめとする周囲の皆にひどく感謝されているスーザンであった。