英雄の奥様と英雄の従弟
前話「英雄の奥様と侍女の服」の続きです。
マリロード王国の英雄の奥様スーザンは、困った状況が続いていた。
スーザンが王宮に行った際、サイラスの要望で侍女の服を着たみたところ、本当の侍女と間違われて、リネン類の片づけを手伝わされてしまった。
洗濯にだすリネン類を洗い場に持って行くように指示されて、やむを得ず、素直に持って行ったスーザン。
届けたらすぐにまたサイラスの執務室に戻ろうと思ったスーザンであったが、リネン類を届けるやいなや、今度は畳んだ綺麗なリネン類を所定の場所に仕舞うように言いつけられた。
さすがに、ここで正体を明かそうとするも、その前にリネンを入れる棚の鍵を渡され、場所の確認と作業を急ぐように強い口調で指示された。
侍女達は、どうやら人手不足のせいで、焦りと注意力散漫でスーザンが本物の侍女ではないことに気づけないようである。
スーザンは、侍女達を管理している王宮の人事担当と知り合いのため、この侍女達の大変そうな現状を改善してくれるようにお願いしようと誓った。
また、スーザンは、自分が侍女に間違われるのは、侍女の服を着たうえに、侍女よりも地味であることが悪いんだろうなと思ってしまい、これくらいなら手伝ってもいいかと思い直し、渡されたリネンを片付けてしまうことにした。
スーザンがリネン類が大量に入る棚の鍵をあけて、リネン類をしまっていると、バタバタと人が慌ただしく走ってくる音がした。
振り向くと、ダリアン副将軍が急いで、スーザンの方に向かってきていた。
あら?ダリアン様だわ。
あんなに慌てて、どうなさったのかしら?
ダリアンは、サイラスの母方の従弟で、亡くなった王弟オルセ公爵の子息であった。
ダリアンの母親がリオラーダ王国の王女だった関係で、ダリアンはリオラーダ王国で子供時代を過ごし、成人してからマリロード王国に住み、オルセ公爵家を継ぎ、サイラスの補佐から副将軍となった人物である。
もちろん、スーザンともダリアンは面識もある。
スーザンは、走って来るダリアンに、この侍女の恰好でも挨拶するべきかと悩んでいると、そのダリアンがスーザンに懇願してきた。
「匿ってくれ!どこか隠れるところはないか!?」
「え?えっと、こちらへ!」
スーザンはダリアンから頼まれて、思わず、先程入れていたリネン類を取り出し、そこの棚にダリアンを押し込んだ。
すぐに棚の鍵をかけて、出したリネン類を運ぶふりをしようとした。
そこへ、どうやらダリアンを追いかけていたらしい人物が追いつき、スーザンに声をかけた。
ダリアンの婚約者候補と言われているアマンド・ヒュース侯爵令嬢である。
「ちょっと!あなた、ダリアン様をみなかった?」
「え?ああ、ダリアン様なら、そちらを走って行かれましたよ」
そう言って、令嬢がきた方角と反対側の方を指してみるスーザン。
ちなみに、そのアマンド嬢とも、スーザンは顔見知りであり、スーザンの美肌教室にもたまに通ってくれるくらいに親しいはずだが、侍女姿のスーザンに気づかなかった。
それがちょっと面白くなってきたスーザンでもあったが、ここで気づかれるとサイラスの変な趣味がばれるといけないとも思い、彼女が気づくまで侍女の役に徹してみた。
「ふん!もう見当たらないなんて、逃げ足だけ早いのね、あの方は!まったくもう!!」
何だかお怒りのようなアマンド嬢。
そのせいか、ややきつい感じが表面にでてきており、スーザンと今まで接した時の明るくておしとやかな彼女とはちょっと別人のように思われた。
スーザンは、ダリアンがアマンド嬢をそこまで怒らすようなことでもしたかと少々心配になったが、ダリアンはやや頼りないところはあっても、サイラスと違って真面目で誠実なタイプであるので、先程のダリアンの必死の顔からも、何か事情があるに違いないとも考えた。
とりあえず、スーザンがアマンド嬢をやり過ごそうとするが、アマンド嬢は、スーザンのことは気づかなくても、意外と獲物への勘は良かったようである。
「……ねえ、あなた、嘘をついていない?」
「は?え?」
「ダリアン様、そこの大きな棚に隠れていないかしら?
その棚なら、ダリアン様でも入れそうですものね」
「いえ、あの……」
アマンド嬢はスーザンが止める間もなく、棚をガタガタと力技で開けようとした。
しかし、スーザンが鍵をきっちり閉めていたので開かない。
「ちょっと!鍵を渡しなさい!!」
「大変申し訳ございません。
そちらの鍵は侍女長が先程、施錠されてしまったので、私は今、鍵をもっておりません。
侍女長のところへ、借りてきましょうか?」
「……本当に鍵を持っていないの?
嘘ついていたら、ただじゃおかないわよ!」
「はい。まだ新人なので、鍵は持たされておりません。
でも、急いで、鍵をこちらにお持ちいたしますよ?」
そう言ってその場を離れようとしたスーザンに、アマンド嬢は下品にも、ちっと舌打ちをして、「じゃあ、いいわ。それなら違うでしょうから……。全く、役に立たないわね!」と八つ当たりのように言って、スーザンがダリアンが向かったと指した方に走り去って行った。
少々、嘘をつくことになったスーザンであったが、ダリアンを助けるためならしょうがないと思った。
あと、スーザンの知っているアマンド嬢とあまりに態度や性格が違う感じがして、普段のスーザンの前ではアマンド嬢は猫をかぶっていたのかなと、残念に思われた。
アマンド嬢が見えなくなってから、スーザンはダリアンを棚から出してあげた。
「ありがとう!君のおかげで助かったよ」
「いえ、お役に立てたようで、良かったですわ!」
安心したように優しく微笑んだスーザンに、ダリアンもほっこりして、つられて微笑んだ。
「……その、あなたの名を教えてくれないか?」
「え?」
「あ、えっと、その、深い意味はないのだが、助けてくれたお礼をしたいので、名前を聞いておきたくて……」
「ああ、えっと、その、お礼は不要ですわ……。
……ダリアン様、ご無沙汰しております。
こんな恰好をしておりますが、サイラスの妻、スーザン・アバートですわ」
「は?」
「騙すようで、申し訳ございません……」
どうやら、ダリアンも侍女服を着たスーザンが、英雄の奥様スーザンだとわからなかったようである。
その事実に少々、ショックを受けるスーザン。
「ええ!?なんで?どうして?」
「……その、まあ。少々、事情がございまして……」
「な、何故、侍女の恰好を?」
「うう、それは、その、サイラス様絡みでして……」
「……ああ、なるほど」
「すみません、お見苦しい姿を……」
「いえ、サイラス将軍ですからね……。それに、全然、見苦しくはないですよ」
「はあ、どうも恐れ入ります」
そう言って、お互いに深いため息をつく二人。
ここでアマンド嬢が戻ってきたら、またもめるかもしれないと、スーザンとダリアンは、とりあえずサイラスの執務室に避難することにした。
サイラスの執務室前の護衛には、事情を話し、ダリアンと無事にサイラスの執務室に入れたスーザン。
スーザンが執務室から侍女に連れられて行くのを止められなかったことを、ひたすら謝る護衛に、スーザンは謝罪を受け入れて、ついでに先程のリネンを仕舞った棚の鍵を、他の侍女に渡すように頼んだ。
サイラスの執務室には、まだ誰もいなかった。
普段なら、副官のセドリックがいたり、サイラス将軍に用のあるものがいたりするが、幸い誰もいなかったので、スーザンは疲れたような様子のダリアンを心配して、お茶を入れて落ち着いてもらった。
「……お気遣い、ありがとうございます。アバート公爵夫人」
「いえ、こちらこそ、このような恰好で申し訳ございません」
「そんな、お似合いですよ……。
あれ?これは褒めておりませんね。失礼。
でも、普段のドレス姿の印象が強く、別人かと思ってしまいましたが、どうしてその恰好を?」
「えっと、そのサイラス様のご希望で、侍女の服を着たらどんな感じか見てみたいと言われまして、着ました」
「そうですか……。相変わらず、お大変そうですね。
でも、何故、あちらにいらっしゃったのですか?」
「サイラス様に請われて、こちらで待機していましたら、本当の侍女と間違われてしまい、用事を頼まれまして……」
「そ、それは災難でしたね……。
でも、そんな間違われても事を荒立てないとは、さすが英雄の奥様ですね!」
「いえ、そんな騒ぐほどのことではないですし……。
それより、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、アマンド嬢のことですか?」
「ええ。ダリアン様は、アマンド嬢と何かトラブルですか?」
「そうですね……。トラブルというか……」
疲れたようにため息をついたダリアンは、アマンド嬢に追いかけまわされていた件をスーザンに説明した。
ダリアンは、現在、マリロード王国内で、独身貴族男性の中で最も有望な人物であり、一番モテていた。
身分だけでなく、サイラスやエドワルド王子程の華やかさはなくても、さすがに王族だけあって、見栄えの良い容姿をしている。
おかげで、ダリアンを狙う肉食系貴族令嬢が後を絶たず、普段から追いかけまわされており、特にアマンド・ヒュース侯爵令嬢は、国王から婚約者候補として挙げられたこともあり、最も積極的にダリアンにせまっていた。
「今回は本当に困った事態になりそうでした。
アマンド嬢が私と既成事実を作ろうと、力技にでられて、さすがに慌てて逃げてしまいました。
男としてスマートに対処できず、情けないことです……」
「まあ、お大変でしたのね……」
「マリロード王国の貴族令嬢は、積極的な方が多いのですね。
それか、娘に高位貴族を狙わせるような野心家の貴族が多いのでしょうか?」
「そうですね。皆さま、積極的な方が多いような気がいたします……」
「サイラス将軍が羨ましいです。私もスーザン殿のような方を見つけたいです」
「まあ、ありがとうございます。でも、ダリアン様なら、もっと素敵な方に出会えますよ!」
「そうだといいのですが……。最近は無理かなっと思い始めました」
「まあ、そんな……。まだあきらめるには早いですわ!
……そういえば、ダリアン様の母君の国に、良い方はいらっしゃらなかったのですか?」
「ああ、それは、実は……」
そこで、ダリアンは、ダリアンが成人までいた母親の国リオラーダ王国に残してきたと噂される婚約者の事情も説明した。
ダリアンの母親はリオラーダ王国の元王女で、マリロード王国の王弟オルセ公爵に嫁いたが、ダリアンの父親がダリアンが生まれてすぐに亡くなってしまった。
その関係で、ダリアンが成人するまでの約束で、ダリアンの母親はダリアンとともに母国リオラーダへ一時戻っていた。
しかし、ダリアンの母親は、リオラーダ王国にダリアンとともに残りたいと希望し、ダリアンをマリロード王国に帰さないように、高位貴族令嬢との縁談を無理に結ぼうとしてしまい、その令嬢の家ともめることになってしまった。
どうやら、ダリアンの母親がダリアンの結婚相手にと望む令嬢には、両想いの相手がおり、そのお相手もダリアンに負けない位に高位貴族であったため、リオラーダ王国の貴族間で派閥争いのようなものが生じてしまった。
ダリアンはそれを回避するためにも、その婚約はなかったことにして、マリロード王国にさっさと帰国して、オルセ公爵家を継いだのであった。
そして、伯父であるマリロード国王に、条件の良い令嬢の紹介をして貰ったら、それがアマンド・ヒュース侯爵令嬢であった。
「……アマンド嬢は容姿も良く、身分も高く、しかも、彼女の実家であるヒュース侯爵家は、リオラーダ王国とよく貿易をされていることもあり、お互い利害も一致していたのですが、少々、あの性格が合わなくて。
幼い頃から住んでいた国では、女性の方からあんなに激しく男性にアプローチすることはありえなかったですし、彼女の身分の低い者への態度がやや目に余り、どうも苦手と思ってしまって……」
「そうなのですか……」
スーザンも、今日の侍女と間違えたスーザンに対するアマンドの態度から、将来、サイラスの親戚になることを意識したアバート公爵夫人であるスーザンへの態度との差を、やや感じていた。
しかし、マリロード王国の多くの貴族令嬢は気立てが良く、使用人にあんなに態度が悪いことはあまりない。
「大丈夫ですよ!ダリアン様の望む素敵なご令嬢は、まだたくさんいらっしゃいますよ!」
「……でも、私が良いなと思う方は人妻だったり、他に想い人がいたりして、なかなか難しいみたいです。
先ほどもスーザン殿に助けていただき、その笑顔を見て、一瞬、運命かと思ったのですが、違ったようですし……」
「まあ、そんな……」
バーン!!
そこへ、突然、勢いよく扉を開けてサイラスが入って来た。
「スーザン!無事か!?
何だか不穏な予感がしたぞ!!」と相変わらずスーザンへの虫よけセンサーが働き、急いで戻って来たサイラス。
「……まあ、サイラス様、お待ちしておりました。ベリーナはご一緒ですか?」
「ああ、待たせて済まない。侍女の服のままでいてくれたんだね。
もちろん、ベリーナも一緒だぞ!
ん?なぜダリアンがここに?私に用か?」
「いえ、もう用は済みましたので……」
サイラスが戻って来たので、もうダリアンは退出しようとしたところ、サイラスの後ろから、ベリーナが入って来た。
「お邪魔いたします、奥様。
……まあ、その恰好、自然すぎますわね。
たぶん、その恰好で王宮を歩いても、どなたにも気づかれないのでは?
やはり、公爵夫人に相応しいように、きちんと着飾るべきですわ!」
うう、確かにそうだった~。
さっき、本当に侍女に間違われてしまった。
しかも、面識のあるダリアン様ですら、初めは私だと気づかなかったわ……。
くっ、王宮の侍女が忙し過ぎたせいで、セキュリティーが緩くなったと思いたかった。
でも、やはり、私が地味すぎるからね……。
スーザンの侍女姿を見てすぐに辛口評価するベリーナの言葉に、遠い目をするスーザン。
そんな辛辣なベリーナに、サイラスは反論する。
「そんなことないぞ!侍女の服着てても、スーザンの肌の魅力は損なわれておらんぞ!!
この侍女服のスーザンも、私は惚れ直しそうだ~」
「……そんな特殊な趣味はサイラス将軍だけでは?」
「本当に、貴様は無礼だな!」
「まあまあ」
ベリーナとサイラスがスーザンの侍女服姿のことで、案の定、言い争いになったので、スーザンが仲裁しようとした。
そこで、まだ退出せずに、驚いたようにベリーナを見つめるダリアンに気がついた。
「え?もしかして、君はベリーナ?
ベリーナ・ノースロイ子爵令嬢の?」
「あら?何故、私の本名を……。
ええ!?ダリアン様ですか!?お久しぶりです!
ああ、そういえば、ダリアン様は、こちらの国で副将軍におなりになっておりますものね」
「やっぱり、ベリーナか!?君もこの王宮で働いていたのかい?」
ダリアンとベリーナは知り合いであった。
しかも、ベリーナはダリアンの母親の母国であるリオラーダ王国出身で、身分も実は子爵家の令嬢であったが、化粧の研究に熱心な変わり者のため、リオラーダ王国で貴族令嬢として暮らすことを嫌い、彼女の化粧技術を高く評価してくれるマリロード王国の王宮に侍女として勤めることになった。
昔、ダリアンの母親に化粧をするため、ダリアンの家に出入りしていたベリーナは、貴族令嬢でありながら、変な色目をダリアンに使わないため、ダリアンも友人として仲良くしていた時期もあった。
「ベリーナ、久しぶりに会えて嬉しいよ」
「私もお久しぶりにお会いできて良かったです。
こちらで、王妃様付きの侍女をしておりますので、どうかよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ!」
ベリーナと今までにないくらい穏やかに嬉しそうに話すダリアンの姿を見て、スーザンは、ダリアンとベリーナとの間に恋の予感がした。
英雄の奥様は、またもや恋のキューピットになるかも!?
エリザベスに続き、この恋が本物になるなら、何とかしてあげたくなるスーザンであった。




