英雄の奥様と靴
マリロード王国の英雄サイラスは、奥様のスーザンに、夜会事件から洋服への小言以外にも、靴についても口うるさく注意することがある。
靴はしっかりしたいいものをはきなさい!
靴には魂が宿っていると思って、きちんと吟味しなさい!!
よく転ぶのは靴のせいもあるから!
実際に、よく転ぶスーザンは、サイラスにひどく心配されている。
もともと、転んだことをきっかけに知りあった二人であるが、それがきっかけでスーザンにとって害になることもあるため、サイラスはスーザンに散々、転ばないように靴についても注意していた。
スーザンにとっても、サイラスと出会った日の夜会で、もしスーザンが転ばなかったら、サイラスと知り合うこともなく、スーザンは伯爵令嬢としての平凡であるが平穏な人生を歩めたかも知れないため、ある意味、その忠告は間違っていなかった。
また、スーザンが転ぶと、サイラスがそれに関わることで、様々な現象が連なって起きて、その結果、国レベルの変化に影響する現象が何度かあった。
そのうちのひとつである、サイラスが短期間で北の蛮賊を殲滅したということが、スーザンとサイラスの出会いによるものだと今更ながら噂が流れた。
また、北の蛮賊にとって憎い仇であるサイラスの最愛の妻というだけでも、スーザンは北の蛮族の残党にとって復讐のターゲットとなった。
もっとも、北の蛮賊の残党にはもうあまり力はなく、暗殺者をスーザンの元に送る余力もなかった。
ただ、彼らは暗殺にも使えて、北の過酷な環境でも生きられる毒兎を飼っていた。
毒兎は、見た目は可愛い無害な草食の兎と変わらなかったが、獲物を狩る際に、隠していた1本の毒の牙で噛みつき相手を毒殺し、その肉を食べるという肉食系小型凶獣であった。
もちろん、彼らは本来ならばサイラス自身を狙いたかったが、サイラスの隙を狙って殺すには手練れの暗殺者でも無理であった。
そのため、サイラスほどは警備も厳重でなく、身を守る術を持たない女性である無防備なスーザンなら、毒兎でも殺せるだろうと考えた。
そして、仇のサイラスは愛妻家でも有名であったので、スーザンを殺害することでサイラスに大きなダメージを与えられるとも考えた。
こうして、スーザンをターゲットにして調教された毒兎を、北の蛮賊の残党に協力する輩がサイラスの屋敷のセキュリティの隙を狙って庭へ放した。
サイラスは、当然ながらマリロード王国内に北の蛮賊の関係者を入れないように排除する対策をとっていたり、少しでも北の蛮族に協力するような国内の人間も国外追放にしたりしていた。
それでも、マリロード王国の国外にいる際に、家族を北の蛮族の残党に人質としてとられ、無理やり協力させられる者が少数であるがいた。
サイラスの屋敷は、王宮近くの王都にあり、英雄の屋敷ということで観光名所のように思われている。
そのため、 屋敷近くまで訪れては拝んでいく観光客も多かった。その観光客達に紛れて、北の蛮族に無理矢理協力させられた者が、サイラスの屋敷に近づくことは可能であった。
厳重な警備や強硬な塀や柵があっても、隙は探せば見つかるもので、兎一羽位なら、すり抜けられる隙が、まだサイラスの屋敷にはあった。
協力者により、サイラスの屋敷の庭へ放たれた毒兎は、屋敷に向かって進み、ターゲットであるスーザンを探した。
そして、ついに屋敷のテラスで、子供達とお茶会をしているスーザンを見つけた。
その毒兎は、無害な可愛い兎の擬態が上手かった。
また、マリロード王国には毒兎は滅多にいないが、兎は数多く生息しているため、野生の兎が紛れたと思い近づき、毒兎の被害にあうことがまれにあった。
ましてや、このサイラスの屋敷に現れた毒兎は、暗殺用に訓練された暗殺毒兎であったので、スーザンに正確な狙いをつけて、近づいてきた。
「あ、お母様、兎さんよ!兎さんがいるわ!!」とタチアナがスーザンに近づく兎に気がついた。
「あー、本当だ。野生の兎かな?うちの庭に入り込むなんて、珍しいね~」とレオナールも不思議そうに兎を見つめた。
「まあ、本当ね。迷子の兎かしら?」と首を傾けるスーザン。
まさか暗殺用の毒兎とは気がつかず……。
スーザンはその時、丁度、ケーキのお代わりをしようと席を立ち、お代わり用のケーキ皿を持っていた。
そのスーザンの足元に、毒兎は突撃してきた。
シャー!!
その兎の来襲に驚いたスーザンは、思わずそれを持っていたケーキ皿で防ごうとして、逆にそのお皿を持ったまま、毒兎に向かって転んでしまった。
バンッ
ゴンッ、
バタッ
ガシャン
キュウ~
それは、毒兎がスーザンの足に牙をたてるより早く、スーザンの持っていたケーキ皿が毒兎の顔面を強打した上に、スーザンは、自分が転んだ拍子に、そのケーキ皿に全体重をかける結果になった。
スーザンの体重がかかったケーキ皿に、顔面を潰された毒兎は、ひどいことになった。
その毒兎の顔面上で、ケーキ皿は粉々になり、ターゲットに牙をたてるどころか、見事に顔面が潰れたうえに、毒の牙がポッキリ折れてしまい、毒兎は意識を失ってしまった。
「キャー!う、兎が!兎が大変なことに!!」とスーザンが叫ぶ。
「お、お母様、大丈夫!?
まあ、大変!兎さんが!!」とタチアナも騒いだ。
「わー、潰れ兎だ~!大丈夫かな?
お母様には、怪我はない?」と心配するレオナール。
その場にはキュウッと潰れた毒兎が一羽。
その日も屋敷の護衛についていたカイル・サーデンは、スーザン達の叫び声を聞きつけて、飛んできて、スーザンやタチアナ達が無事なのを確認し、潰された毒兎も確認した。
こ、これは毒兎では?
牙が折れているが、間違いなく毒兎だ。
何故、毒兎がここに?
偶然ではないな、これは……。
すぐに将軍に報告しないといけない!
しかし、スーザン様達に気づかれないようにした方がよいか?
カイルはすぐに気絶した兎を拘束するように布で包み、折れた牙にも素手で触れないようにして回収した。
幸い、スーザンやタチアナ達は突然の出来事に固まり、その兎に一切、触れていなかった。
カイルはスーザン達をすぐにその場から移動させた。
兎のいた痕にまだ毒兎特有の毒が残っているかも知れないため、片付けさせる際に、カイルは危険物の対処ができる者を呼び、状況をこっそり説明してから慎重に処理をさせた。
そして、すぐにサイラスにこの件を報告するカイル。
「何だと!!スーザン達が毒兎に狙われただと!?
くっ!毒兎を使うとは、北の蛮族の残党に間違いないな。奴等の最終手段だ。実行犯を含めて奴等をすぐに処理するぞ!」と怒り心頭のサイラス。
「はい!毒兎の侵入を許してしまい、申し訳ございません。すぐに、屋敷の外からも確認して、その毒兎の侵入経路と思われる場所は全て塞ぐように指示しました。
ただ、やはり、以前にもご指摘したように、塀の高さや材質の問題がございますので、修繕だけではなく、全面的な増設などが必要かと存じます」とカイルは気になっていたセキュリティの甘さについて、これを機会に色々と指摘した。
「わかった。修繕計画や新設、増設計画を早速、やってもらおう。家族の安全のためには最高レベルにしよう」
「は!承知いたしました。
あと、今回は、奥様が転んで難を逃れたようでございますが、転ばないような対処をまた奥様へご注意ください」と、かつてスーザンが転ぶところを助けたために、部署移動になったことがあるカイルは苦笑してサイラスに伝えた。
「うーん、常々、注意しているのだが、それでもスーザンはよく転ぶので、心配だよ。
あと、スーザンが転んでトラブルになることもあるが、今回のように幸運なこともあるのだな。
たとえば、私とスーザンの出会いや、君との出会いとかがそうだね。
あの時はまだ王宮の門番だった君が、スーザンが転ぶのがきっかけで部署移動して、いまや、アバート公爵家の護衛隊長だしね。
本当に世の中は何が起きるかわからないよ」とカイルに笑いかけるサイラス。
「まあ、確かに今回のように被害にならないこともありますが、お怪我しないためにも、気をつけるに越したことはないですよ」
「そうだな。スーザンには国一番の靴職人の手配をして、転ばない靴を作ってもらうことにするよ!」とサイラスは早速、スーザンのために靴職人を手配するのであった。
一方、捕まえた毒兎は、折れた牙が再生することはなく、毒を分泌する腺も潰れてしまい、もう二度と毒牙で獲物を狩ることができないため、無害な兎と同じになった。
ただし、食べるものは草ではなく肉のため、生きていくためには牙以外のキックなどの攻撃で獲物を狩るか、他の動物の狩った獲物のおこぼれをもらうか、人間に飼われて肉をもらって生きていくしかなかった。
スーザンは、自分が怪我をさせた兎が自分を暗殺しようとした元毒兎と気づかず、また、子供達の要望もあり、サイラスの反対も押し切ってアバート公爵家でその兎を飼うことにした。
兎が飼えることになって、子供達はワクワクしながら、名前を決めることにした。
「ねえ、この兎の名前をつけよう!」
「何がいいかな?」
「リンディのリンと、タチアナ姉様のナを取って、リンナにしよう!」とレオナールが提案し、タチアナも「リンナ、可愛い名前ね!それにしましょう!!」と賛同したため、その元毒兎はリンナと名付けられた。
時々、スーザン暗殺の使命を思い出す元毒兎リンナは、スーザンの足元に噛みつくようにまとわりつくが、無害な可愛い兎がじゃれているとしか思われず、スーザン自身はもちろんのこと、周囲もその光景に癒されていた。
そして、しばらくの間、スーザンは自分が殺されかけたことに気づくことはなかった。
英雄の奥様は、ちょっと変わった兎のペットに癒される!
しかも、スーザンは自分が転んで兎のリンナに怪我をさせたことをとても反省した。
その後、サイラスの注意も聞いて、サイラスの手配した靴職人に特別に作らせた転びにくく、機能性の高い靴を履くようになったので、転ぶ頻度がぐっと減ったのであった。




