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シノとニムが子供達の警戒心を解きほぐしたようだ。結界の中に入るとマストフとクオラームが優しい音を奏で、シノの膝に座った子供もぎゅっと洋服を掴んではいるが表情が柔らかくなっている。
「リュワ、皆とお菓子を食べといで。トレドさん、すみませんが手伝っていただけますか?」
「お、そうだな。とっとと済ませるか」
頷いて鞄から御菓子を取り出すリュワの頭を撫でて、トレドさんが立ち上がった。
鉄格子を引っ張り現場に戻る。偽装工作だ。横腹を思い切り蹴り、鉄格子をゆがめると同時に地面に車輪が滑った跡をつける。内外に死体を擦り付けて凄惨な血の現場を作り出す。遮蔽結界を解けば魔物が血の臭いを嗅ぎつけて死体を持ち去ってくれるだろう。周辺の木に数箇所、切傷を刻んで終了。
作業中にぽつぽつとトレドさんが語りだす。いつか聞いた戦争の話と違い、面白さは欠片もなかった。
「あの街でな、昔、商品が二人脱走したんだよ」
その二人も当時幼かったらしい。年上は当時十一歳、年下は五歳。とある商家の息子だったそうだ。その商家は代を重ねた小さな店だったが、父親が一山当てた。規模はあれよと大きくなり、大店から末娘を嫁にも迎えた。言葉は悪いが成り上がった父親の経営は順調だったが、二人目が生まれて少しして、翳りが出始めた。
「成り上がりはな、成り下がるもんさ」
急上昇したグラフのカーブは頂点で折り返し、下降に入る。真中で鏡を挟んだように急降下していくその線を支える事は無理だったようで、父親は再び浮上するべくハイリターンを夢に見た。熱に浮かされていたわけではなく、万一の時に害が及ばぬようにと母に子供を託し、離縁してから街を出た。戻ってきたらお祝いだ、と告げて。
実家に戻った母親は事情を説明したそうだが、大店の経営者はミソがついた男の賭けなどどうなろうが知ったことではないと切り捨てた。娘の次の嫁ぎ先を探し、そうする為の障害を冷静に見極める。考えなくてもわかる障害は、母の胸にしっかり抱かれた二人の子供。純粋に育った二人は祖父の言葉に喜び街へと連れ出された。
「そこからはよくある話だ」
繋いだ手は急激に冷たくなり、とある建物で欲に塗れた手へと渡された。
「あの頃は子供相手に鎖や枷なんて無かったんだよ。鉄格子もな」
「……」
「運が良かったのは見張りが一人だけだったこと、その見張りが自分の仕事に嫌気が差していたことだった」
リュワとニムは最後の二人だったが、その子達は最初の二人だったらしい。三人は街を出て南へ向かう。特別優しくはなかったが酷くもなかった元見張りの独り言を、ある夜年上は聞いてしまう。情に絆されて己の行いを後悔した訳ではなかった。下働きで生を終えるのが嫌だっただけだった。二人はやり直す資金源、善悪の差はあれど、再起を決意した父親と同じ事をしていただけ。
「目的地も聞いたしな。その一歩手前で気が緩んだ夜だ」
年上は血を浴びた。
行き先を変えてとある村へと流れ着き、村人の情で数日を過ごした年上は、元見張りの遺産と遺品を持って長に土下座して年下を託した。
「それで、どうなったんですか?」
「さぁな。話が逸れちまったが、それからだ。ガキの移送にまで厳重な警戒が敷かれるようになったのは。見張りは複数、鉄格子に鎖と枷、最初にガツンと喰らわせて逃げる気なんか起こさせやしねぇ」
あの子達にしてみりゃ迷惑な話だよな、と自嘲するように吐き出すトレドさんを見て、あの時の歯軋りの意味の真実がわかった。責める相手は自分しか居ないのだろう。より過酷な状況を作ってしまったこと、後ろ暗い連中から仕事を請け負い闇を深くしていたこと、弟を置き去りにしたこと。
でも悪い事だけじゃない。あの子達はこれから笑える。血蝶があったからニムは今マストフを奏でている。辿り着いた村で成長した弟さんは伴侶を得て笑っていた。
「迷惑なんて思ってないと思いますよ。あの子達にとってトレドさんはヒーローじゃないですか」
「んな訳」
「ありますよ。もうだめだと諦めた夜から救い出してくれた英雄です」
俯いたトレドさんから感情が一筋流れて、頬を伝って地に落ちた。少しの間そのままだったトレドさんが顔を上げて僕を見る。表情は怖いくらい真剣だった。
「シュウ、悪いが俺はここまでだ」
「ええ、後の事は頼みます。僕達はあの子達を連れてはいけませんので」
「すまねぇ」
「なんで謝るんですか。僕は頼むと言ったんですよ。仕事の依頼です。前払いでお願いします」
そう言って魔法の鞄を一つ渡す。中身は食料と水にもうじき使い道がなくなる公国貨幣。
「連中の馬に僕達の馬車もつけます。存在を消す魔道具も積んでありますので要所で使ってください」
「貰いすぎだろ……」
「足りないくらいですよ。今までの助言代金も入ってますので」
「ははは、拝んでやろうか?」
「そんな上から目線でですか?」
いつもの調子に戻そうと軽口を叩くトレドさんの思惑に乗った。作業の終わりに伝える。
「とある国では子供好きの貴族がいるらしいですよ。魔道具のぬいぐるみ連れた偉い人に会ったら聞いてみては如何ですか?」
「平民だぞ?」
「気にしないという話です」
「そりゃまた奇特な御貴族様だ」
馬車に戻る頃には雰囲気もいつものものに落ち着き、僕が居ない間に聞き出した子供達の事も聞いた。三人とも親は居なくなったらしい。想像はしていたが外道の集団だったようだ。魔物達、腹を壊さなきゃいいけど。まぁ、そんな事情だから送り届ける事はしなくて良さそうだった。途中で一度、公国さんの御屋敷に寄ってからあの人の後を追うそうだ。恋人の了解も得ないといけないしね。
笑顔の六人に迎えられた。リュワが一番年上の子にお菓子の鞄を渡していた。
「まだまだー、いっぱい入ってるけどー、お菓子ばっかり食べてるとー、歯が痛くなるってー、シュウが言ってたー」
「リュワ君も歯が痛くなったのー?」
「僕はー、気をつけてるからー、大丈夫ー!」
「貴方達も気をつけるんですの。痛くなったら無理矢理歯を抜くしか方法が無いんですの」
「無理矢理?」
「痛そう!やだー!」
気は紛れたみたいだな。これから先、思い出して辛くなる事があるかもしれないけれど大丈夫だろう。トレドさんがついてるんだし。
これからおじさんと一緒に旅をしよう、行き先は優しい人がいっぱい居る街だ、と提案された子供達は、少し考えたものの、やがてこっくりと頷いた。リュワとニムがトレドさんは優しいよ、美味しい物もいっぱい知ってるよ、と援護射撃したせいもあるだろう。リュワとニムがパーカッションを手渡して、またね、と告げる。笑顔でまたねと返す子供達はトレドさんにも懐いているようだ。ヒーローだし、当然か。
「わかんねぇ事があんだけどよ」
「なんでしょう?」
「なんで『天敵』と『天罰』なんだ?」
「……まぁ、色々ありますが。大事な人がつけてくれたんですよ。他の理由は行った先で嫌ってほど聞けます」
アレストに子供が増えればエイダさんも喜ぶだろう。エイダさんが喜べばデセットさんだって喜んでくれる。素直なルード君はお子様団の臨時団長かな。アリーシャさんは、ドリスさんは、ケネスさんは、ダフトさんはと繋がる顔が次の顔を呼ぶ。皆笑顔だ。当然か、僕の大事な人達なんだから。シノと同じ表情で迎えてくれるさ。
出発前に馬車の点検をし、諸々魔道具の使用法を教えてそこで別れる。御者席のトレドさんの背中にはじきに陽が差すだろう。自分の影はついてまわるけど、影が出来るという事は、光を浴びているって事だ。もう影すらできない世界には戻らないだろう。上手くぬかるみから出られた人は、ぬかるみの怖さを知っているんだから。
いつもの調子の短い言葉で僕達はお互いに背を向けた。
「んじゃな、シュウ、シノ。リュワもニムも言う事聞くんだぞ」
「うんー!トレドさんー、また遊ぼーねー!」
「これまでの色々な御心遣いに感謝いたしますの」
「弟さんの事と一緒に御幸せをお祈りしておきますね」
「では、また。次は向こうで」
「ああ、向こうで待ってるぜ」




