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「だってよー、お前らで一部屋なのはわかっけどよぉ。なんで俺が子供部屋で子守なんだよー」
「そういう約束だったじゃないですか……」
「いや、そうだけどよ、俺だってたまにはおねーちゃんの出前頼みてえじゃねぇか」
「まったく、今日だけですよ……あ、すいません。もう一部屋お願いできますか?一泊で」
階段を下りながら芝居をして壁の耳に欲しい情報を与えてやる。願ったり適ったりの状況でしょ?しっかり食いつくようにね。従業員にあまり汚さないでくださいよ、と釘を刺されたトレドさんはニタニタと笑いながら肩を組んで出前を頼んでいる。銀色を数枚、手渡された従業員は内緒ですよと街に消えていった。その様子を見て溜息を吐いた僕は階段を戻り、扉を開けて静かに閉めた。
(リュワ、ニムを護るんだよ。ニム、危なかったら魔法を使っていいからね)
(任せてー!!)
(わかりましたの。宿を出たら気を惹かないように存在を薄くしておきますの)
シノと頷き合い、頃合を見計らって灯を落とした。追加の一部屋に入ったお姉さんは早々に落とされたようだ。魔族をも虜にしたトレドさんの手管は素晴らしいものなんだろう、僕も見習わなくては。次に会えたら弟子入りしようかな。
やがて隣室の扉が動く。四つの気配が入り込む。裏家業が噛んでるにしては気配の消し方がなんというか……雑。それとも完全に気配を絶った凄腕がいるのか?
(リュワ、人数は?)
(んっとー、四人ー)
指示を出した人間、見張りの二人、隣室の四人、最低でも七人。狸寝入りのリュワとニムが連れ出されて階下に消えた。隣室のドアに一人張り付いている。こいつが『宵鴉』かな?微動だにしない。ではこっちも動きますか。ベッドの上に魔道具を置いて、作動させると同時に僕が存在を消す。行ってくるね、とシノに念話を送って部屋から出た。シノは隣の気配が動いてから僕の指輪を辿ってトレドさんと馬で追って来る手筈だ。
厩舎に行くと静かに蠢く人影が多数。プラス二人か。動かないリュワとニムを鉄格子の中に静かに収めて、二頭だての馬車が動き始めた。
(こっちは出るみたいだ。シノの方は?)
(窓際に位置を変えたわ。目視で確認してから追いつくつもりなんでしょうね。合流は門かしら?)
(門番まで引き入れてるのか。腐ってるな)
物陰に隠れる必要がないどころか、馬車の後ろの端に腰掛けた僕が宿を見上げると、隣室のカーテンが揺れた。宿から離れると、左右の見張りが鉄格子の中の寝入った二人を見て、この揺れでも起きないって暢気なガキだぜ、とニヤけながら軽口を叩いた。
やがて門に着き、袖の下を受け取った門番と談笑していると一人、長剣を背負った黒ずくめの男が現れた。雰囲気はあるけど十中八九は格好だけだろうな。あの気配の消し方じゃあトレカークの交渉係といい勝負だろう。
「だんな、首尾はどうでした?」
「隣室は二人共静かなものだ。女も攫えたかもな」
ああ、そのうち一つは魔道具です。
「うひひ、この分では予定地点まで護衛していただいても夜明けにはまだまだ時間はありますぜ。帰って攫う時間も十分でさ」
「予定にない仕事はしない」
格好つけてるけど、今一瞬考えたでしょ?しない方がいいですよ。鼻が惜しければ。
門番に別れを告げて一行は無事に町を離れる。馬車の後ろで足をぶらぶらさせる僕も一緒だ。シノに念話を繋いで報告すると、二人も今宿を出たそうだ。門が視界から消えると声も大きくなる。どれくらいの値をつけるか、何処に売りに行くか、売った後は、と取らぬ狸の皮算用が始まる。こいつらは仲買人に卸すようだ。数度、持ち主を変えて出所を隠蔽するんだろう。
真暗な街道を先導役の持つ松明を目印に進む。冷たい風と寂しげな鳥の声だけが周囲を包む。僕達の一団ではもう失われた物ばかりだ。
(門番は眠らせたわ。門も閂は外しておいたわよ)
(了解、黒い人が消えたら始めようか)
気配は感じないがそう遠くない位置には居る筈だ。シノも同時展開は五筋になり、姉さん先生と並んだ。今は指輪の感覚だけがシノの存在を教えてくれている。この状態で稽古をしたら何か掴めるものがあるのかな、とふと思った。
「では俺はここまでだ」
二股の別れ道で黒い人がそう告げる。報酬を受け取り、裏と繋がりを保とうと名を聞く依頼主に『宵鴉』とだけ言って道を引き返していく。うん、腕はまだまだだけどこういう人が重宝されるんだろうな、と感心した。やや自己陶酔気味ではあるが。
(リュワ、子供達の意識を外から逸らしてくれる?)
(わかったー)
「よーしお前ら、ここから野営地までは気をつけて進むぞ」
右手に馬首を巡らせたのを見て指輪の感触が前方に移動する。そこで合流する人間が居ても面倒だし、少し進んだところで前後を挟むか。そう念話で皆に伝える。トレドさんはシノと一緒に居るからわかるだろう。別れ道が木立に隠れた辺りで馬車から降りて刀を抜いた。
どさどさと二人が倒れる音に振り向いた一同が驚いたのは僕の存在だろうか、それとも急に止まった馬にだろうか。
「こんばんは」
「手前ぇ、誰だ!」
「やだなぁ、同じ宿に泊まってたじゃないですか。御存知でしょ?」
「あの若造、出鱈目こきやがったのか!」
手に手に獲物を抜くが、先導役の松明が地に落ちた事には気づいていないようだ。トレドさんのグレイブの腕は、魔物相手に訓練した事もあって上達著しい。風を切る音が無かったところを見ると、後ろから延髄に一突き。
「くそ、武器を捨てろ!ガキを殺ひゅ」
「出来ない事は言わない方が良いわね」
自分の喉から突き出た長巻の切先を見たのかどうか、さらに一人、居なくなる。全員がシノに目をやった一瞬、逆方向からまたもどさりと音がした。
「バカが。妙な欲出すから全部失くす羽目になんだよ」
彼我の戦力が同数となり、腹を括ったのか自棄になったか打ちかかって来た。間合いが短く、一番頼り無さそうとでも思ったのか、三人が僕に向かってくる。袈裟に振るった刃を返しそのまま切り上げると、三つに分かれた仲間の姿に残りの二人の勢いは霧散したのか踵を返すが、それぞれの眼前に形の違う光が奔り、自由に動けるのは僕達三人と四頭の馬だけになった。
二股の道まで引き返す。夜闇の中とはいえ血塗れの光景を子供に見せたくはないしね。リュワは上手く馬車を引く二頭と友達になれたようだ。
「安心して。助けに来たのよ。皆、大丈夫かな?」
最初に聞く声は女性がよかろうと、鉄格子を開けてシノに中に入ってもらう。一番幼い子は泣き出してシノに抱きついていた。魔物に襲われないように結界を張ってから僕とリュワは街へと引き返した。黒い人が変な色気を出さないか心配だったし、あの馬車に子供を乗せていたくはなかったからだ。ルガーに相乗りして、途中で黒い人を追い越して街に戻る。門を開け、中に入って閂を元に戻してから眠りの魔法を解いた。暫く物陰で待っていると黒い人は宿とは別の方に向かう。確認してから宿に戻った。
部屋に戻り、必要な物を持ち出す。トレドさんの荷物は綺麗さっぱり無くなっていた。予想はしていたけど、寂しい気持ちは抑えきれない。馬車とルガーを繋いで、宿を出る。深夜の街は静まり返り、厄介事にも僕の気持ちにも知らん振りを決め込んでいる。遠い色街では逆なんだろう。寂しい気持ちを嗅ぎつけて、金と厄介事を呼ぶ。部屋から消えていたお姉さんはそういう場所に帰ったんだろう。
再び門番を眠らせて外に出た僕達は、速度を上げて子供達のいる場所へと向かった。馬車からは口笛が聞こえる。
「夜中に口笛を吹くと魔物が来るよ」
「やっつけるからー、平気ー!」
この手は失敗だったか、と少し気分は持ち直した。




