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耳に馴染んだメロディが響いてくる。ニムのレパートリーはあれから三曲に増えていた。僕がたまに合わせて歌うことがあったからかもしれないけど、この世界には無い曲が気に入ったようだ。あまり妙な言語を口ずさむと皆に怪しまれると思った僕は、歌詞が理解できるものはこちらの言葉に変えて歌っている。今は口笛でバッキング担当だ。
「シュウー、どうやってー、その音出すのー?」
「どうやって……んっと、まずは口を窄めて舌は下側の前歯の裏にくっつけて……」
すーすー、ふーふーと息が漏れる。
「難しいー」
「一度繋がってみる?」
「……もうちょっと頑張るー」
後ろから身を乗り出してトレドさんも教えに来た。思いっきりじゃなくて細く長く吹いてみな、という会話を横に僕は数え切れないほど聞いたメロディの後ろを奏でる。録音じゃなくて生音に合わせるのって気持ちいいんだな。表情の乏しいニムも僕やリュワが演奏に合わせると少し顔が綻ぶ。それを見て嬉しそうな顔になるトレドさんは、次の街でクオラームという楽器を買うそうだ。話を聞くと小振りなボディを貫くように配されたネックに太い弦が張られた低音を担当する楽器、だそうだ。
公国も大分北へと進んだ。一緒に過ごせるのもあと少しかもしれないけど、野暮な事は言わない。一緒に居られる時間を大切にしてくれているという事だろうから。
ぴゅい、と横から音が出る。
「できたー!!」
「お、坊主、よくやった!口笛は結構奥が深いぞ!」
演奏が止まり、ニムもリュワを褒める。最早武芸者ではなく楽団の一座と化した馬車を引くリースとルガーも、耳をぴくぴくと動かして、リュワ曰く御機嫌、だそうだ。
音楽で、芸術で世界が変わる事はない。けど人は変われる。決闘で沈んだ僕の気持ちは馬車内に響く旋律が変えてくれた。ニムやリュワの気持ちが籠もっているから、尚更効果覿面だった。気分が変われば目に映る色も変わる。イーノスさんの視界も鮮やかになればいいな、と思いながら、再び始まった演奏に口笛を合わせた。
メリアトリムという街、門には審査を待つ列、前にも後ろにも人と馬車。これは丸ごと消えては入れないな。
「俺とシュウ以外は姿を消せ。荷を運んだ帰りだ。代金は事務所に後払い。これで袖の下は最低額でいけるだろう」
「じゃあ僕は下っ端ですね。お任せします」
と、役割を打ち合わせ、長時間待たされた挙句に面白くない顔の門番に顎をしゃくられて中に入った。宿を取り、はしゃぐトレドさんに引き摺られるように街中に繰り出す。トレドさんの肩に跨り、ピーピーと口笛を鳴らすリュワを見る目は、午後の大通りという事もあって微笑ましいものが多い。時々、小路の奥の暗がりから刺さる視線もあるが、今すぐ何かを仕掛けられる事は無さそうだ。
「北に向かうなら最後の大きい街だ。南に行くなら最初だな。比較的物資も豊富だ。少々買物の規模が大きくても珍しくはないからな、しっかり準備しておけよ」
ニムと繋いだ手を振りながら助言を口にするトレドさん。僕達と同じ、いや僕達以上に街並みをきょろきょろと見回している。たしかこっちに、とブツブツ呟きながら楽器店を探している。やがて辿り着いた店のおじさんは、トレドさんを見て一瞬、考え込むような顔になった。
「いらっしゃい、何をお探しで?」
「クオラームを見せてくれ」
「へい、こちらへどうぞ……以前もご注文いただきましたかね?」
「いや?」
「この辺がクオラームでさ。旅の方ですかい?」
「ああ、公都からな」
「そうですかい、公都から。出も公都で?」
「いんや、西のデイムシェルだよ」
簡単なフレーズを弾きながら三つ目が御眼鏡に適ったらしく支払いを済ませて店を出た。訝しげな表情の店主は、トレドさんとのやり取りで商人の顔に戻っていた。店を出てトレドさんを見つめるが、視線を外された。仕方ないか、言いたくない事なんて皆持ってるんだし。
そこで空の色が変わり始めた。食料や物資も買っておきたかったが、今から品定めと交渉は忙しない。翌日にするかと店の位置だけ確認して一軒の食堂に入る。味はそこそこ、値段は割高。旅行者価格にしてもちと高いけど、チップと割り切る。こんな場所で目立ちたくないし、トレドさんが楽器の話を楽しそうにしているのを見るに、早く宿で音を合わせたいんだろう。
食堂を出てリュワとニムに注がれる視線の質が、周囲と同じで暗い物へと変化している。路地に入り姿を消すと、数人がばらばらと駆け込んできた。
「居ねぇぞ?」
「んな訳あるかよ、全員が確認してんだ。探せ!」
頑張って下さいと思いながら宿に帰りつく。練習の前にリュワとニムがブラシを手に部屋を出て行き、僕達は一息つきながら北に渡る相談を始めた。
海峡自体は狭い。対岸まで最短箇所で三km程、泳いでも渡れそうだ。が、今回は荷物もあるし、出来るならそりゃ濡れたくはない。簡単な筏でも組んで渡るか。とすると樽を幾つか買っておかないとな。
「渡ったら細切れにして埋めとけ。お前らならそんなに時間もかからねぇだろ」
公国側には数箇所だが、見張り小屋があるそうだ。その穴を教えてもらって算段に目処がついたところで二人分の足音が戻ってきた。
「シュウー、子供がー、牢屋の馬車にー、捕まってるー」
「へ?牢屋の馬車?」
「うんー、可哀想ー。助けて良いー?」
何かあっても単独で動かずに僕かシノに相談する、という約束を守ってくれてる。ローザさんからも何度も言われていたみたいだった。
とりあえず状況がつかめないので見に行く。もちろん存在を消して。トレドさんは予想できていたみたいだ。ギリリと言う歯軋りの音以外はいつもと同じ表情だった。五~十歳程の子供が三人、荷馬車を囲む鉄格子に鎖と枷で繋がれている。小さな空の器が三つ転がっており、見張りは二人。文句を言いながらも気は抜いていないようだ。
(あの子達のー、幽体がー、色褪せてきてるんだー)
皆一様に暗い目で俯いている。幼い子の頬には青あざ。売られたのか攫われたのかは知らないが、希望は失くしているんだろう。
「さっきの二人だろ?追加の荷ってのは」
「だろうな。ありゃ高値がつくぜ?俺達の手当てにも上乗せしてもらいてぇよ」
「全くだ。嵌めんのか?殺んのか?」
「掻っ攫って引き払うらしい」
僕達は全員面が割れてる、と。客を装って情報を得るわけにはいかなくなったな。ざっと見渡して部屋に戻った。会話から察するに、物騒な連中が物騒な手段で集めた子供達のようだ。双方納得しての売り買いならば悩んだだろう。しかし僕達に対する誘拐予告もいただいた事だし、対抗措置を取らせてもらおう。まずは把握しないとな。
「ここは……『宵鴉』のシマだったな」
「やっぱり噛んでるんですか?」
「街中で裏への断り無しに攫わねぇよ。得意先と繋がりあったらヤベぇんだからよ。断り入れてやるとなったなら噛んでるだろうな」
「夕食後の一団はそっちの関係かしら?」
「あれで一人でも逃がせば衛兵が街中を動き回る。同じ宿を取っているなら可能性は低いな」
「他に同じような馬車はなかったところを見ると手に余るほどの集団ではないでしょうね」
「攫ってとんずらするんなら夜中だろう。起きるまで時間も稼げる」
「とすると、決行日時は……」
「長旅で疲れて眠りが深くなる今夜か、滞在中に気が緩むのを見計らうか」
「私達の宿泊予定は二泊で取ってあるわ。確実に狙うなら今夜でしょうね」
トレドさんが考え込む。なにか苦悩が見える。僕もシノも、助言屋さんの思考がなんとなく読めるようになってきていた。だから却下だ。
「お前らは荷物まとめて今すぐ」
「却下です」
裏家業含めた複数人相手にチャンバラして子供も保護、とか考えてるんだろう。室内でグレイブ振り回せるわけないでしょうが。あの人の言葉に背かせるわけにはいかないし、何よりもトレドさんにそんな顔は似合いませんよ。
「イーノスさんと同じ顔になってますよ」
そう言って策を練る。とはいえ単純な物だ。ラギスさん相手にうんうん唸ったのに比べれば鼻歌交じりと言っていいくらい簡単に作戦は立った。途中でシノが難色を示したものの、リュワとニムが大丈夫と言ってくれたので渋々ながら頷いてくれた。
その後は時間が大幅にあまり、いつもの良い笑顔になったトレドさんは結界を張った室内で楽器を取り出し、ニムと音を合わせ始めた。僕とリュワも幾つかの魔道具を作成した後、その輪に加わる。おそらく最後になるだろう凸凹楽団フルメンバーでの演奏に、たった一人の観客のシノが拍手をくれた。
楽しそうにクオラームを弾くトレドさんを脳裏に焼き付けた。暫く見られなくなりそうだったから。




