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姉さん先生の最後の住居は、今はもう雑木林に埋もれているという事だった。
頑強な抵抗の結果、武器を手にした住民は全滅。姉さん先生も枕を並べた。敵兵を満足させるほどの貯えの無かった村は、労力に見合わぬ成果への苛立ちを燃料にした火によって地図から消え、その暫く後、そこから半日程度の距離に移民村が出来た。跡地に移らなかったのは、失意の聖魔女の恨みが根付いている、もしくは生き延びた聖魔女が公国民に復讐に来る、とこの辺りでは噂されたからだ。
「そんな人じゃないんだけどな」
その移民村の鍛冶屋さんに炉を借りて、グレイブの穂先を打ちながら独り言を呟く。
僕の精神を導きながら、この場所の理がよく解らないのよね、とブツブツ愚痴を零していた姉さん先生は、徹頭徹尾研究者肌、であろうと頑張っている涙脆い御婦人だった。どんな感情を持った時でも中心は常に落ち着いておきなさいと、その訓練だと言って僕に生前の記憶を喋らせて僕の心中の動きを見張るはずが、目に涙を滲ませて手を握ってくれた姉さん先生は、優しい女性だった。
前生での魔女のイメージを疑問に載せて尋ねた僕に、笑いながら答えたものだ。
『どういう邪教なのよ。修君が今やってる事とそう変わりないことをしてたわよ?お酒の席で辛い話を聞かせてもらったりとか。あ、勿論無理矢理踏み込んだりはしてないわよ?まぁ、そんな事をしていたからかしら?他人の無念に同調しやすくなってね。失敗だったかなぁ』
と、悔恨など欠片もなく笑う姉さん先生が、置き土産に恨み辛みを残して逝くなんて考えられない。
姉さん先生だけじゃない。兄さん先生も、師匠も。
『お主か!賜った己が世を、何を成すでもなく自ら手放した愚か者は!!』
初日の挨拶でそう詰られた僕に出来たのは、萎縮して俯く事だけだった。その通りだったし、他人の感情に過敏に反応する僕の条件反射は、身体が無くなったからと言って一緒に消えた訳ではなかったからだ。
反応は三者三様で、兄さん先生はなんでもない風に、姉さん先生は少しの哀れみを目に滲ませ、師匠は激昂して異口同音に叱られた。その日は何の訓練も無く、長い時間を立ち上がることすら出来ずに過ごし、とぼとぼと川原の家に帰った僕は、独りでに閉まろうとする心の扉を押しとどめるのに必死だった。そうするためには誰かと話さないと限界だと気付いた僕は、案内人の彼にその役を求めた。
『君は穏やかな人にしか心を開かないつもりかい?慰めの言葉だけで生きていくのかい?』
まだ甘えているんだと思い知らされた。独りでになんかじゃなかった。僕が、自分で閉じようとしていたんだと。
家から表に出た僕の目の前に行くべき場所があった。何処、というのではなく、三人が居る場所だ。震える身体でノックし、扉を開け、膝を着いた。
『僕は皆さんの仰るように不心得者でした。でも、そうじゃなくなりたいんです。謝罪に来たのではありません。お叱りを受けたとはいえ、皆さんに謝る事じゃないから。お願いに来たんです。僕を助けて下さい!もう心得違いをしないように、学びます!その手助けを、お願いします!!』
『……不満は許さん。疑問を勝手に納得するな。不安があるなら叫べ。儂らが聞いてやる。己の言葉を忘れるでないぞ。では木刀を取れ』
声音は変わらず厳しいまま。僕の内にはまだ反射が残っていたし、手にした物が生み出す痛みも覚えていた。それでも向かい合って立ち上がったのは、握り締めて打ちかかっていったのは、変わりたいという想いも本物だったから。相手に掠りもせずに打たれ小突かれ払われて、転がる僕を見ていた三人がその日の最後に声をかけてくれた。
『見えないものに怯えるなよ』
『そうよ、見ることも触れることも出来ないものに、君の道を遮る事なんて出来やしないんだから』
『立て、とも構えろ、とも儂に言わさなかった己を誇るんじゃぞ。本日はこれまでじゃ』
『ありがとうございました。これからよろしく御指導お願いします』
心は何もしなくても表に顔を出していた。誇れと言われた僕の内に、小さいけれど自信が生まれた。それからは、三人はその吹けば飛ぶような小さなものを、大事に厳しく育ててくれた。
体感で一年、素振りのみを命じた師匠は、ずっと僕に付きっ切りで言葉少なく見ていてくれた。僕の先の事を聞いていたのだろう、型や足運びはすっ飛ばして打ち合いや組み合いからの実戦を教えてくれた師匠は、僕の斬撃が初めて掠った時に嬉しそうに褒めてくれた。真剣と擬似的な身体を持たされて立ち合った時に、刃を交えるという事、戦うという事、当然訪れる結果、人の命を奪うという事、そうしてでも先を切り拓くという事、全部話してくれた。こうするべきだ、とは言わなかった。ただ事実を話してくれた。
『意地の張り合いに過ぎん。だが、譲れぬ道があるならばそうする事もまた解決方法の一つじゃ。忘れるな、人を殺すのではない。己を生かすのじゃ』
兄さん先生もそうだった。
『俺は金を貰って人を殺してきた。生きるためにな。恥も後悔もない。生きていく術を磨いて生き延びてきただけだ。お前の世界の話もちらっと聞いたが同じようなものだろう?自分が生きるために出来る事をやって、その術を磨いていくんだ。命を得た生き物は皆そうやって生きていくしかないんだよ』
なんでもここに来る前の世界では生きる伝説とまで言われた裏の人だったらしい。生き延びる方法を教わりながら耳にタコが出来た。俺が生きようと思った、と。そうしたら世界はそこにあったんだと。仕事の度に命を奪ったけれど、だから俺は生きていけたんだと。持って産まれたものを手放さない限りは死なない、だから皆必死に守るんだ。
『自殺は自分以外の存在を全て消すのと同じだと、私は思うわ。そうでしょう?君が居ない世界と君しかいない世界、何が違うの?』
『自分が居るか居ないかは大きな違いでは?』
『存在を誰が証明するの?君がそこに居ると認識できる人が居ない、それは両方同じだわ。君は閉じ篭っていたの?他の人を閉じ込めていたの?』
精神修養と聞いて座禅を組んだ僕と姉さん先生はそんな問答をよくした。そんなやり取りに到達点なんか無いんだと、今はわかる。おそらく深く潜る入り口に導くための会話だったんだろう。でも、一人で考えると沈んでいくしかないようなそんな話題ですら、誰かと話し合うのは楽しいんだと姉さん先生は僕に教えてくれた。それを忘れてシノとリュワに思い出させてもらったと、そう言った時に姉さん先生はどんな顔をするんだろうか。
そんな事を思い出しながら打ち上げた穂先は、タクティカルナイフを大きくしたような形だった。刀で言う切先諸刃造りの峰側には途中から鋸刃のような小さい刃が連なり、引き斬りでもダメージを大きくするように仕上げた。付与で切れ味を上げた穂先は突きでも威力を発揮するだろう。同型のナイフも作り、鍛冶屋さんに礼の言葉と場所代を渡して宿に引き上げトレドさんに渡す。
「お、出来たか。ありがとよ。大型の武器は久し振りだから慣れるまでは足引っ張るかも知れねぇけど、よろしくな」
「いえ、僕とシノが鍛えますので気にしないでください」
ニムと弓の相性は良かったようで、魔法を併用しなくても的中率は上がってきていた。もっとも張力は弱いので的は些か近いのだが。
「引き絞る動作が魔力の収斂に合っているんですの。お役に立てるように頑張りますの!」
という言葉通り、魔力を紡いで顕現させるスピードはリュワを除いて僕達のうちでは一番速い。本当に一瞬だ。同時展開は十四筋、僕のほぼ倍。矢筒からミサイルの如く打ち上がった十四本の矢には驚かされた。
目印も何も無い雑木林で埋もれた住居跡を探すのは不可能だった。なにより詳しく知っている人は居ないのだ、諦めざるを得ないだろう。公爵の敵として生を終えた姉さん先生には聖魔女の異名を称える碑も墓も無く、宿の部屋で手を合わせることしか出来なかった。何の変哲も無い村で他にするべきことも無く、僕達は北へと進む。魔物を相手に位置取りの確認やトレドさんとニムの実戦訓練をしながら、山中や川縁でリュワの興味に答えながら。
血蝶の勢力圏外で何故そうしてしまったのか理由は解らない。トレドさんに対する追手もなく、順調に進めていたから気が緩んでいたのかもしれない。
「おい、シュウ」
聞き覚えの無い声だが、僕だと確信した声だった。少し小さめの街の門を出た瞬間に呼びかけられて、僕は振り向いてしまった。
その瞬間に殺意が刺さった。出所は目の前の一人の若い騎士。
「まさかと思ったが……アレストギルドのシュウだな?諦めていたがこれも天佑か」
「……私の名はシュウですが、アレストギルドって?それは何ですか?」
無駄だろうなと知りつつもしらばっくれる。勿論結界は張って。
「黒目黒髪で小柄、供に同様の麗人を連れて大小二振りの小剣、もしくは優美な湾刀を携える。話に聞いたとおりだ。私の顔は知らずとも父の名は知っているだろう。公国騎士のリガルの名はな」
知らない、と言い張るべきだったのだろう。存在を消してその場を去って、補充した物資で北に進み海峡を越える、それがおそらくベストな方法。でも続く言葉で僕はそうできなかった。
「リガルの子、公国騎士のイーノスだ。仇討ちの決闘、受けてもらおう。否は言わせん!!」




