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くたびれた店舗兼住宅に薬とだけ書かれた看板が少し右上がりで架かっていた。表に馬車を止めると目立つ。一度行き過ぎて比較的近くの宿に入る。トレドさんは塒があるのか宿は取らずに表で待っていた。とりあえず一部屋に三人泊まる事にした。物騒な人に居所知られたしね。
鞄を探って全部揃っている事を確認する。
「エイクス、待たせて悪かったね」
宿を出て景色を逆に辿りながら歩いた。あの日、エイクスを追いかけながら通り過ぎた境目の風景によく似ていた。子供達は自分とは身なりが違うリュワを遠巻きに、眩しそうに見ている。その眼差しに憧れ以外のものが無い事に安堵した。僕も少し荒みかけているのかもしれない。
ドアを押し開けるとギィと妙に後を引く音が鳴る。店内に客は居ない。
「……いらっしゃい。必要なのは表の薬かい?それとも裏の薬かい?」
外からドアを閉めるトレドさんを見ておばさんが僕に暗い目を向ける。
「いえ、薬は要りません。エイクスの名に心当たりはありますか?」
「……本人はどうしたんだい」
鞄から骨を収めた壷を出し、カウンターに置く。口振りからするに家族で無い事はわかったが、何も無しでは先に進めないだろう。続けてナイフを静かに置く。
「僕が送り出しました。その際にこれを頼まれまして」
最後に袋をどしゃっと置く。先ほど見た風景ならば、十年は遊んで暮らせるだろう。
「三ヶ月遅れて使いの人間かい。しかもこれで終わりとなると……とっとと売っぱらっちまえば良かったかね」
聞き耳を立てているのだろう、外の気配が鋭さを増した。それに感付いたシノが立ち位置を変えてドアの前に移動する。治まった気配も気にはなったが目の前の人物の台詞から片付ける事にした。
「売り払うって、何か大事な物でも預けてたんですか?」
「客でもないガキがうるさいね。用が済んだらとっとと帰りな!」
今度はシノは動かなかった。代わりに外から慌てたような声が聞こえた。
「おい!そいつは繋ぎ役だ。消すんじゃねぇぞ!」
「なるほど、口と耳がついてれば良いんですね」
そう言って袋以外を鞄にしまい、白刃を抜き身で出す。それを見て声音と顔色が変わった。門番と一緒か。
「悪かったよ。でもね、あたしだって手当ても無いのに子守なんか出来ないんだよ」
「子守?」
「聞いてないのかい。無影はウチに預けて仕事に行くんだ。訳ありらしくてね。仕事が終われば金を置いて引き取って帰っていってたよ」
さっき見た子供達の視線が蘇る。あの子達は明るい場所で遊べている。遊ぶ友達も居た。でもエイクスの子供はこれからどうなるんだろう。ここで、生きていくのか……生きていけるのか?ユシェットで見た光景も、絡んできた人間の眼差しも、門番の姿も、疑問の答えとして浮かぶものが全て否と言っていた。
僕はエイクスの希望もその子の希望も断ってしまった。そう思うとシノの名を呼んでいた。
「私は……シュウに従うわ。多分同じだと思うから」
テーブルに金貨を積む。
「数日、その子はそのまま預かっておいてください。不足分は迎えに来たときに支払います。証はこれを、業物です。七日経って来なければ売ってもらって構いません」
「使いの使いなんて奴の話は聞かないからね」
「ええ。もう一つ、その子には僕が事情を話します。一切を内密に」
頷いて金貨を受け取ったおばさんに白刃も渡して僕達は店を出た。表のトレドさんに頼み事をする。
「会うべき人に連絡を取ってください。なるべく早くお願いします」
「もう話はつけてある。明日の朝、迎えに行くから用意しとけ」
僕の顔は遺言を果たした顔とはとても言えないだろう。でもその顔を見たトレドさんはほっとしているようだった。その様子を見て確信した。この人はエイクスと近い……近かった人だ。そして僕が明日会う人もおそらくそうなんだろう。どうするかなんて具体的な事なんか何も考えていない。トレドさんや明日会う人に全てをお願いすることになるかもしれない。それでも何かしたかった。あっちでエイクスは薄く苦笑しているのかもしれない。そんな事までは頼んでないよ、と。
「シュウ。責任感で動いちゃダメよ。私だって経験なんて無いけど……でも、これはしなくちゃいけないからなんて理由で抱えちゃダメな気がするの」
「……そうだね」
まずは会おう。知っている人間に。僕達の立場をハッキリさせてから解決しよう。余計な事を考えに入れなくて済むようにしてから、それからだ。
翌日迎えに来た馬車にその人は乗っていた。身体の線は細く顔の印象はぼやけている。おそらくエイクスの魔法の弱装版だろう。何の変哲もない馬車に近付くと妙な感触があった。感知結界らしい空間に入る。護衛がトレドさんしか居ない理由は解ったが、魔法も使えたのか?いや、多分……
「はじめまして。天敵でいいのかな?」
「お好きにどうぞ。二重繰とは恐れ入りました」
「ちっともそうは見えないけど?」
「そうでなければ勧誘などしないでしょう?」
御者台にトレドさんが腰を下ろしてのんびりと馬車が進み始める。街を一巡りする時間が面接時間だとするなら随分たっぷりと取ってもらったことになる。一次面接の結果は段階をすっ飛ばして役員面接まで届く点数だったようだ。
「トレドが随分世話になったようだ……エイクスもね」
「エイクスとは仕合っただけですよ。トレドさんに関してはその通りです」
「そりゃねぇだろ、シュウ」
「フフフ、エイクスと気が合うわけだね。さて、今日は勧誘じゃない。その仕合の事を聞きたくてね」
話した。何処で誰の命をめぐって等は言わなかったが、トップなのだとしたら先刻御承知だろう。穏やかに語る僕の言葉を静かに二人が聴いている。見てもいない光景を瞑った瞼の裏で再生するように、眼を閉じて。僕とエイクスのかかわりなんて時間にすれば僅かだが、語り終わったのはそれよりもほんの少し長い時間が経ってからだった。
「……そうか。もう一度礼を言う。君に何かを見たんだろう。エイクスはあの子に会ってから求めているようだったから」
そう言われても、かつて屋上から何もかもを投げ捨てた僕にはピンとなどこなかった。
「それを聞くためもあって今日はここに居ます。出会ったと仰られましたが、エイクスの実子ではないのですか?」
「彼はずっと独り身だよ。状況としては君の連れと同じような子だと聞いた」
「できれば伝聞ではなく事実をお教え願いたいのですが」
「あの子に関しては僕もトレドも詳しくは知らないんだ。気がつけばエイクスが変わっていた。聞くと子供を拾って世話をしている、と」
ある時を境にエイクスの技が研ぎ澄まされたそうだ。そこには仕事以外の理由を湛えた眼差しもあったらしく、何か思い悩んでいる風な彼に抜けても良いと言ったところ、寂しく笑って首を振ったらしい。選べるものならそうしてる、と。それまでも難易度の高い仕事が回されていたが、エイクス自身が高報酬を望むようになり、危ぶむ二人に必要最低限の情報を与えた後は頑なに口を噤んだらしい。
「訳ありなのは察しがついた。僕らにも話せないことなら誰にも言わないだろう」
「時々何か言いたそうにしてたがな。待とうが聞こうが最後まで頼み事も無かった」
「本人も判ってたさ。僕らに頼んだところで保護者の名前が変わるだけだって。根本的な解決には何もならないって」
無責任だと思う人もいるだろう。けどなんとなくわかる。状況も立場も揃ってないのにそうせざるを得ない、苦しむ事しかできないのに捨てる事もできなかったんだろう。僕の気持ちも無視したうえで酷な事を言うならば、あの時彼は僕と向き合うべきではなかった。僕に何を見てくれたのかは知らないけれど、目を瞑って逃げるべきだったんだ。跪いて命乞いをして、成功の見込みのない不意打ちをするべきだったんだ。そんなエイクスは見たくないけど。
「最初はね、五人で始めたんだ。一月で四人になって、半年後の大仕事で三人になった。名が売れたから人員の補充は出来たけど、暗所に集う人間の思惑なんて想像通りだ。今じゃ僕達の想いなんて血蝶では笑い話さ」
「だから俺は助言屋をやれてる。惜しいとも思わずに気前よく金を投げられるからな」
「僕だってそうさ」
辞めたいんだろうな。底なし沼を一つ作った本人達が何を今更、とも思う。でも僕だって小さいとはいえそれを作った。僕しか呑み込まない筈だったあの底なし沼は、ザックが居なければ確実にあと二人を飲み込んだ筈だ。
「勧誘に応じる事はできませんが、僕にできる事があれば……」
「何も無いし、させちゃエイクスに叱られるよ」
トレドさんも頷く。
「さて、話を変えよう。君が僕との会見を望んだ理由は何かな?」
もう立ち入らせてはくれない、という事だろうな。相変わらずぼんやりした印象の顔と、どうせ聞いても偽名だし、と尋ねなかった名前だが、この場においては不便さは感じなかった。




