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ニコニコと目を糸のように細くして、穏やかな口調でこんばんは、と口にしたその男は僕の返事も待たずに横に座る。向かいには口いっぱいに食べ物を頬張るリュワと世話をやくシノ。ちらとこっちを見るが、微笑みを返すとそのままリュワと料理の話をしながら世話を続けた。
「見ない顔だが他村の人かね?」
「いえ、旅の者です」
「ほう、何処から?」
「ユシェットから」
「何処に向かうのかね?」
「さぁ、なにぶん武者修行の身なので、明日の事はわかりかねます」
リュワの器が空になったようだ。走り出しそうなリュワを呼び止め、指差しながら僕の分も頼んだ。
広場の中心では、なにやら大きな肉塊がぐるぐると回されて焼かれている。塩と香草をすり込みながら焼けた部分を少しづつ削いで口に運んでいるようだ。リュワが目を輝かせて見ている。僕だって近くで焼きたてを食べたい。出来る事なら分厚く刃を入れてかぶりつきたい。器にいっぱいと頼む。リュワとシノは向こうで食べておいでとも伝え、少し時間を作った。
男は申し訳なさそうに僕を見て、詫びた。
「いや、根掘り葉掘りとすまないね。向こうで祝われているのは私の弟でね。祝賀の席に見知らぬ方が居たものでつい神経質になってしまって」
「御親族でしたか。本日はおめでとうございます。皆様の御厚意に甘えてさもしくもお料理をいただきに参りました者です」
男が前のめりの姿勢のまま、会話が続く。男の表情はころころと変わり、人懐っこい雰囲気と相まって話を引き出すつもりだろう。行商人だと名乗った彼は手袋のままで杯を傾けてさらに詫びた。
「いやいや、俺の仕事も旅から旅だ。昨今戦やら何やらで物騒なもので、見知らぬ人にはまず警戒心が立ち上がる。申し訳ないね」
「旅から旅ですか。闇から闇の間違いでは?この場で一番物騒なのは貴方のようですが」
前のめりでだぶついた服の中身は鍛えた体と暗器の類だろう。首筋から肩への盛り上がり方が凄い。呷った酒を零して誤魔化していたが、ゆったりした商人風の服には僅かな血の沁み。柔らかい物腰とは逆に硬く尖った気配。今のところ害意は無いようだが次の瞬間刺されたとしても僕は納得するだろう。
「……しらばっくれても無理そうだな。正解だ。宿は一部屋か?」
「僕が出向きましょう。あの子の腹が満たされれば伺います」
「村の東のはずれに小屋がある。待ってるぜ」
声の調子も表情も変えず、細い目を僅かに開いて目印を打ち込むように僕の顔を見て音も無く立ち上がる。振り返らずに行こうとする彼に、僕も同様に平穏な声で告げた。
「酒も持って行ってくれませんか?薬入りの飲み物を他の人が間違って飲んでしまうと大変です」
「へへ、良いねぇ。噂より腕が良さそうな奴なんざ滅多に居ねぇってのによ」
そう呟いた男は自分が持ってきた物を残らず持って去ってくれた。座っていた場所の温もりすら残してないんじゃないかと思えるほどに。
器を抱えて戻ってきたリュワとシノに事のあらましを伝え、宴が一段落したら先に戻っていてくれと頼む。私達も、と言われたがこちらに弱味があると思われれば迂闊な行動に出られるかもしれない。この二人は弱味どころか強力な仲間なんだが、下手な行動に出られて話がこじれるのも避けたい。陰の世界を探りまわるなんて事はしないで済むならそれに越した事は無い。
やがてそこここで酔いつぶれる人達が出始めて、祝いの言葉と共に場を去る人もちらほらと出てきた。僕達もそれに倣って帰路に着く。途中で別れ、僕だけは東へ。灯りは無いが迷いはしない。三人分の血の臭いが導いてくれた。
「三歩下がれ」
ドアの前で指示が出て、それに従う。
「袖をまくって腕を広げな。ドアが開いたらそのままゆっくりと入って壁際まで進め」
立て付けの悪そうなドアがキイとも鳴らずに開く。見える範囲に人影は無い。言葉通りに動いて中に入り壁と向き合う。
「腕はそのまま。ゆっくりと回れ」
振り向くといつの間にか閉まっていたドアを背にした男。ほぼ別人だ。声音も表情も物腰も。唯一見覚えがあるのは細い目から刺すように注がれる視線だけだった。
頷いて話を促すと愉快そうに口だけが三日月状に歪んだ。
「無駄口をきかねぇのも良い。大将の嗅覚は流石だな。さて……俺はスカウトだ、今は危害を加えるつもりはねぇ。が、拒否権があるかどうかは手前で考えな」
あるわけが無い。ブラック企業どころの話じゃない、裏組織だ。顔を晒して話をするからには、条件を呑んで生きるか拒否して死ぬかしかない。スカウトと名乗ってはいるが手練れも手練れだろう。いきなり消えた三人の騎士と一滴の返り血が事実だ。今までは、の話だが。
「解ってるみたいだな。で、返事は?」
「組織名は?」
「来れば解る」
「雇用条件は?」
「手前が口を出せるこっちゃねぇな」
「今回は御縁が無かったと言う事で」
「そうか。じゃ、何時になるかわからねぇがまたな」
言うが早いかナイフが三本飛んでくる。そのすぐ後には彼自身が矢の様に迫るが、勝手に逸れたナイフと消えた僕に驚き足を止めた。
入った時と同じ足取りで僕は彼の背後に周り首筋に白銀の刃を当てる。彼は油断無く周囲に気を配ってナイフを構えていた。今の彼には喉に当てられた逆反りの刃は服の襟となんら変わりない、そこに在っても危機感など抱かない存在に過ぎない。僕の姿も勿論見えている。ただ興味が全く無いだけだ。アスファルトの表面に浮かぶ小石の一つぐらいな物だろう。
刃と声だけに存在感を与えて同時に声を出す。
「動かないでくださいね」
「なっ!」
「おそらく何を聞いても答えてはもらえないでしょうから、今からいくつかの物を見てもらいます。それを見て納得すれば改めて話をしましょう」
そう言って赤い蝶が捺された封筒、魔道具、エイクスのナイフと見せる。
「無影ことエイクス。これで全てです。少し待ちます、お返事を。っと、状況が変わると思わないでくださいね。動けば返事が出来なくなる事だけは覚えておいてください」
そう言うと再び注意力を散らせた。しばしの間を置いて言葉が聞こえた。
「わかった、話を聞こう」
「その前に。貴方が僕が望む人間である事の証明を」
話を合わされて別な組織へ御案内なんて事態は避けたい。証明なんて普通に考えれば無茶だが話を望むのならばしなければならない。攻守は逆転し、拒否権が無いのは今は彼の方だからだ。出来なければ死ぬしかないけど、僕も裏に潜って探りたくは無い。祈っている事は二人共同じなはずだ。どうか証明できますように、と。
「……行き先はトレカークの薬屋か?無影の似顔絵描けなんて言うなよ、理由はわかるな?」
そのまま彼から離れて距離を置く。右手に白刃、左手に黒刃を持って魔法を解いた。
「血蝶の方とお見受けしました。僕は『天敵』と申します。エイクスの最後の頼みを果たすべく旅をしております」
「野郎は……無影は、何処で死んだんだ?」
「場所はお答えしかねます。ただ、最後の相手は僕でした」
それで察したのだろう。構えを解いて武器をしまってくれた。僕も一先ず剣を引く。緊張感をそのままに座り込んだ彼は俯いて僕に礼を言った。
「ありがとうな。あいつの最後を覚えててくれて。あいつの頼みを忘れないでくれて」
「僕に刻んだのはエイクスですよ」
「……ありがとよ」
微かとも言えないほどの哀しみが籠もっているように感じた。予想以上に近い人だったのだろうか。
「大将に会わせなきゃならねぇな」
「よかった、話が合いましたね。ただ、先にエイクスの頼み事を済ませてからでいいでしょうか?」
「拒否権なんて無いだろう。お前に頼んだのはエイクスだしな。万一の時は俺が何とかするさ」
その言葉に引っかかるものの、聞いても答えてくれなかった。
翌朝、おじさんに礼を言って僕達は村を離れた。騎士は巡回中に魔物に喰われたんだそうだ。怖いね、世の中って。街道に出る手前で合流する。
「俺はトレドってんだ。シュウの旦那に無理言って拾ってもらったんだ。嬢ちゃんに坊ちゃん、暫く厄介になるけどよろしくな」
「その二人は全部知ってます。あと僕より強いんで下手なちょっかい出さないでくださいよ。中が血塗れの馬車とかごめんですから」




