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首都シュライト屋敷で降ろされた僕達は数日をそこで過ごした。
滞在中はノヴェストラ公を始め、無事、子爵へと昇爵されたトラッドさんやギルド会議で見た数人の支部長方にも会った。全員が戦の報告書を見ることが可能な立場だったようで、色々と話を聞かせる羽目になった。その間リュワは別室でお菓子だ絵本だ洋服だと、ハワードさんやローザさんに構われている。
「そうか、書にも話にも無かった幼子は超常の存在であったか」
交渉のあらましを教えてくれたガストルさんが難しい顔で腕を組む。え、なんか不味いの?
「くれぐれも他に漏らすでないぞ?私にも口止めするのだから大丈夫だとは思うが……」
「勿論ですが、なにか御懸念でも?」
「ワスボウト王がな、興味をお持ちだ。準男爵の位までは口説き文句に載せて良いと仰せつかっている。望みは無いと言っては来たがな」
無事にお許しが出るのか不安になっていた。あまりに無茶な出奔をすればギルドの立場も危うくするだろうし、こりゃ一旦アレストに戻る事になるかもな、と思いながら王城の一室で着替える。今は定例の報告がされているらしく、それが終われば偉いさんと面会だそうだ。シノは緊張して、リュワはいつも通りに時を待つ。やがて完全武装の騎士に前後を挟まれて絢爛な回廊を進む段になっても、僕の頭の中はそれで一杯だった。
待たされた扉の前でその一際の豪華さに気がつく。位置は回廊のどん詰まり。
(おい……謁見の間じゃないのか?ここは)
(わー!王様にー、会えるー?)
(……多分会えるだろうねー)
玉座にそこらのおっさんが座れるわけ無いし。なんでいきなり、と考えながらもう一度身嗜みを確認する。はしゃいで少し乱れたリュワの髪の毛に手櫛を通していると扉が開かれた。先導されて中ほどまで進む。リュワに、喋らなくて良いから僕の真似をするんだよ、と念話で伝えて跪く。伏せる前に目に入ったのは正面のステレオタイプの外見をした人物と、左右に並ぶおそらく重臣達。
「許す」
とだけ正面から声がかかった。その日聞いた王の言葉はそれだけ。そこからは左右からの声に従うだけだった。
「御許しである。名乗られよ」
「武芸者のシュウ・フジモリと申します。現在は縁あってシュライト侯爵様の下に身を寄せております。本日は御拝謁の栄誉を賜り、非才の身ながら図々しくも罷り越しました」
「左右の者は」
「は、シノ・フジイとリュワと申す者です」
「なにやら他国の出であるとか?」
「カムロの国はタツハマの武家、フジモリ家に生を受けました。戦乱で両親と家を失い、この国に流れ着いて陛下の御威光と御温情の中で生き永らえております。シノはかつての臣下の出です。この国で再会してからは行動を共にしております」
「童子の方は」
「先日の公国との戦にて孤児となった者らしく、本人の希望もあって私共が保護しております」
ここまで顔を伏せたまま。知った気配が一つ動いて正面に移動する。少し間があって気配が戻る。
「御許しである。顔を上げよ」
仰せに従って正面を向く。シノとリュワは伏せたまま。視線を感じるが合わせるわけにはいかない。『眼』には極僅かな反応が出ているものの、どんな感情かまでは判らなかった。
「退がって良い」
その言葉に顔は伏せたままで退室する。閉じられた扉の外であからさまに息をつく僕とシノを見て騎士さんがぽんぽんと背中を叩いてくれた。
夕刻、非難がましい僕に笑いながらケネスさんが答えた。
「言っておいただろう、王に口利きすると。直接会ったほうが早いとも言ったぞ?」
「それはそうですが……」
「なに、上出来上出来。坊主もよく言いつけを守ったな!晩飯は何が良い?」
「お肉ー!」
「おい、一頭分仕入れて来い!シュウ、もう一度会うことになる。次は非公式だ。今日の四倍ほど準備しておけ」
まぁ、事前に教えてさえもらえれば王冠の数が増えようがいまさらだ。厄介事は全部済ませることにしたんだし、一度で済むなら手間は省けるじゃないか。ははは。
三日後にその日はやってきた。前回はあれこれと考え込んでいたからか、眼に入る景色は新鮮だった。太く深そうな堀の上の跳ね橋をシュライト家の馬車で渡り、おいそれと崩せそうには無い城壁と城門を越える。大軍を収めるのになんら不都合の無い広大な敷地に優雅に聳え立つ塔と、横に広がる迎賓館は迎え入れるように手を広げた姿に見える。ここからでは見えないが、奥には王族の居館があるのだろう。
あれこれと教えてくれるドリスさんの膝の上で、今日は王様と喋れるかなー、と暢気に問いかけてくるリュワにお許しがあればね、と答えて馬車を降りた。先日の控えの間に通されるかと思いきや、奥へと案内される。左右前後に伸びる廊下は豪華絢爛で、壁や天井には宗教画らしき絵や様々な肖像画、触るのさえ躊躇われるような花瓶に差された可憐な花々。それらを横目に進み、メイドが数人腰を折って開いたドアの奥は、幾分か落ち着いた雰囲気の少し小さめの部屋だった。
「やっぱりカムロとは趣が違うわね」
「ああ、根底の価値観が違うんだね。とはいえ、飾り立ててはいても嫌味にならないのも凄い」
僕の家とは比べるべくも無いだろうけど、それでもこの環境で日常を過ごせといわれても僕には無理だ。テーブルの上のフルーツに手を伸ばしてぱくついているリュワには関係なさそうだけど。三人着替えて今日は落ち着いて茶を飲む。
お呼びがかかり向かった先の部屋には王冠が四つと側近が五人、全員が笑みを浮かべてこちらを見ていた。跪き名乗りを済ませた僕達に一度聞いたっきりの声が降ってくる。
「うむ、楽にするが良い。さて、各々話は聞いておるだろうが統べる立場の人間としてはしなければならん事だ。早めに済ませよう。ワスボウト王は抜け駆けされたので最初に一番低い掛け金を提示してもらおうかのう」
「やれやれ、誰から漏れたのやら……仕方ない、男爵だ」
「ワシは準男爵と東部の開拓予定地を」
「うちも同じく準男爵と街道沿いの宿場街を」
「男爵と北部の新規港湾都市でどうだ?」
一瞬頭の上にクエスチョンマークが並ぶが、ああ、オークション形式の仕官の誘いかと気がついた。
「身に余る光栄ですが、我が身をどこに置くかはまだ決めかねております。恐れ多い事ながら御誘いを受けるわけにはまいりません」
「ではノルトライト王。無事に全員袖にされたところで話を進めますかな」
ガストルさんやデレクさんから無理だと話を聞いていたのだろう。あっさりとこの話は終わった。簡単に事の次第を説明し、一時国を離れる許しを願う。僕とシノの婚約に祝いの言葉を貰って、本題に入った。側近さんの一人がまず口を開く。
「カムロの周辺事情は時間的な余裕が無かった事もあって探りきれてはおりません。王国の圧力を受けてなにやら騒がしくなっているとか、王国がカムロの玄関口を押さえようと躍起になっているとか、どれも噂の範疇を超えておりません」
「北に海を隔てた情勢ゆえ正確な情報を得るには時間もかかるかと。造船技術も技術者も育成に力を入れておりますが、北方に遠洋航海に出せるまでにはまだ至っておりません」
続けて工業関係の統括者であろうか、もう一人も現状の報告を終える。
「北とは公国を挟んでの接触しか出来ぬか。公国と王国の関係も冷えているところを見ると、何かあったとしてもこちらには影響は少ないか?」
「いや、アスード王。問題はその公国でしょうな。ここのところの交渉で橋桁がこちらとあちらで一本づつ出来上がりつつある。下手に北方と我らの関係を勘繰られると橋板はかからぬまま、という事にもなりかねますまい」
「うむ……通商の開始時期もまだ先であるし、ギルド関連の話は叩き台にすら乗っておらぬ。連合からの入国者が素通りして王国へ、となれば……」
「露見すればまず、何がしかの使者と見られるだろうな」
まぁ、そうだろうなぁ。しかしまぁ、誤魔化す手段はある。僕に会ったのが運の尽きと諦めてもらって、辺境伯様には貸している首代を払ってもらおう。証文というか紋章も預かっている事だし。
「おそれながらその辺りに関しては用意があります」
鞄から首飾りを出して、ノルトライト王に渡す。
「先日、首の代わりにと預かりました。何事かあればこれを収めようかと思っております」
「ほ、懐かしい紋章だな!」
十三年前を思い出したのか目を細める面々に、預かった伝言も伝える。
「言伝を頼まれましたので、届けた報告もしなければならないでしょうし。生憎と何処に居られるのか知りませんのでうろうろする羽目にはなるでしょうが、僕の勘では北方かな、と思っております」
「はっはっは、これは良い!辺境伯に手間賃を取り立てに行く、か!」
たちまち表情を緩めて笑う四人に安心する。どうやらお気に召したようだ。笑顔のままで、宴会で芸を要求する上司の如く尋ねられる。
「他には何か奥の手は無いのか?」
「そうですね……護衛の騎士様、僕の首に剣を当てておいていただけますか?」
王の一人が頷くと、すらりと抜いた剣が僕の首の下に当てられる。
「では、僕を注視しておいていただきましょう。不敬のお叱りは後ほどいただきます。御無礼!」
そう言ってエイクスから学んだ術を四人に発動する。これで僕の存在はソファの脚より気を引かない物になった筈だ。少しおいて解除すると四人は不思議そうな顔で僕を見ていた。
「前回首都に来た折に手を合わせた『血蝶』の者より学んだ術です」
今度は鞄から封筒を一枚取り出した。中身は襲撃事件の報告と共に提出したが、封筒は褒美に貰っておいた物だ。最初に情報収集の報告をした側近さんから驚いた声が出た。
「『血蝶』!!公国の裏組織が手懸りを残すとは!!」
あ、あれ?シュライト家の誰も報告してなかったの?不味かったかな……ケネスさんとドリスさんが苦笑いしている。こりゃ不味かったな。エイクスの事で気を遣ってくれたのかも。
「剣を引け。成程、ノルトライト王が値を当てたとみえますな」
僕の首から研ぎ澄まされた剣が離れる。これで一歩国境へと近付けたかな。




