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「シノ、カムロに向かおうか」
僕の腕枕から頭を上げて、少し驚いた表情のシノに内心で苦笑する。多分アレストで落ち着くと思われてたんだろうな。
「まだ、国の行く末みたいな事はどうするべきかわからない。けど……」
「けど?」
「兄君に会いに行ってお許しを貰おう。僕達の将来の」
上げた頭を下ろして胸に顔を埋めたシノを撫でながら隠すことなく話す。
「先の事だし確定じゃないけど、僕は落ち着くならここだと思ってる。シノは」
「どこまでも」
唇を寄せるシノに応えてその日は眠りについた。
先の事は決まったものの、今日明日という訳にはいかない。何よりギルド規約がある。国を離れるなら保証金を、と記されてはいるが、基準も何も無いところを見ると実質的な禁止事項だ。自由を信条に掲げるギルドの苦肉の策だろう。これが国を超えて組織されるようになればおそらくこの規約は削除されるはずだ。
リュワの事もある。存在をひた隠しにして日陰者にするつもりは無い。大切な友人なんだ。誰でも彼でもとはいかないが、僕達の素性を含めて良くしてくれた人達には全てを話してから旅立ちたい。戻ってくるにせよ小旅行ではないのだから。ダフトさんに恩返しもしたい。
となると、先の予定を立てなきゃいけないし、まず話を通す人達は……
「やっと虎が巣穴から出てきたか。二人から面会の要請とは珍しいな。またぞろ為になる話でも聞かせてくれるのか?」
仔虎を抱いたこの人の一族からだろうな。
「お目通りのお許しありがとうございます。本日はシュウ・フジモリとして参りました」
ギルドの僕達専用部屋に結界を張り、腰を折ってそう言う。常とは違う空気を瞬く間に身に纏い、ドリスさんが返礼と着席を口にすると、デッコーさんは主の後ろへと下がって控えた。
「そうですか、シュウ殿の意は行方を定めましたか。お聞きしましょう」
いや、そう構えられると……半分惚気みたいな話ですし。
「そこまで確たるものではありませんし、何より僕達の私事なのですが。僕に近い身内はもう居ませんが、シノには一人、兄上殿が不遇を囲っておいでですが御存命です。想いを通じて契りを結んだからにはお許しをいただきに参らねばなりません」
「……は?」
もっと重い話かと身構えていたドリスさんの口から疑問とも呼吸とも取れる音が出る。おお、初めて見る表情だ、と少し感動する。
「ついては、一時的とはいえ連合を離れる必要があります。ギルド規約に従い如何程お納めすればよろしいのかを伺いに参りました」
暫く呆けたドリスさんが顔を伏せて再起動した。
「くっくっく、いや失礼。お話は承りました。しかし、フジモリ殿としてとはどういう理由で?」
「親しい方々には真を告げてから旅立ちを、と考えております。そうなれば先ずは御領主様に御挨拶を申し上げねば筋は通らないでしょう。シュライト家には面倒を見てもらっております。後ろ足で砂をかけて立ち去る事はできません。ケネス・シュライト様へのお目通りに御口添えをいただけませんか?」
余所の貴族が領内に、しかも御膝元の街中に居て身内の管轄組織から出征したにもかかわらず、素性も又聞きで面識も無し。挙句の果てに勝手に国を離れました、とか目も当てられない。恩知らずの謗りで済めばまだ良い方だ。追っ手が群れなして追跡にかかるだろう。それが無ければシュライト家がお取り潰し、という事だ。
一度首都へと行かなければならないだろうけど、それも覚悟は決めた。何をどうしても許しが出ないとなれば二つ三つほど考えはあるが、出来れば笑顔で手を振りたい。また戻ってくるのだから。
「成程。卿らしい。解りました。御領主には近日中に話を通しておきましょう。詳しい日時は使いの者が参ります」
「御力添えに感謝いたします。それに先立って、ドリス殿にお目通り願いたい者が居ります。御都合がよろしければ今夜にでも御足労願えませんか?」
本来なら余程の事が無ければ逆の話だ。名前も明かせぬ者に会わせてやるから来いなどと鼻で笑われて終わりだろう。ましてや立場を明確にしたうえでの話しだ。貴族間交流の仕来りには反する。今は無い家筋と連合の要職に就く家柄、どっちが上かなど考えるまでも無い。
「なにやら事情がある者なのですか?」
「厳密に言えば、ドリス殿にはもうお目通りが適っておる者ですが、現状ではおいそれと連れ出すことが出来ません」
「解りました。シュウ殿と私の間柄です。今夜伺いましょう」
「おもてなしは何も出来ませんが、お待ち申し上げます」
それでギルドを辞した。木箱にでも身体を入れて、あの部屋でお披露目とかも考えたが物みたいに扱いたくなかったし、何より階下には好奇心旺盛な冒険者達。やめておいた方が良いわね、とシノにも言われた。エイクスのやり方でとも思ったが、いきなり部屋に現れた見知らぬリュワにデッコーさんがどういう反応をするか読めなかったので、これもやめておいた。
夕食を終えて部屋に戻り、椅子にリュワの身体を座らせた所でアリーシャさんのノックが響く。階下に出迎え、デッコーさんも一緒に部屋へと通す。今回はアリーシャさんは呼ばなかった。
部屋に入るなりリュワの身体を目に入れて、デッコーさんが主の前に出る。やめといて正解だったな。着席の前に確かめてもらう事にした。
「デッコーさん、触って確かめて下さい。それは僕が作ったものです」
客観的に見ても不自然さは無いという事か。良かった。
用心深く近寄って、手を伸ばす。触ってみるが生気が無い事を確認してくれたので、向う脛を軽く叩く。骨が近いのはここだろう。皮に包まれているので響きはしないが、骨に比べて硬質な音を立てるそれに、ようやく納得してもらった。
ここで結界を張る。
「まさか人形を紹介したいとかではあるまい?」
口調がいつものドリスさんに戻り、僕もそれに倣う。
「まぁ、いわば容れ物ですかね、これは。本題はこちらです」
いつもの仔虎がぴょんとテーブルに乗る。紹介されなくても知ってる、という顔になる前にリュワが口を開いた。
「初めましてじゃないけどー、初めましてー。ドリスー、いつも優しくしてくれてー、ありがとうー」
二人が驚愕の表情になる。
「シ、シュウ。こいつは鳴けなかった筈だ!まさか魔道具の上書きに成功したのか?」
「いいえ、違います。彼はリュワ。幽界をたゆたう一つの生命にして僕の友人です。この仔虎はただのぬいぐるみ、魔道具でも何でもありません。リュワが宿って動かしています」
「幽界の、生命?」
「ではまずはそこから御説明しましょう」
魔道具職人とは、その秘事とは。話をするにしたがって、領地を持ち、常に経済活動を念頭に置く貴族の顔になっていくドリスさん。僕の懸念も話しておいた。
「シノは幼い頃に生と死を行き来しました。そのせいで魔法に高い適正を示します。おそらく連合内でも一、二を争うでしょう。しかし、そのシノでもリュワのような存在と対等な関係を結べるには至りません。人の手で超高度な職人を成すのは難しいかと思われます」
「と、すると何故シュウは、という話になるぞ?」
「僕にも判りません。深手を負い、故郷から船で揺られる間に何かあったのかもしれませんが、リュワと出会った時にはもう僕でしたから」
流石に話せない事だってある。いやー、一度完全に死にまして、あの世で魂の状態で魔法の手解きを受けたんです、なんて話したところで人の手には負えないのは変わりないだろうし。
「シュライト様を信用してはおりますが、魔法に携わる者の願いとしてお聞き届け下さい。何卒、術師達に御無体な事はなされませぬよう、お願い申し上げます」
「勿論だ。非道で成した財など誇れぬ物を持つ気はさらさら無い。シュライト家の総意として受け取ってもらっても構わぬ」
御当主にも同じ話はしなければならないだろうけど、ドリスさんやハワードさんを見るにおそらく大丈夫だろう。
そしていよいよ本題に入る。
「では、今からリュワをあちらの身体へと移します。何分、人の世に不慣れで無邪気な生命です。御無礼はあるかと思いますが御容赦願います」
主従が頷くのを確認して新しい身体に手を置き、幽界に潜る。リュワが僕を通って宿るのを感じて、戻る。
密かに練習していたのだろう。立ち上がったシノと手をつなぎ、優雅にお辞儀するリュワがそこに居た。




