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まだ日の出には間があったので、顔の赤い二人はいそいそと風呂へと向かう。シノが同じ風呂部屋について来たので図らずも混浴となった。ますます顔が赤くなるシノを見て、ああ、天然でついて来ちゃったんだなとわかったが、勿論その状況に流されておいた。
もう風呂の水が濁る事は無い。思う存分、時間一杯いちゃついて部屋に戻った僕達に、口調から心配の影が消えたリュワが告げる。
「おかえりー。シュウー、もう幽体はー、大丈夫だよー。寝てる間にー、なんかシュウの体からー、優しいのがー、抜けていったからー」
「リュワ、今日からまた新しい体作り始めるからね。心配かけたし、気合を入れるよ」
「やったー!」
シノと並んで潜った幽界は鮮烈な光を取り戻していた。僕とシノの幽体が極めて似た波長というか、波動というか、とにかく近くなっていた。
朝食を知らせに来てくれたルード君を肩車して食卓に向かう。
「おはよう、二人……へぇ」
アリーシャさんに一発でバレた。この人超能力者じゃないだろうな。
揃った一同に詫びる。
「皆さん、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
僕の雰囲気が変わったからだろう、異口同音に良かったとだけ言ってくれて、穏やかに一日が始まった。
まずはエイダさんに会いに行こう、とシノと相談してあの日と同じドアの前に立ち、軽やかにノックする。出てきたエイダさんもにこやかだ。次にデセットさんに会ったら何を言ったのか問い詰めよう。
色々と話した。僕達の思い出とエイダさんの思い出を交換するように交互に、微笑みながら。ライアル君はここで大泣きして、それで吹っ切ったようだった。後で会いに行こう。一緒に奢ってもらいに行こう。
「私、今日からあの店でまた働く事になったの。貯えは遺してくれたけど、収入は確保しなくちゃね」
次はダフトさんに礼を言いに行った。もの凄く叱られた。
「ワシにも心配ぐらいはさせんか、馬鹿もんが!」
どうやらガルさん経由で知ったらしいが、僕達が来るまではと自重してくれていたらしい。昨夜のシノの言葉が蘇る。今度からは相談しますと頭を下げて許してもらった。何をどうしても叱られるのも解った事だし、僕を叱ってくれるのはデセットさんだけじゃないと気付きもした。
出せと言われて鞘ごと二振りを渡すと、新作のほうを特に念入りに見て、鞘に異常がないかを点検してくれた。貴族と魔物が相手でしたと話したらもう一度叱られた。
続いてギルドへと足を運ぶ。報告書にまったく手をつけていないことを思い出して今日はもう叱られる日だと覚悟を決める。入ってきた僕達を見て笑顔になった人達から声がかかる。もう放っといてはくれないみたいでカードの申し込みが相次ぐが、後ろに控えた僕の大事な女性に睨まれて引き下がっていく。
「ほう」
何でこの人にもバレるんだろう……へぇ、あらあら、成程のぅ、と会う人会う人に秘め事が知られる。最早羞恥メーターは振り切って文字盤からバネが飛び出ている。良かったなと声をかけられたシノが真っ赤になってはいと返すのを見て、なんだか誇らしくなった。良かったと思ってくれてるのが嬉しかった。
「ご心配をいただいた礼に参りましたが、申し訳ありません。報告書については早急に仕上げます」
「何を言っている。報告書ならもう上がってきているぞ。シュウの名前もある」
見せられた報告書には確かに僕の名前があった。マインスさんが気を使ってくれたのだろう。
「すぐに目を通して間違いがあれば言ってくれ。私達は暫し席を外す。シノ、部屋を移ろう」
気になって報告書どころじゃねーよ!目が報告書の上を行きつ戻りつし、なんとか全部確認して少し前に戻ってきたドリスさんに委細間違いございませんと報告する。
暫く話してからニヤニヤ顔に見送られて階下に戻ると丁度ライアル君が居た。
「ライアル君、今日の夜は何か予定ありますか?」
「いんや。空いてるぜ」
「じゃ、日が落ちたらあの店で。良いですか?」
「やっとかよ。あんま待たせんじゃねぇよ」
巻き舌の後継者が肩を組んで笑いかけてきた。手は僕の右肩に置かれた。
その後もあちらこちらと顔を出す。皆が皆、喜んでくれた。心配してくれていた。
夕方に月明館に帰り着くと丁度ガルさんも来ていた。ここ数日は静かだったが僕の顔を見るなりいつものガルさんに戻ってくれた。
「良し、よく帰って来た!これで俺も咎められる事無く飲めるってもんだ!」
「その事なんですが。今日は先約がありまして、また後日にお誘いしますのでもう少し待っててください」
「うええぇぇ!今日はお預けか?」
「すいません、デセットさんに奢ってもらいに行きますので」
「ならしゃーねーな。飲み方教えてもらって来い」
あの日とは約束の前後が逆だな、とふと気が付いて懐かしく思う自分に安心する。僕には大事な人が居た。その人は何も言わずに旅立ったけど、大事なものを遺してくれた。僕にも、僕の周囲にも。そして大事な女性も出来た。大切な事に気が付いた。それで僕の戦には決着がついた。
店内はいつもと同じ客層だった。賑やかな冒険者の一団や、カウンターで愚痴を零すおじさん達。その間を縫うように注文の品を運ぶエイダさんが小さな変化といえばそうだろう。まず酒を注文しようとした僕をライアル君が止める。
「晩飯まだなんだろ?まずは少しでいいから腹になんか入れとけ。それが落ち着いてから酒だ」
「そうなんですか?飲酒の経験が無いもので……」
「いつもならまず飲ませるけどな。今日はお互い悪酔いするわけにゃいかねぇだろ」
「では私が適当に頼みますね」
シノにも参加してもらった。デセットさん、僕の彼女です。御希望通り連れて来ましたよ。
帰ってきてからの事を話しているとエイダさんが料理を持ってきてくれた。がっつく男二人を微笑ましく見守る女性が二人。やがて腹が満たされると共に言葉数も多くなり、話は自然と故人を偲ぶ話に向かう。頃合だとライアル君が酒を頼み、アルコールが血流と口を滑らかにしていく。
「エイダさーん!ちょっとこっちこっちー!」
僕の口調も随分砕け、忘れないうちに渡しておこうと最後の理性が働いた。呼ばれてきたエイダさんの手を掴んで、掌に角銀貨を落とす。
「これはねー、今日の飲み代でーす!僕からデセットさんが巻き上げた角銀貨ですよー!」
通常の経済の流れに戻ろうが、エイダさんが手元に残そうがどちらでもいいと思えた。人から人へと渡るなら、いつかもう一度出会えるかもしれない。それとは気付かないだろうけど、たまには顔を見に来るかもしれないじゃないか。
それが最後の記憶だった、ように思う。
翌朝、僕とライアル君は何故かエイダさんとデセットさんの家で、痛む頭を抑えながら正座していた。
目の前には腕組みした女性が二人。吊り上った眼には温かい光が隠れていた。
今日も叱られる日か、と思いながら甘んじてお叱りを受ける。限界が来たらリュワに御登場願おう。家主の怒りが解ければ僕達は横になれるだろう。
小賢しい思考が戻った僕は、また日々の区切りの中で時を重ね始める。
あれほど引き摺った体の疲れは、不思議なほど綺麗に取れていた。




