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往く河の流れは  作者: 数日~数ヶ月寝太郎
四章 清める汗
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3

 夜中に浅い眠りから目が覚める。疲れは頑として僕の体の芯に絡みつき、それが原因なのか昨日と今日の境が曖昧だ。昨日を繰り返す今日の始まり……いや、続きかな?

 羽で頭を包んでくれていたリュワが問う。


「シュウー、大丈夫ー?」


 目元を拭って上体を起こす僕に心配そうに尋ねてくる。


「ごめんね、心配ばっかりかけて」


 一度目が醒めればもう眠れはしない。それがこの数日で学習した今の僕の状態だ。水を飲んで枕が吸った水分を補給する。

 向かいの部屋から気配が動き、ノックの後にシノが部屋へと入ってきた。強い結界が張られたのを感じて、嫌な予感が湧き上がる。これが始まりなのだろうか、よりによってシノから始まるのか。


「秀様、眠れないのですか」


「うん……いつもと同じなんだ。目が覚めるともう寝付けない」


 不安が辛い記憶を呼び起こして伏目がちになる僕の顔をシノが両手で包んで正面を向かせる。


「御辛い気持ちはわかります。今日までは私も見守って参りましたが、そろそろ心の内をお話いただけませんでしょうか」


「でも、これは僕の……」


「いいえ、お支えすると誓いました。二人とはいえ主と臣ではありませんか」


 強い意志が眼に宿っている。退かないという意思が見て取れる。ふと思い出した。皆言ってたな、抱え込むなって。


「……デセットさんが死んだ事は、現実なんだ。それは理解してる。それに僕だって全てが護れるなんて自惚れちゃいないよ。でも」


 あの時敵兵を斬り伏せながら、いい気になっていなかったんだろうか。僕が糾弾したあの二人と同じように。その裏で大事な人が死んでいったんだとしたら、誰が僕の腕を切り落としてくれるんだろうか。

 少し躊躇った後にそう言葉にする。これを女性に言うのは情けないと思いながら。


「戦場で昂ぶるのは当然の事です。あの作戦内容からもそれが適切な心情だったからこそ、上手く事が運んだのだと思います」


「それなんだ。僕も多少の犠牲なら仕方ないと思ってた。でも親しい人が居なくなった途端にこの様だ。僕が斬った敵兵と、デセットさん。違いなんて」


「あります」


 続きを言わせることなくシノが割って入る。


「秀様が親しくなさっておいででした。秀様を親しく思っておいででした。それが違いです。それさえも許されないのなら人の営みなど不可能でしょう?」


 僕がそう思うのと、人に言われるのとではここまで違うのかと驚愕する。僕が閉じこもっている場所では自己憐憫の言葉でしかなかったのに、シノの真直ぐな視線に見つめられながら届いた言葉は、僕の絡まった思考を一つ一つ解いてくれた。


「そうだよー。僕だってー、シュウとシノの命とー、他の命はー、比べるまでもないしー」


「リュワ……」


「秀様がその理想を追うならば、人の身を捨てより上位に移らなければ不可能です。先程御自分でも仰ったではないですか。人の身で全ては護れないのです」


 シノの言葉は臣としてよりも、友人としての想いが籠められているように感じた。


「何も護れなかった訳ではないでしょう?あの日、私は秀様に護っていただきました。月明館の皆様が笑いかけてくださるのは私達が戦ったからです。私の知らない方に、なにやら誓っておられるようですが、結果しか求められないのならばそれはただの枷にしかなりません」


『手前ぇの腕には大き過ぎんだよ!バカが!』


 一刀両断にされた僕の誓いはその在り方をほんの少し変えて、誰かが言った言葉とともにすっと胸に落ち着いた。自惚れていたんだろう。僕の頼りない腕で他人の命をどうこうできるだなんて、思い上がりも甚だしい。デセットさんの存在はそんなに簡単なものじゃない筈だ。

 先程補給した水分がまたも目から流れ出す。


「何故、心中を打ち明けて下さらなかったのでしょうか?私では……お支えするのに不足でしょうか?」


 激しく首を振って全てぶちまける事に決めた。


「違う!シノ以上なんて居ない!僕は、怖かったんだ。弱音を吐いて、皆が僕から離れていくのが。シノとリュワが居なくなるのが……」


 横っ面を張られて驚く。涙目でシノが僕を睨んでいた。


「御自分の誓いは声高にお叫びになるのに、私やリュワの誓いはお忘れになるのですね」


「僕はー、ずっとー、シュウと一緒に居るー」


「ごめん……もう忘れないよ。手放すこともしない。これからは……弱音も聞いてもらう」


 ああ、だから嫌だったんだ、受け入れられなかったんだ。ぶん殴られた日からはデセットさんになら何でも話せるような、そんな気がしていたから。

 暫くの間、俯いた僕をシノが優しく抱きしめてくれていた。


「ありがとう、もう眠れそうだ」


 顔を上げて、シノにそう告げると頭を振られた。


「駄目ですよ」


 そう優しく言って立ち上がったシノが衣服に手をかけて脱いでいく。


「ちょ、ちょっと待って!!なに?え、どうなるの?なに?!」


「この状況で聞かないでください……わ、私だって勇気が要るんですから」


 足りない頭で辿り着いた考えはやっぱり間違っていたようだ。即ち、デセットさんの辛い記憶を追い出すために、シノがその身を捧げてくれている、と。


「待って、そんな事させるわけにはいかない!確かにデセットさんの事はまだ振り払えないけど、だからって」


「違います!……秀様は女を勘違いしておられます。心を苛む苦しみを忘れさせるために身をひさぐなど、お話の中でしか居ないのですよ?」


「で、でもそれ以外の理由なんて……」


 溜息をついたシノがまたも真直ぐに僕を見つめる。


「そのように卑下なされる事はありません。私は……志乃は、秀様をお慕い申し上げております」


 固まる。そりゃそうだったら良いなとは思っていた。シノに嫌われるのが怖かったのも、手を握って僕と共に歩いてくれるシノに好意を抱いていたからだ。再会した時に偉そうな事を言った手前もあるが、主従という関係を必要以上に意識していたのも……いや、縋っていたのも好意を持っていたからだ。

 気付くとシノが言葉もなく目の前に立っていた。暗いせいかはっきりとはしないが顔が赤くなっているようだ。

 そうだ、返事しなきゃと気が付いて、思わず正座する。


「あ、ありがとう。その、僕も、シノの事はす、好きです……」


 再び抱きつかれて、肩の上に涙を感じた。デセットさんの手とは違うけど、伝わってきた温かさは同じかそれ以上だった。 

 

「お願いがございます。は、初めてですので……私以外の事は、何卒お考えになりませぬように……」


「僕だってそうです。そんな余裕はないですよ……」


 かろうじて抱き締め返すが、口調は何故か敬語になっていた。




『おーおー、この天敵が。俺様をダシにしてヨロシクやりやがってよぉ』


 ぼんやりとした景色の中で、呆れたようにデセットさんが僕にそう言う。


『いや、そんなつもりは。だ、大体デセットさんが勝手に逝くからじゃないですか!』


『バッカ、お前ぇ、断ったらすんなり逝かせてくれたのか?』


 悪戯っぽく笑いながらからかうように言うデセットさんを見ても、何故か涙は出てこない。これじゃ本当にダシにしたみたいじゃないですか。


『そんなに逝きたかったんですか?』


『そう聞かれっとそりゃ違うけどよぉ。でもな、天敵』


 真面目な顔になって続きを口にし始めた。


『何か理由があって産まれてきたんなら、何か理由があって死んでいくんだろ?俺やお前じゃどうしようも無ぇ理由がよ。お前だってライアルだって生き残ったんなら何か理由があるさ。隣の天罰みたいな、な』


『デセットさんにだって、エイダさんが居るじゃないですか!あの人、僕を気遣ってくれたんですよ!僕達を、心配してくれたんですよ……』


『あいつなら大丈夫だ。俺に色んなモンくれたんだ。限りなんて無ぇから、これからも色んな奴に色んなモン配ってくって。だからな』


 僕の右肩に左手が置かれる。


『そろそろ離しちゃくんねぇか?お前が握り締めてっからよぉ、まだあいつに会えてねぇんだわ』


 そう言ったデセットさんの左手には、ぼんやりした景色とは逆にくっきりと僕の手形がついていた。だんだんと薄くなっていくその手形を見るに、おそらく僕は納得したんだろう。


『んじゃな。あっちでカード修行しとくからよ。俺様が強くなるまで手前ぇは来るんじゃねぇぞ』


 薄れていくデセットさんと、覚醒しつつある意識を感じて言うべき事を口にする。


『次はきっちり見せ場作ってくださいよ?……デセットさん、ありがとうございました』


『おう、仲良くしろよ』 




 おそらく最後の一筋になるんだろう涙を拭うと、隣のシノも目を覚ましたようだ。


「おはよう、シノ」


「おはようございます、秀……だ、旦那様」


 くっ、なんという破壊力!だがこっちも負けていられない!ありがとう……はなんか違うな、気持ち良かった……張り倒されるな。


「……シノ、嬉しかったよ。その、シノの気持ちと、一緒になれた事が。これからも……」


「はい、ずっとお支えします。御側においてください」

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