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「おにーたんおねーたん、おかえりなしゃい!」
ほんの少しだけ言葉が達者になったルード君が、ててっと寄って来る。男子三日会わざれば刮目して見よ、だな。
ただいま、と目線を合わせるように屈んだ僕に抱きついてくる。抱き返すと幼児特有の柔らかい感触が、束の間僕の笑顔を本物にしてくれた。背中に抱きついているポーリーは、おそらくアリーシャさんの心配に反応しているんだろう、付与した限界まで強く僕にしがみ付いていた。
「ぼく、おみせのおてつだいした!」
「どんなお手伝いしたの?」
「んっと、ばいばいして、またおこしくだしゃいっていうの!」
それはまた来るな、僕なら明日には来る。頭をなでて褒めると嬉しそうな笑顔が真直ぐに向かってきた。この顔を護りに行ったんだ。鞄からお土産を取り出す。
「上手にお手伝いできたルード君にお土産だよ。はい」
「ありがとごじゃいましゅ。ばらばらだよ?これなーに?」
「達磨落しって言うんだよ。積み木みたいなもの、かな?」
伐採した木から掃った枝を乾かして作ったものだ。七段で色も着けてある。休憩室に行って遊ぶ。シノも懐かしそうに見ていた。下から弾く遊びを教えているとおじさんとおばさんもやって来た。アリーシャさんから聞いていたんだろう。笑ってルード君と遊ぶ僕に、あからさまにほっとした笑顔を見せた。
色分けされたサイコロを取り出して、僕とシノが交互に振って出た色を落としていくのをきゃっきゃと見ているルード君。リュワとポーリーは弾かれた達磨を齧っている。暫く遊んでいたが、不意に心に影が差す。駄目だ、切欠も何も無く、本当に不意に不安定になる。時間を言い訳に自室に戻る。あの日のままだ。居なくなった人が居た頃のまま。ベッドの脇には作成途中の新しいリュワの体のパーツが木箱に入れられている。
「今の状態じゃ作っちゃいけないな……」
リュワの身体は沈んだ気分で作りたくなかった。
ルード君と遊んでて良いよと言ったにもかかわらず、リュワは僕の後について来た。僕の幽体の状態は相変わらずだ。潜っていない時に所々がぼやけるらしい。
「僕の事はー、後回しで良いよー。シュウー、居なくならないでねー?」
いつもの口調に混じるほんの少しの不安な響き。僕は、なにやってるんだろう……
「勿論だよ。僕を見つけてくれたリュワに黙って居なくなる事なんてないよ」
「黙ってなくでもー、駄目だよー?」
「うん、約束したもんね」
荷を解いて、というか鞄の中を確かめてベッドに腰を下ろす。帰ってこれたと実感しているとノックの音が響いた。応えるとアリーシャさんが顔を出した。
「お帰り、シュウ君。晩御飯どうするの?」
握りこんだ手の中には体温で温かくなった角銀貨があったが、まだこれを手放す気にはなれない。人から人へと渡り、僕からも一度離れて再び僕へと戻ってきた角銀貨は、お金でありながら物には代えられないという妙な存在になってしまった。
「遅くなると言っておいてあれですが、御迷惑で無ければ御一緒させてください」
「わかったわ。暫くはのんびりできるんでしょ?」
「ええ、ドリスさんからもそう命令されました」
「それは……ううん、いいわ。じゃ、後でね」
シノも僕の部屋に来て、三人で少しの間静かに過ごしてから食卓へと向かう。ガルさんは休肝日だそうだ。そんな訳無いでしょ、と申し訳なく思う。
食後に事の顛末を話す。アレストからダミール、国境へと話が進むにつれて笑ったり怒ったりしてくれた。本当に聞きたい事はあるんだろうに、優しい人達だ。ガルさんだけはいつもの調子が鳴りを潜めてじっと聞いてくれていた。話が終わりに近付くにつれてシノが話す事が多くなったけど、言わなきゃいけない事は、僕がなんとか口にする。
「それで、本陣に帰る途中にデセットさんが、倒れていたんです。もう動きませんでした」
それだけを搾り出すと、後はシノに任せてしまった。退屈だったのか、ルード君はネリアさんの膝で寝ている。他の人達も黙っていた。門に着いたところで話が終わっても沈黙は続いたけれど、ガルさんの声が助けてくれた。
「……奴の事は、それぞれが決着つけるしかないんだ。それが出来ない間はそいつの戦は続く。あの時ああしてりゃ、とか不毛な戦が頭の中で続くんだ。ここに居る皆、お前を助けてやりてぇけど出来る事は少ない」
「はい」
「シュウ。抱え込むな、追いかけたって捕まえられない。忘れようとするなよ、逃げたって逃げ切れるもんじゃねぇ。昼間も言ったがな、帰って来いよ」
なんとなくだけど解る。折り合いをつけるというと打算的な感じがするけど、そういう事なんだろう。その後は皆に励まされてから席を立った。部屋から風呂に向かう。久し振りの風呂だったのに、長くは浸かっていられなかった。あの日、デセットさんが倒れていた水溜りが僕の脳裏に再生されたからだ。
底の方から色が変わっていく。茶色に赤が混じり、不安を掻き立てる色へと染められた時、立ち上がっている自分に気付いた。
『新入りが人相手に心の傷を負うのを見てるからさ』
いつか聞いたキャルさんの言葉を思い出す。澄んだ湯に小さな波紋を一つ作って、僕もまだまだ新入りなんだと再認識させられた。
それから数日、疲れは体の芯に纏わりつきなかなか僕から離れてくれない。帰って来てから唯一僕の笑顔を見た二人がルード君との時間をたくさん設けてくれた。絵本を読んだり、玩具で遊んだり、シノとリュワも一緒に近所を探検したりしたけど、ガルさんのアドバイスに沿うやり方は未だに見つけることが出来ないでいる。
アリーシャさんとシノの買い物にも付き合った。ドリスさんも月明館に様子を見に来てくれた。ザックの家族はどうやったんだろうと考えるが見当もつかない。
このままじゃ駄目だ、愛想を尽かされるぞ、と思えば思うほど裏側から染み出してくる声が明瞭になる。
そうだ、本当はそんなに悲しくなんてないんだろ?努力なんてしなくても、周囲が簡単にちやほや構ってくれる状況を手放したくないだけなんだろう?否定しても判ってるよ。否定すれば自分はまともな人間だって安心できるもんな。で、その後はこうだ。『その通り、僕は矮小な卑怯者だ』そう思うんだろう?すると可哀想な僕が居るだけだ。悦に浸りたいんだよな?
前世の思考に近付いていくのがわかる。結末なんて見えている。自分を見透かされないように周囲との関わりが希薄になっていくんだ。近寄れなくなった僕から遠ざかっていくんだ。どうすれば良いんだと考えると浮かび上がる人の顔。僕を殴って叱ってくれた人の顔。堂々巡りが再び始まる。
装う事だけはどんどんと上達する僕を助けてくれたのは、やっぱりシノとリュワだった。
それまでの数日間、何か思い悩んでいる風だったシノが目に強い光を宿して部屋に来てくれた。




