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門をくぐった僕達を待っていたのは、ドリスさんから本当の任務内容と戦の終結を知らされた、出征した所属員の関係者達だった。駆け寄ってくるアリーシャさんは視界に入っていたものの、僕はそれに目を据えることなく、教えてもらった人物を探す。
「シノちゃんお帰り!シュウ君も、お帰り……」
まずシノに抱きつき、その後に僕へと顔を向けたアリーシャさんの声が戸惑う。表情はいつも通りに出来ている筈なのに、鋭いな。笑みを作って答える。
「ただいま帰りました。ご心配いただいたようで、ありがとうございます」
「シュウ君、大丈夫?すぐに帰ろ?ちゃんと御飯食べて、ゆっくりお風呂で疲れを取って……」
「申し訳ありません。まずギルドに戻らなければいけないんです。その後も少し用事がありまして、帰るのは遅くなるかと」
シノを解放して僕の手を握り、顔を覗き込んで心配そうに、言い聞かせるように帰宅を促すアリーシャさんに詫びる。見当たらなかった尋ね人の所在地を市中警備隊の小隊長殿に聞く。
「あー、商業区の外れの路地だな。三本目辺りか?」
ガルさんは尋ねた僕がそこに行って誰に会い、何をしなければいけないのか、察してくれたみたいだ。そこに誰が居ないのか、まで。
「無理すんなよ。でも帰って来い。帰って来れればお前は酒が飲める男の顔になってる筈だ。待ってるぜ」
皆と一緒にまずはギルドへ。二人に手を振りながら気が重くなる。ドリスさんになんて言えばいいんだろう。
出発前に訓示を受けた部屋へと入り、マインスさんが報告を始める。
「報告。アレストギルド選抜員、八十名のうち七十四名、任務完了して帰着」
「ご苦労、班長と合同で報告書を数日中に作成して持ってくるように。シュウ……デセットも、良くやってくれたな。ゆっくりと休め」
ドリスさんなりの弔い方なのだろう。僕の抱えた壷にも声をかける。俯いた僕に言葉が続く。
「いいな、シュウ。まずは休め。これは命令だ」
「……申し訳ありません。承服いたしかねます」
皆がざわつく。すわご機嫌を損ねたかと、帰りに気を遣ってくれた人達から取り成しの声が発せられるが、ドリスさんは優しく笑ってさらに続けた。
「許さん。何も部屋に閉じ篭れと言っているのではない。動き回るのも良い。だが気は休めろ。あまり抱え込むな。血を浴びて帰って来たんだ、周囲に甘えろ。いいな」
「畏まりました。御気遣いありがとうございます」
「六名の名を報告したら解散だ。近いうちにギルドと遺族合同で弔う」
酒に食事に家に街中にと、思い思いに散っていく所属員の波にまぎれて僕とシノもギルドを出る。教えてもらった道を辿り、教えてもらった名を呟く。目の前にはドア。シノが手を強く握ってくれたことで、いまだ出口を見つけられない気持ちは脇へと控えてくれた。
ドアに手を伸ばしながらライアル君がぽつぽつと教えてくれた事柄を思い出す。
正式に結婚したという間柄ではないらしい。若くしてとある商家に嫁いだが、子供が出来ないからと離縁された女性だそうだ。一時、あの店で働いていて、酔客に絡まれていたところを居合わせたデセットさんが助けたのが始まりらしい。
『あの頃はギルドも無かったし、その日暮らしの俺の生活に巻き込むわけにはいかなかったって言ってたな。今は、収入もある程度安定してきたから……そろそろ腹括るかって……言って、た……』
なにやってんですか、デセットさん。大事な事じゃないですか、遣り残して……。大事な女性じゃないですか、独り遺して……。
ドアへと伸ばした腕が一瞬、逡巡してノックする。明後日にはライアル君も来るんだ。デセットさんをちゃんと送り届けないと。
「何方でしょう?」
少しの時間の後に開いたドアから上品な声と落ち着いた顔がのぞく。
「ギルド員のシュウと申します。エイダさんで間違いないでしょうか?」
「はい。……シュウさん?なんだか聞き覚えがありますわ」
「デセットさんは、『天敵』と……」
「ああ!天敵君ね!」
招き入れられ、向かい合って座る。どう話を切り出していいものか言いよどんでいると、
「戦争だったんですってね。大変だったんでしょう?大丈夫だった?怪我なんかしてないの?」
知ってたのか。いや、知ってたから来れなかったんだ。じゃあ、デセットさんより先に僕達が来た理由も目的も知って、それでも笑って迎えて、気遣ってくれたのか。
口火を切ってもらったからといって話しやすくなった訳ではない。懐から壷を出してテーブルに静かに置く。エイダさんの眼どころか顔すら見ることが出来ない。
「申し……勝手ながら、御遺体は焼かせていただきました。デセットさん、家ですよ……」
「ありがとうね。あなた、お帰りなさい」
「僕は……あの、なんと言っていいのか。謝るのは違うって、それはわかるんです。ありがとうって、言いたいんです……でも、デセットさんは……エイダさんは、僕は、あの」
一番哀しいであろう人の前では泣けない、泣いちゃいけない。閊える言葉が逆流して頭の中がごちゃごちゃになっても、目だけは固く瞑らなくちゃ。
そう思い、何を言っているのか自分でも判らない僕の言葉が遮られた。
「良いのよ、言いたい事を言ってくれて。私もシュウ君に……天敵君に色々聞きたいわ。ただ……お互い落ち着いたらね。今日はもう帰って休んだ方が良いわ。我慢しているあなたも、あなたを見ている横の天罰ちゃんも、とても辛そうなんですもの」
頭を撫でられて、涙が出そうになる。どれだけ堪えれば、どれだけ内に留めれば器は大きくなるのだろう。何とか顔を上げられるくらいに落ち着いた後で、後日の約束をしてお暇する。礼を言い、頭を下げてドアを閉める。踵を返した僕達の背後で、さして厚くもない閉まったドアの向こう側から啜り泣きの声が聞こえ、やりきれない気持ちで僕達はその場を後にした。
帰り道は向かい側に工房区の建物を眺めながら歩く。ダフトさんにも腰の新作の礼を言いに行かなければいけないが、今日は会いに行こうとは思えなかった。心配させちゃいけないと思ったからだ。帰って来て会う人皆に気付かれてる。ダフトさんなら顔を見せたら一発だろう。シュウ坊と呼んでくれる人に、もう心配をかけるわけにはいかない。
ちらほらと冒険者とすれ違う。家族や仲間に無事を喜ばれている彼らも、僕を見つけると黙って手を上げてくれる。一団に挨拶と笑顔を返し歩き続ける。シノとあれこれと会話をしながら。あの人にも挨拶に行かないととか、ずっと行きそびれていたあの店、いつ行こうかとか。こちらに合わせて言葉を返してくれるシノが居なければ、僕は途中で動けなくなっていただろう。アレストに帰ってこれたかも怪しいものだ。
ザックが居なければ、僕は両親にもこんな思いをさせていたんだろうか。何を護ったわけでもない前の僕は、行きがけの駄賃で両親から笑顔も奪っていくところだったのか。向こうで祖父ちゃんに叱られるわけだ。そういえば師匠も、姉さん先生も兄さん先生も、会って最初の言葉は叱責の言葉だったな。
叱らないからといって、シノがどう思っているのかは判らない。いや、十中八九は不甲斐ないと思っているだろう。シノだけじゃない、心配してくれる人達に愛想をつかされるわけにはいかない。あの人達が離れていくなんて、考えただけで震えが来る。
外側だけでも平静を装い、シノと会話を続けながら進み続ける。握ったシノの手がどちらが前なのか教えてくれている。
そのお蔭か、迷うことなく目的地に近付く。遅くなると言ったのに案外早く帰り着いちゃったなと、月明館のレンガ造りの壁を見ながら、エイダさんが立ち上がり際に言った言葉を思い出す。
『シュウ君。嫌じゃなければ天敵の名前はずっと使って欲しいの。後に何も残せない私を、それでも大事だと言ってくれたあの人がギルドに、シュウ君に遺したものだから』
産まれて名を贈られて周囲に個として認識されるなら、ギルドでの僕は『天敵』という個なのだろう。
修でも秀でもなく、秀の身体をもらった修があの浜辺で目覚めた時を産まれた、と解するならば、産まれたシュウが初めて貰った名が『天敵』だ。名付け親は一緒に遊んでくれて、時には叱って殴ってくれた。心配してくれた。
大事に抱えた。帰り道でずっと壷を抱えていたように、とても大事に。




