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指揮官の撤退を見届け、敵本陣で目に付く戦利品を集めながらようやく終わったと一息つく。
真っ先に目に付いた兵員名簿を懐に感じながら、これ、絶対に置き土産だよなと苦笑しながらシノと言葉を交わす。
「シュウの雰囲気が変わりかけた時は吃驚したわ」
「あー……ごめんね。未熟なとこ見せちゃったね」
「ううん、そうじゃなくて……私も、話に聞いた父の死に際が見えたから……シュウの雰囲気が落ち着いて、私も我に還れたの」
あの笑みはそういう事だったのか……
「そっか。一緒に支え合えたなら嬉しいかな。隣にシノがいてくれて感謝してる。僕が元に戻れたのもシノのお蔭だよ」
そうだ、この先何があってもシノに顔向けできない事態は避けなきゃいけない。ついて来てくれると誓ったシノとリュワにだけは。
無言の照れ笑いを受けて僕も照れていると、集合を報せて回る声が聞こえた。周囲を取りまとめて踵を返す。斬り抜けたぬかるみを戻りながら僕はライアル君を見た。
ぬかるみの端で佇んでいる。
横にいる冒険者が何事か囁き、一瞬僕を見た視線はすぐに足元へと戻る。
ロウガーさんとキャルさんもこっちを見た。
なんだ?と思ったら横のシノが震えた。
何を見ているんだ?足元?誰だ?誰が倒れてるんだ?
「坊や!来るんじゃ」
「いや、キャル。シュウは見なきゃなんねぇ。ライアルもシュウもそろそろガキを卒業しなきゃならねぇんだ」
キャルさんの声を遮るマインスさんの声。
嫌だ。なんで大好きな戦利品を見に来なかったんだ?
嘘だ。遺族へのパシリにすんじゃねぇって、あなた、言ってたじゃないですか!
心は行きたくないと叫び、足はもつれながら先へと急ぐ。
なんでだ!あんたの、見せ場は、僕に、カードで、勝つところじゃないか!!
「デセットさん……?僕にブラフは通じないですよ……」
ライアル君と一人を挟んで向き合う。視線は下へ。倒れている人は自身の血でぬかるみの泥水を赤茶色に染めてうつ伏せになっていた。
また、僕に良くしてくれた人が居なくなるのか?本気で僕を殴ってくれて、僕は嬉しかったんだ。なのに居なくなるのか?
あなたが、真剣に僕と遊んでくれたから。だから僕は、とても大事な事に気が付けたんだ。なんで、居なくなるんですか!
横ではシノが俯いて何かを堪えている。そうだ、まだ死んじゃいない。深手だけど、息はまだある筈だ!その証拠に誰も涙を流してないじゃないか!
「デセットさん!血を止めます!痛むかもしれませんが我慢して下さい!」
膝を着き、手荒かもしれないが仰向けに返す。呻いてくれよ……頼むよ……
「くそ、上手く潜れない!シノ、手伝って」
「シュウ、お前が逃げてると、奴が成仏できねぇぜ」
抑揚の無いマインスさんの声が僕の耳を打つ。
成仏ってなんだよ。デセットさんは……まだ……
抱えたままで何を考えていいのか判らなくなる。彷徨った思考がやがて纏まり始めた。
誓ったのに、大事なものは護るんだって誓ったのに、僕は出来なかったのか……
「僕は、また護れなかったのか……」
口から漏れた呟きを聞いたマインスさんに胸倉を掴まれて、引き上げられた。眼は拳を見ているが避けようとすら思わなかった。思い上がったガキには当然の報いだ。
ゴツっと左の頬に衝撃を受けて倒れる。デセットさんを抱えたままで。
「違ぇだろが!天敵ぃ!こいつは護ったんだ!だからそんな顔で逝ったんだろうが!」
言われて顔へと視線を向ける。血塗れではあったが、苦痛や無念に歪んではいなかった。
「お前ぇが!俺達がそれを解ってやらなけりゃ!こいつは……デセットは……護ってくれたんだ……」
キャルさんから涙が落ちる。マインスさん、シノと続き、ようやく僕も認めざるを得なくなった。涙は出ない。喪失感だけが身体を巡る。
僕が抱えたデセットさんをマインスさんが受け取り、ロウガーさんが借りてきてくれた負傷者用の荷車に乗せる。
「すいません、取り乱してしまって……」
のろのろと立ち上がった僕にマインスさんから声がかかる。
「預かってたモンがあんだ。ほれ」
差し出された手の下に掌を差し出すと、角銀貨が一枚、落ちてきた。
「それで、お前に奢ってやるんだって。ダミールでな、預かったんだ。俺が持ってると落としちまいそうだからってな。あの日の支払いは手前ぇの懐から出してたぜ」
「じゃぁ、これ……僕が負けた」
「あの日の角銀貨だ。そりゃあ嬉しそうに握り締めててよ。まるで女からの贈り物みたいだって。ガキの頃に、仲間と見つけた、綺麗なだけのただの石を、宝物だって……俺達はよぉ……」
僕に、あんなお酒を飲ませる気ですか、デセットさん。
「天敵。お前ぇ、それでライアルと飲みに行け。帰ったらあの店で飲め。あいつの奢りだ」
頷く。
「良かったなぁ、デセット。天敵がよ、お前ぇの奢り、う……受けて、くれるってよ……」
そう言って僕の肩に手が置かれる。何か違和感があった。手が置かれた左肩を見ながらぼんやりと考える。暫くして解った。
そうだ。デセットさんは左利きだった。左手でカードを捨ててた。左手で酒を呷ってた。左手で僕を殴ってくれた。向かい合って、僕の右肩に笑いながら手を置いてくれたんだ。
そうか。じゃぁ、もう僕の右肩に手を置いてくれる人はいないのか。
そこで初めて涙が出た。
俯いた喉と頬を伝って、嗚咽と涙がとめどなく溢れる。ライアル君の声も混ざり始めた。周囲に冒険者が集まり始める。
暫くして顔を上げると、待っても戻ってこない僕達を心配したのだろう、デレクさんやキースさんもデセットさんを悼んでくれていた。
「……申し訳ありません、御命令は聞いていたのですが」
「シュウ殿。貴殿は内に抱え込みすぎる。それでは横のシノ殿も戸惑う事が多かろう。デセット殿に苦笑いさせてはならんのである」
「……はい」
「良い兄君であったのだな」
周辺ではまだ回収されていない負傷兵も多い。借りてきてくれたロウガーさんに感謝を口にしてデセットさんの遺体を起こす。
「ありがたいのですが、この荷車には負傷した方を乗せてあげてください。デセットさんは僕が背負って戻ります」
これまでに感じた事が無い重みが背中から腰へ、足へと下りてくる。そこら中に撒かれた血を洗い流すつもりなのか、雨は再び激しくなっている。デセットさんの背中に手を置いたライアル君と並んで歩く。前にはキャルさんに肩を支えられたシノが覚束無い足取りで進んでいる。
デセットさんの装備が雨水を吸ったのか、一段と重くなった。
いや……ザックが気を利かせてくれたんだろう。上乗せされた筈の身体能力は影を潜め、僕は、僕の力だけで、デセットさんを、大事な人を、無事に砦へと連れ帰る事が出来た。




