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二時間ほどかけて甲殻の隙間に鉈を挿し込み、抉るようにして身と甲殻を分けるという作業を終えた。
メキャメキャ、とかブチブチ、とかいう身の毛もよだつ音が脳にしっかり刻まれた後で速やかにその場を離れた。似たようなのにもう会いたくないからだ。
川でしっかり洗った甲殻は一纏めにして背負子に積んである。
歩き始めた時に頭の上にあった太陽は、そろそろ傾き始めていた。
(暫く海老とか蟹とか食えねーよぅ……)
刀を手に取った時から半日も経ってないのに、気分は真逆に落ちていく。
歩き続けてようやく、左側の森に切れ目が見えた。
(川から半日程度の距離を探索してみるか……食料も切り詰めれば三日程はもつだろ。道らしきものが見つからなければより過酷なサバイバル開始だな)
そう決めて、開けた辺りで野営の準備をしようと足を速めた直後に森の中から殺意が湧き上がる。警戒心が立ち上がり身体を森に向けた瞬間、こちらに何かが飛来する。強化された動体視力が矢の影を捉えたときには、もう避けようも無い位置にまで迫っていた。鉈を握った右手が反応するが間に合わない。
(クソッ!!)
そう毒づいた胸の内を狙ったように鞭が当たったような衝撃が走る。
「ぐッ」
たまらず呻くが違和感に気付く。何で横一直線に痛みが走ってるんだ?
下を見ると矢が落ちている。顔を森に戻すときに横に浮かんでいるものが目に入る……鋼で縁取った布切れ?
状況が把握できないまま鉈を手放し刀を抜いて構えると、次は二本飛んできた。頭と腰を狙った矢が同時に飛来する。
即死は避けようと頭に向かってくる矢を打ち払うと、腰を狙った矢は先ほどの布切れが叩き落としていた。
「「「はぁ?」」」
僕を含め何人かの声がハモった。
(と、取りあえず目の前の脅威を排除しないと!)
と森に踏み入ろうとした僕の目の前に二人の男が飛び出してくる。二人とも取り回し易そうな短めの剣を振り落ろしてきた。
その軌道を抜けるように左の男の脇に入る。これでもう一人の男との間に壁ができた。
向き直るように腰をひねりその勢いで刀を振り上げる。ヒュッという音を残して刀身が男の腰を斜めに通り抜けた。
顔をこちらに向けたもう一人が見たのは腰から上を地に落とす仲間の下半身だった。
「なんなんだ、手前ぇはぁぁ!!」
怒号とともに横薙ぎの斬撃が振るわれるが、すでに間合いから外れていた僕は剣先が行き過ぎるのを待って踏み込み、唐竹割りに刀を振り下ろす。
同時に耳が弓の弦音を拾う。そのまま前転して飛んできた矢をかわすと、鉈を拾い上げて気配を頼りに森の中に投擲する。
上がった悲鳴を置き去りにして、もう一つの気配は逃走に入ったようだ。
魔力を引き出し、落ちた矢を拾って推進力を与え、気配を追うように操ると断末魔の叫び声が辺りに響いた。
「ああ……またグロ掃除か……」
森の中の死体を川原に引きずってきて溜息をつく。
賊共の荷物をあらため、懐を探りながら思考は別のことを考えていた。
(力を行使するしかない状況だったとはいえ、やった事に関しての忌避感が無いな……僕って実はヤバイ奴だったのか?それとも人ってこんなもんなんだろうか……こっちに来て現実感が無いってわけじゃない。程度は軽いとはいえ飢えも渇きも経験してるし)
考えてはいるが答えなんか出ない事も解っている。
ザックの命を奪ったチンピラと賊が重なったのか、藤守家の最後を見ていたことで多少慣れていたのか、それとも師匠の度重なる言葉が魂に刻まれていたのかな。
(さて、死体と持ち物は分けたけど……おかしい)
矢が見当たらないのである。まさか獲物が一人とはいえ、二人の射手が二、三本づつしか矢を持っていないというのはどう考えてもおかしい。
最後に倒した射手が肩掛け鞄を持ってはいたが、こんな物に矢を収めていては咄嗟の時に取り出しづらい。というかそもそも入らない。
何入れてあるんだ?と中を探ると矢羽に手が触れた。
(マジか……期待しなかったわけじゃないけど、思わぬところで素敵アイテムを手に入れた)
掴んだ矢の角度を考えるに、鞄の底から鏃が飛び出ていないとおかしいのだ。
そのまま引き出してみると矢が出てくる。他には何がと思いながら中を探ると三十本程の矢といくつか袋が出てきた。
(金の袋に装飾品の袋……後は水と食料か。どういう賊かは知らないが、塒に溜め込んであるのかな?)
溜め込んだお宝も頂戴しに行こうかと一瞬考えたが、全員口がきけない死体なので情報の取りようがない。
(まぁ、いいや。金も金銀銅とそこそこの額ありそうだし。それより街道探しだ。人が通らないところに身を潜めるほどこいつらも馬鹿じゃないはずだ。ということは……近くに道がある確率が高い)
背負子の荷物を鞄へと移し背中を軽くしながら考えると、再び気分は上向きになる。
盗賊の持っていた剣で穴を掘るのは苦労したものの、一応埋葬して手を合わせた。
太陽が空を赤く染め始めたのを見て足早にその場を後にする。森の切れ目に出ると少し先に道らしきものが見えた。
「おおぉ、道だ……成程、川沿いに来て森を避けるように続いてるわけか。さっきの奴らはこっちを狙ってたのね」
川を背に潜んでいた賊たちの裏を通りかかったので陣形と連携が噛み合わずに付け入る隙ができたんだろう。
なんなんだ手前ぇ、という台詞にも合点がいった。
(ここが狩場でどこかに塒があるなら、仲間がうろついてても不思議じゃないな……今日は夜通し歩いてここから離れるか)
百足に賊と戦闘をこなして体は疲れていたが、少しでも危険から遠ざかろうと足を進める。
月明かりの中、気配を探りながら進んでいくと、明け方には周囲の景色が一面の平原へと変わり始める。
朝日が昇り、平原の中に伸びる川が防壁の中へと続いているのを、深い安堵の溜息と小走りになる足に気付かずに眺めていた。