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連合の成立は十三年前の公国の侵攻を切欠とする。
当時、大陸南東部ではノルトライト、アスード、ワスボウト、タルハマスの四カ国がその時々で同盟と小競り合いを繰り返し、均衡を保っていた。
西ではその五十年前に、北の王国からハインツ公爵が軍を率いて南下、小国を併呑しながら領域を拡大し、南進の半ばまで来ると王国から独立、南端に到達した所で一時拡大は止まった。
とはいえ、内治と外攻のどちらに重きを置いているかは火を見るよりも明らかであった。呑み込んだ領内が落ち着くにつれ、その眼はゆるりと東を向く。大軍ではなく小勢の小競り合いで済んでいたのは、永の進軍に兵士からも厭戦の気が漏れ始めていたからだ。奪った者も奪われた者も、荒んだ心を何かを創り出す事で癒そうとしていた。
しかし建国も五十年を迎えるとそれにも飽いてくる。東に獲物を捉えた目は、前王の偉業を学んだ新公王と、父から武勇伝を聞かされて育った貴族と兵達の物だった。
四万の兵が八万の目で東を見据えて歩みを始める。その後ろで舌なめずりをする者たちの数など、もはや数えられない程居た。
目をつけられたのは他の三国と境を接するワスボウト。軍を束ねる当主の下で名が聞こえ始めたガストル・ノヴェストラは、辺境守備の兵とともに一万の数で出迎える。後方では当主がさらに兵を掻き集めていたが、準備が間に合うとは思えなかった。
しかし若き勇将は持ち堪える。篭城を選んだとはいえ、初の大規模戦で見事に大軍の指揮を執り、持ち堪えれば援軍が来るぞと連日の攻勢を撥ね返す。のみならず、少数の兵に奇襲を命じ、乱れた敵軍へと打ちかかり三千の敵兵を馬蹄の露と蹴散らした。
事を聞き及んだノルトライト王の決断も早かった。ワスボウトが落ちれば公国は他の三国への足掛かりを得る。そうなれば後の運命などは占わなくても見えている。『フォー・ライト』へと王命が下り、武のシュライト家は忽ち二万の軍を整えワスボウトの肩を背を押すために南西へと進軍。キアライトは西のアスードへ、ベルライトは南のタルハマスへ、ノーデライトはワスボウトへと四カ国同盟の書状を携えて赴く。
軍が国境に差し掛かる頃には三家は見事に御下命を果たし、シュライト率いる援軍は些かも進軍速度を緩めることなく境を越えた。
ワスボウト領内で、他の二国と準備ができたワスボウトの後詰三千、合わせて一万四千を加え、総大将はそのままシュライト。ノヴェストラ当主は援軍の報せと共に、我が子が戦う前線へと向かった。
ここで連合側に天佑があったとすれば、それは公国軍を率いていた辺境伯の人物だろう。
戦端を開いた城塞攻略に永の対陣で被害を受けて、相手に手をかける事も許してもらえない。中央からの叱責を恐れた彼は、報告に希望的観測を書き殴った。さも事実であるかの様に。
勿論中央が戦場に人を派遣していない筈は無く、すぐさま看破された。が、援軍要請を見越していた中央は軍備を整えていたものの、事実とあまりに違う報告書に、指揮官更迭の決定と新指揮官の選定に二日を要し、結果的にそれがあだとなった。
報告書を早馬で送り出した辺境伯は、狂ったように連日の大攻勢を仕掛けたが、すでに同盟から援軍の報せを受けていた連合側は、合流地点を決めると城塞を放棄。大攻勢に耐え切れなくなったと装いながら、公国軍を合流地点へと引き込むべく後退を始める。
報告書を真実にするのは今だと、陣形も兵種も無く雪崩を打って追いかける公国軍。ようやく尻に喰いつけようかと辺境伯が濁った目で見たものは。
神聖な領土を汚されたと怒髪天を突く、若き勇将ガストル・ノヴェストラ。
かつての戦場で互いを認めた信義を胸に、高々と剣を掲げるハワード、ケネスの二人のシュライト。
左右後方からは戦功立てるは今ぞと、各国の猛将知将が引きも切らずに押し寄せる。
布陣を整え策を巡らせ、待ち構える四万四千と、戦場に甘い夢を見た一塊の二万七千。忽ち攻守は入れ替わるが、包囲されては袋の鼠。自由に逃げ惑う事もできずに討ち取られるに身を任せるしかなかった。血の海から何とか逃れられたのは一万五千名ほど。辺境伯も馬を降り命乞いの有様に、連合軍は思う存分追い討ちをかける。
城塞に篭められて気を抜いていた一万の兵も逃げた兵と共に壊走し、城砦から一日ほどの距離まで追い立てられた。
急ぐ公国の援軍が見た物は、悄然と肩を落とした満身創痍の二万三千の兵だった。
数の優位も無くなり、戦意が底まで落ち込んだ軍では戦えぬと新指揮官は公都へと歩みを戻す。耳には遠く勝鬨が響いてくるかと錯覚しながら。
侵攻が失敗に終わり、停戦会議で同盟に赴いた外交使節は驚く。四カ国の王が一堂に会し、談笑する様を見たからだ。
「戦費の賠償と捕虜に対する身代金は支払おう。しかし、捕虜に辺境伯の名が無いが、すでに処刑済みか?」
「辺境伯?ああ、あの指揮官ですかな。いや、用兵振りに見合った命乞い、実に見事であった。流石は公国、戯れに四万の兵を食い詰め貴族に任せるとは大国よなと、今も話しておった所でな。あのような者にも身代金とは、いやはや剛毅ですな」
ここで使節が激高する。始めから終わりまで公国は人選を間違えていた。
「貴族の一人や二人、我が国からは端金だ!!支払ってやるから身柄をこちらに渡せ!!」
「はっは、我が領土を侵した張本人、こちらも首を斬らねば民の気も収まらぬ。とはいえ、値も聞かずに払うと申された使節殿の顔も立てねばな」
この一言で赤かった顔が青くなった使節だったが、各王の前で国の名を出して言ったからには引っ込みがつかない。法外も過ぎる身代金を吹っ掛けられて値切る事もできず、何とか戦時損失賠償の名目もつけてもらおうと、虚勢を張って居丈高な態度で迫るも
「タルハマス王よ。損失と言われても我がノルトライト軍からは、粗忽者が蹴躓いて肘を擦りむいた位の報告しか上がっておらんが、貴国はどうかな?」
「我が軍には飲み水が合わなかったのか、腹を下した者が何人かおりましてな。使節殿、これくらいの損失でも構わぬか?」
良い訳は無い。そんな理由で莫大な賠償金を請求されて支払ったとあれば、公国の威信は地に落ちる。だが、交換するべき捕虜は追撃時の城塞で全員取り戻されている。敗残兵が鹵獲して持ち帰った物といえば、傷だらけの身体に巻いた包帯くらいのものだ。
ようやく立場を思い知らされ、膝を着き俯いてお願いするに至った使節に言葉がかけられる。
「頭をお上げ下され、使節殿。其方の首が落ちるのは忍びない」
「うむ、使節殿のような方が国政を担うのは我がアスードとしても喜ばしい事ですからな」
勝敗の道理も弁えずふんぞり返ってやってきた使節は、この後も散々バカにされ、膨大な支払額を記した合意書を守るように背中を丸めて帰って行った。
彼の帰城を待っていたのは憤怒の表情の公王であったが、
「流石は南部四カ国の王。人選を誤ったのは我らとはいえ見事な物ですな」
と王の横でからからと笑う老齢の宰相に毒気を抜かれたのか、その場で首が落ちる事は無かった。
間も無く事の全容を耳にしたのか、公国は落ち目とばかりに王国が圧力を増し、北で戦端が開かれて南部は束の間平穏を取り戻した。
王国に呼応するかのように連合が成ったのはこの時である。
北の戦場に赴く公国軍指揮官は、出立の前日城に召し出しを受けて二人の人物と引き合わされた。
莫大な値のついた元辺境伯と、彼にその値をつけた元外交使節の二人だ。
公王から二言三言の訓示を受けたからか、目の前で落ちた二つの首を見たからか、彼は戦意の上がらぬ軍を率いて王国相手に痛み分けの結果を残した。




