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往く河の流れは  作者: 数日~数ヶ月寝太郎
二章 無念収めた匣の蓋
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13

(くそ、気配が当てにならないから見失う訳にはいかないのに!)


 速度はこちらが上だ。逃げる男の背中から目を逸らさずに追いついて、捕縛する。それだけの事が困難を極める。逃げる男はフェイントをかけ、速度を落とさずに方向を変える。僕の注意力を散らしながら追跡の眼に死角を作り、唐突にそこへと入り込もうとする。


(踏んだ場数が違うって事か……何か使えるモノは……)


 『眼』を発動する。対象がこちらに向ける感情が判るのならばその方向もあるいは、と思ったのだが


(好悪すら感じない?!任務を阻みナイフで刺しておいて無関心なんて、まるで機械じゃないか!)


 男の在り方に戦慄を覚える。こいつを捕らえ……いや、勝てるのか?そもそも追いつけるのか?


(不味い、そろそろスラム街だ……入り込まれたら終わりだぞ。魔法を使おうにも一瞬でも幽界に気を向ければ見失う……くそ!)


 道が細くなってくる。両脇には物が散乱し始めた。遠目にあばら家が見える。この先不規則に細い道が入り組み、日の差さない薄暗い路地ともいえぬ隙間が増えれば、もう追いきれない。が、ここで気まぐれな天秤がこちらに傾く。


(シュウ、魔道具の限界が来たよ!)


 リュワの言葉と共に男に気配が戻る。同時に周囲は危惧していた環境に突入する。しかし気配が戻ればこっちのものだ。天秤はその傾きを増し、男は人気の無い場所で足を止め、僕へと向き直った。


(ようやく第二ラウンドか)


 魔法で傷口の血を固め、手に伝った液体を拭う。付け焼刃の短剣術では不利だと鞄から刀を出す。気配は戻ったが厄介なのはこちらの注意力を散らされることだ。

 『眼』に反応が出た。好意?違うな、そこまではいかない。好奇心、興味か?


「誰が何の目的でシュライト様を?」


「……」


 無言でナイフを構えて男が踏み出す。抜刀しナイフに合わせようとするが、刀を握った両腕の間から男の腕が僕の右肩を掴む。これだ、また意識を散らされた。

 男は肩を握った腕を僕の右腕に密着させ、肘を曲げる。つられて僕の肘も曲げられ刃を横に寝かされて、逆手に持ったナイフが視界の左上に光る。

 右肩を掴まれ逃げ場が無い僕は左足を踏み込み、横になった刀を左肩に担ぐような格好を取り、踏み込んだ足を伸ばして男の顎を狙うが、飛び退く男に蹴りを貰って無理矢理距離を空けられる。


(相手が組み打ち主体ならこちらもナイフの方が……いや、獲物を変えたら向こうの戦い方も変わるだけか。鉢金をしていれば少々無茶な戦い方もできたのに)


 悔やむが遅い。リュワも首都では目立たないように、できるだけ幽界に居てもらっているから物質界には顕現していない。


(僕の気が緩んでいたんだ)


 切り替える。捕縛も質問も無しだ。目の前の脅威を排除する事だけ考えろ。

 強くなってきた相手の興味を感じて『眼』を閉じる。余計な情報を減らして目の前に集中する。周囲が僕へと狭まって、身に収まると同時に弾けた。そこには僕と相手しか居ない。

 依然として怖さはあるが恐ろしさはたった今無くなった。僕の身体全体を視界に納めていた彼の眼の焦点が、僕の視線へと収束したからだ。

 

 暫し見合う。

 ゆらゆらと揺れていたナイフはぴたりと僕に狙いを定め、今までとは違う意思の切っ先は僕の胸を狙う。

 彼のナイフと踊るように動いていた僕の刀も、行き先が定まったかのように絡まる視線のすぐ下に置かれた。


 脱力したまま彼が寄る。腹を目掛けて突き入れるが半身になって躱される。密着する寸前に僕と彼の身体の間から切っ先が顎に向かってくる。仰け反りやり過ごすが、刃はそのまま首筋へと当てられる。刀の柄頭を彼の頭に叩き込み、再び距離をとった。

 僕の首にはうっすらと切り傷。僕も彼も無理な体勢だった為か、お互いに目立ったダメージは無い。


 注意力は相変わらず逸らされているが、眼に映る全てに反応するように訓練された身体が意識を補佐している。

 握る左右の手を入れ替えて、すっと剣先を引き脇構えに構えると、身を低くして飛び出す。右手を引き上げる。途中で軌道を無理矢理下へと変えて、半身の彼の右足首を狙う。

 彼が右足を上げる。ナイフを振りかぶり着地と同時に背中を刺しに来るつもりだったのだろう、しかし僕を見下ろす彼の目が見開かれる。 

 鞘を振った右手に一瞬遅れ、左手が握った刀が男の胴に吸い込まれる。左足一本で後ろに飛んだ彼は、両断こそ避けたものの腹から血を流して、地面に片膝をついた。


「……良い立会いでした」


 脂汗を流しているが、表情を変えない彼に言葉をかける。僕と彼しか居なくなったあの一瞬から、何故か彼に対する負の感情は綺麗さっぱり吹き飛んでいた。


「あなたは僕の先生に似ている。生きる術を教えてくれた先生に」


 痩せた身体に頬の傷を思い出し、兄さん先生も裏家業だったな、と思い出した。


「……光栄な、話だな」


 初めて聞いた彼の声は姿形と同じ、印象に残らない声だった。


「僕はシュライト家の護衛として雇われました。あなたに事情を聴かねばならないのでしょうが……」


 腹を押さえた手が真っ赤に染まり、おそらく内臓だろう物が顔を出している。忍びなかった。ゴダールや傭兵達とは違い、敵を討った高揚感や安堵感は無く、哀しみとも寂しさともつかない感情が達成感と交ざりあって心に広がっていた。


「最後に望む事はありませんか?」


 腹から手を離し、ナイフを鞘に収めて魔道具と共にこちらに渡してきた。


「エイクス、だ……無影と、呼ばれている……いた。公国に、行く事があれば……懐の袋を……トレカークの……薬屋に、届けてくれ……」


 頷く。


「承りました。お預かりいたします」


「……良い、立会いだった……フフ、仕事の、筈だったのだが、な……」


「介錯仕る。御首と御身体は丁重に弔わせていただく」


 エイクスが首を伸ばす。後ろに回ろうとした僕を止め、正面からと頼まれた。

 魔法で水を出し、刀身を清める。脇に構えて今度はしっかりと両手で握る。心を落ち着け目を合わせると、微かにエイクスの口の端が上がった気がした。




 魔法で血を止め腹と首を縫い、懐を探るとずっしり重い袋と共に、赤い蝶の印が入った一通の封筒が出てきた。ナイフと魔道具、袋は鞄に、封筒は懐に収めて遺体を担ぎ、歩き出す。リュワに誘導してもらって皆と合流する。シュライト家の馬車が到着していた。


「シュウ!無事で良かった……こいつ、騒ごうとしたから足折っといたわよ」


 とシノが言うが今は破落戸なんか見たくない。


「心配かけてゴメン。騒ぎを起こした二人は?」


「我々が取り押さえて暫くしてから市中警備隊が来ましてな。引き渡しましたぞ」


 隊長さんにドリスさんが続く。


「そのときに身分を明かしてな。家の馬車が御到着という訳だ」


「助かりました。彼の遺体を運びたいのですが、馬車に乗せるご許可をいただけませんか?」


 真剣な眼の僕に何か察してくれたのか、賊である彼の身体を真っ先に馬車に乗せてくれた。

 合掌して頭を垂れ眼を瞑った僕の瞼には、特徴も無く記憶に残り難い筈のエイクスの姿が鮮明に浮かんでいた

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