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夜中に目が覚める。
悪意のある気配はしないが、何か気になって起き上がる。
「シュウー、どうしたのー?」
部屋で寝入った僕が朝になる前に目を覚ますという、滅多に無いことにリュワが近づいて聞いてくる。
「どうしたんだろうねー、僕もわかんない。外かな?」
カーテンを開け、用心しながら窓を開ける。なんだろ?妙な雰囲気だ。妙なんだけど……
「リュワ、危険な存在が街に入り込んでるとかないよね?」
「ううんー、いないよー。街の中には人しかいないー」
それじゃ気にしても仕方ないか。人同士の揉め事だったらガルさん達の領分だし。僕もはっきりわからないものに睡眠時間を割く気はないしね。
「んー、気のせいみたい。ほんの少しだけどお酒飲まされたから、そのせいかも」
「いいなー。シュウー、僕も飲んだり食べたりしてみたいー」
「……難しい注文だね。頑張ってはみるけど」
窓とカーテンを閉め、横になりながらリュワとやり取り。次の身体のハードルがまた上がった。
僕に酒を飲ませようと企んだガルさんとデセットさんには雷が落ちていた。雷様は下で安眠中のはずだ。僕も寝よう。明日ギルドで魔物の事調べなきゃ。
あの後も睡眠が浅かったからか、ぐずぐずとお昼前に目を覚ます。
遅かったね、大丈夫?頭痛くない?とお酒が残ってないか心配してくれるアリーシャさん達に平気ですと挨拶を返し、ギルドへの道々リュワと話す。
(味覚かぁ。今の身体に仕込んだガラス玉や喉の革は上手く補助になってるから、そういうの仕込めば何とかなるかな?)
(ほんとにー!みんなニコニコしながら食べてるからー、僕もシュウと一緒にニコニコしてみたいー!!)
む、この願いは叶えてやらにゃイカン!!取り込んだ食べ物をどうするかとかいろいろ難題だけど、この嬉しそうな声を裏切る事はできない。
ギルドについて小部屋に入ると上にどうぞといつもの台詞。だがいつもの部屋はいつもの雰囲気ではなかった。
「昨夜、何者かが防壁を越えて街に侵入した」
ピリピリした空気を身に纏い、苦々しげにドリスさんが吐き出す。
どうしたんだろう、曲者の問題とはまた違った苦しさも持っているように感じる。
「それで昨夜はおかしな雰囲気が漂っていたのですか……賊の行方はわからないのですか?」
「うむ。警備隊に招集がかかって街中を捜索したのだが、杳として知れなかった」
ガルさん、飲んだ後走り回ったのか……大変だったろうな。
「左様ですか……自分にも何かお手伝いできる事があれば良いのですが」
「……では手伝ってもらおう。デッコー」
「はい」
デッコーさんが部屋を出て行く。
なんだ?捜索の手伝いならそう命じて終わりのはずだ。それにドリスさんが国を案じているにしても、ここまでピリピリしているのはおかしい。ドリスさんはギルド長であって、街の警備には関係ない立場のはずだし……
「今朝早く所属登録の申請があってな」
嫌な予感がする。
「年若い女性が受付に現れた。で状況が君によく似ていてな」
「……はい」
否が応にも予感が強くなる。
「私に審査がまわされた。そこで引っかかった。君とは違い、ある意図を持っていた」
「それは……」
僕が先行潜入、昨日の賊が本番と思われてる?
一瞬で最悪を覚悟する。
「ああ、勘違いするな。君には微塵も疑いは持っておらん」
余程顔に出ていたのだろう。ドリスさんの声が幾分優しかった。
「捕縛してここの牢に入れたのだが、持ち物を探るとこんなものを持っていてな」
幾つかの物品の最後に出てきた物を見て僕にお鉢が回ってきた意味を悟る。
「見知った物があるはずだ」
これは反りがあるから脇差か。
「国の物です」
ノックとデッコーさんの声にドリスさんが入れと答える。
着物ではなかった。服はこちらの物だが黒く長い髪と隠しきれない東方民の顔つきに、持ち物がこれなら決まりだろう。カムロの民が手枷足枷に猿轡、身体を縛られながらもキッとした目でこちらを見ていた。
「名はシノ。年は十六だそうだ。捕縛して間もないこともあってまだここの他には情報は回していない」
「自分にできるお手伝いとは……なんでしょうか?」
「今から詳しい尋問を始める。君には助言役を頼……いや、命じる」
猿轡だけ外されたが、心得ているのだろう。口は開かない。真一文字に結ばれて、歯を食いしばっているのか頬に力が篭っている。
彼女の尋問……恩人の娘の、尋問。
わかっていたんだ。逃げてるんだと。我を通すと決めていながら、秀の身体を譲り受けながら。
『気にする必要は無いから好きに生きるんだよ』
案内役の彼のこの言葉を、僕は都合の良いように捻じ曲げている。秀の素性を隠し、秀がその間際まで築き上げたものを、隠すように生きている。気にしない事と隠す事は違う。違うはずだ。追手の目を気にしてるフリをして、僕はあそこから始まる僕だけの人生を望んでしまっていたのだ。柵を捨て去ったつもりで。
ザックは僕とは違う人生だったが、僕の人生を生ききった。彼で無くてはできなかったとはいえ、僕と僕の両親に僕の人生を繋いで見せてくれたんだ。
昨日気付いたはずだ、知ってもらえればいいんだと。
勿論、話す人とタイミングは選ぶ。なによりまだ決心がついていない。カムロに……いや、藤守家に関する事柄には。でも話そう、知ってもらおう、この人には。僕と対等にじゃれ合ってくれる、動くぬいぐるみが大好きなドリスさんには。
「……彼女はシノ、藤井志乃と申す者です」
シノが目を見開いて僕を見る。ぱっと見ではわからなかったか。秀に最後に会ったの六年前だもんね。
お墓参りに行かなきゃな、と思いながら。彼女も連れて行くんだと決意しながら、深呼吸をして続く言葉を口にする。
「そして改めて自己紹介を。僕はシュウ、藤守秀と申します。こちら風に言えばシュウ・フジモリですか。カムロの港町、辰浜にて滅んだ藤守家の生き残りに御座います」
場の空気というよりは張り詰めた僕の精神状態のせいだろう。リュワが僕をじっと見ている。ドリスさんは僕の自己紹介を受け、額に手の平を押し付けてリュワを見ている。そして僕はドリスさんを。
「……シノは君の、シュウ・フジモリの個人的な知り合いか」
「はい。僕を命懸けで逃してくれた、命の恩人の娘です。懸けてくれた命は僕の目の前で散りました」
シノの顔が歪む。
「それで君の家は……いや。詮索はしないと言ったのは私だったな。今日の目的からも外れる」
そういったドリスさんに、僕は石板に手を置き話す。
「ありがとうございます。以前にも申し上げましたが、まだ僕自身の心が定まっておりません。その時が来ればお話いたします」
「わかった。焦らぬようにな」
白いままの石板を見ずにドリスさんは答えてくれた。
「では取調べを始めよう。向かいの部屋には言葉に出さずとも真偽のわかる魔道具がある。部屋を移るか?」
「少し、お待ちください」
そしてシノに向き直る。僕が見たあの光景に。案内役から聞いた藤守秀の過去に。
「……君の御父上は真に忠烈の士であった。船縁を掴み、押しやってくれた力強いその手と、最期に僕に向けてくれた笑顔を、僕は終生忘れる事はない」
シノの顔はさらに歪み、懸命に堪えている。あの人の娘だ、強いのだろう。僕なんかよりずっと。
「最期まで父と一緒に戦いたかっただろうに……それでも主君たる父の傍ではなく、僕と母を護ってくれた。力強く励ましながら、一緒に走ってくれた。その声も、逞しい背中も、僕の『魂』に深く刻まれている。君の、御父上は……真の……忠義を……ぼくたち、に……」
堪えきれず俯く。僕の膝と、滲む視界の端に見える枷がはまった足元にも水滴が落ちる。
ぐいと目元を拭い堪える。無理でも堪えろ!
「……君にも事情はあるのだろう。何がしかの使命をやり遂げねばならない事情が」
ドリスさんたちは息もせず見守ってくれている。
「シノ、君に問う。それは君の忠義を尽くすに値する使命なのか?」
頭を激しく横に振り、上げたシノのその顔は、表情こそ違えど最期に見たあの人の顔にそっくりだった。




