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その魂はザックという生を終えた魂であった。
くだらない言いがかりでも決して退かずにとことんまでやりあう、そんな事を繰り返し、挙句の果てにどうということの無い路地裏で、名も知らぬチンピラと誰の噂にも上らない喧嘩の果てに二束三文のナイフで命を絶たれた。街から街へ流れて妖を狩り、その地を守護する精霊に妖が掠め取った祝福を返す事を生業とした、何処にでもいる青年だった。
「いやいや、何処にでもはいないでしょ。妖怪ハンターじゃないですか!」
「まぁ、そういう世界もあるんだよ。あるんだよというか、地球も色々な可能性の一つだという話でね。輪廻は固定された世界で廻ってるんじゃないんだ」
「……」
「地球にもあるでしょ?異次元、パラレルワールド、そういう話。知覚できないから無いってのは思考の硬直だと思うんだ」
もうそういうものだと無理やり納得する事にした。
「そうそう、それが良いよ。で、君のこれからの話なんだけどね。彼の人生をここで見てもらう。そして知ってもらう」
「知ってもらう?」
「そう、君の身体で君と違う生き方をする彼の人生を。時間は気にしなくていいし、気にならないと思う。長い時を一瞬で見て、刹那の感情を無限に感じる事になる」
そう言って案内役の彼はテレビのスイッチを入れる。そこからは時間が無秩序に流れ始めた。行き、戻り、捩れ、掠れたと思えば濁りながら光った。
その中で生き返ったザックを見ていた。
飛び降りからの怪我が癒えてからも、いじめを繰り返そうとする奴らの要求に否の意志を貫いた。
くだらない言いがかりは取り合わず、行き過ぎた暴言には不快だとはっきり言い、避けようも無い場合だけ応戦していた。
顔が腫れ上がった奴らが違うターゲットを見つけても、そいつの代わりに、あるいはそいつと一緒に吼えていた。
最初は僕の変わり様に戸惑っていた懐かしい両親も、僕に向ける時と同じ顔で僕の成長を見守っていた。
学年を重ね、高校へ行っても変わらず……いや、周囲に集う友人は年を重ねるごとに増えていた。
ある時などは二人の女の子に困ったような照れたような表情を浮かべていた。その手に手紙を握って。
友人と笑い、恋人と手を繋ぎ、口いっぱいに頬張った料理はいつしか両親から彼女、妻の手料理になっていた。
子供を抱いていた。
悪戯を叱っていた。
兄妹の頭を撫でていた。
校門で家族の写真を撮っていた。
かつて彼が抱いていた兄妹がそれぞれの子供を抱いていた。
戸惑いながら孫を抱いた瞬間にこれ以上ない笑顔になっていた。
病院で泣いていた。奥さんと一緒に。
翌日からは笑っていた。時々一人、辛そうにしていたけれど。
子供と孫に囲まれて、白い部屋の白いベッドで笑っていた。
奥さんの手を握り、周りを見回し、涙を流す家族にありがとうと告げ、彼の五十二年と、僕とは違う僕の六十六年に終わりが来た。
その人生は沢山の人の中に残り、この先残った人々の生きて往く力になるんだろう。
「そうだね、君もその内の一人になるんじゃないかな?」
止まらない涙を流れるに任せ、強く抱えた膝に顔を埋めて、良かった、良かったと不明瞭な言葉が口を衝く。
画面にはそれぞれ前を向き、生きて往く修の家族が映っている。
「落ち着いたら隣の部屋においで」
何度も目元をこすった袖がこれ以上水を吸えなくなった辺りで襖を開けて部屋を移った。
そこに見知らぬ人が居た。
「よお、初めましてだな。修、ありがとな。お前のおかげであいつらにありがとうって言えたよ」
再び涙が出そうになるが、なんとか堪える。
「初めまして、ザック……いや、君こそが修なのかな?ありがとう。いろいろ教えてくれて」
「修はお前だろ?俺は名前借りただけだよ。まぁ、お互い良い事あったんなら万々歳だな。んじゃ、俺はちょっくら手続きあるからまた後でな」
そう言い残してザックは外へと出て行った。案内役が口を開く。
「うん、魂の歪みは取れたみたいだね」
「もう?緩やかに治すんじゃなかったの?」
「十四年分の歪みだからね、五十二年もあれば治るよ。さて、彼のクセも治ったようだし、君のこれからの話をしよう」
彼の眼を見て頷きで返事を返すと、優しい笑顔で頷き返してくれた。
「君もザックと同じように記憶を保持したままで生き返ってもらう。今までと違う人生を歩んでもらう事で、魂に刻まれているクセを消してもらうんだ。重要な事は何か、知ったね?彼の生き方、見てたよね?」
「受け流して、跳ね返して、大事な物は抱えて離さない。渡さない」
「うんうん、他にもいろいろ言葉にできない事も刻まれてるようだね。では次の生について説明しよう」
「地球じゃないんだよね?」
「だね、劇的な環境の変化も矯正過程の一つだから……君には剣と魔法の世界に行ってもらおう。好きでしょ?」
一時期読み耽っていた。逃避先にその手の物語に没頭していた。逃避したところで寝て起きたら現実が待ち構えてたから、そのうち虚しくなって離れたが。
「んじゃ、話を続けるね。極東に位置する国のとある武家の若君、年は十四だね。勢力争いの相手に不意をつかれ襲われた家から若君と奥方を逃がして頭領は討たれた、と。港町に居を構えてたんだけど、港の小船に若君と荷物を押し込んだ所で追手に追いつかれ、護衛と奥方は船を海へと押しやってそこで幕を閉じた」
「それ……結構恨み骨髄な状況じゃ……」
「まぁね。んで、船に矢を射掛けられて結構な深手を負って、気絶。そのまま息を引き取った。追手もかかったけど、潮の流れであらぬほうに小船が流れて、追手の目とは逆方向の大陸へと流れ着くまでもう少しって所かな」
「海の上何日もって、その……御遺体は傷んでないの?」
「その辺りは融通利かせてあるよ。息引き取ってから大陸に流れ着くまですぐみたいだし」
「若君の魂はなんて?さっきも言ったけど胸に秘するものもあるんじゃ?」
「こっちで頭領、父君だね、と奥方様とお会いになられてね。武家の栄衰は世の定め、御家を気にする必要も無くなって親子三人過ごせるならばそれはそれで、という事になったみたい」
「僕はお願いする立場だから是も非もないよ。ただ……」
「なんだい?」
「御三方の最後を見せてくれませんか?」
少し考えた後で彼は見せてくれた。さっきと同じテレビで見た最期は、ザックの時とは違う涙が溢れた。
「これが事実ではあるけど、君がそれを気にかける必要は無いからね。君は君の決意だけを胸に生きて往けば良いんだ」
「……分かった。彼の身体を譲り受けます。若様の名は?」
「シュウ。名前といい、齢といいこれも縁ってやつだね」
「なんかどころではない作為的なものを感じるんですが」
「選べる範囲内で善処した結果だよ。数多ある世界の中でこれくらいは偶然とも言えないさ」
彼が言うとまぁそうなんだろうなと感じる。冷たかった前世の周囲に慣れていたから、優しく接してくれる彼を見誤ってるのかもしれないけれど。
「じゃ、決まった所で出発までの予定を言っておくね。君の体感で三年間、準備に充ててもらいます。こっちとあっちで時間の流れを意図的にずらせるからそこは気にする必要ないからね」
「へ?そうなの?」
「ちょっと前に時間のうねりっぽいの感じたでしょ?」
そういえば、あれで時間の感覚を意識外にもっていかれたんだっけ。体感で三年って言ってるし、実際は違うのだろう。もうそういう納得の仕方しかできないな、ここでは。
「で、準備なんだけど、生きていく術を身につけてもらいます。武術の先生も呼んでるし、食料の確保なんかも知識がないとなんともできないし」
「剣の方は了解したけど、魔法は?」
「基礎はこっちで、実践は向こうで頼むよ。下手に魔法使うと、原理が違っててもここに影響がでないとも限らないからね」
「わかった。よろしくお願いします」
返事をすると何人かの魂を紹介されて、そのまま三年間の訓練へと雪崩れ込んだ。
白髪頭で面長の爺様からは剣術を、痩身で頬に傷がある男性からは生きていく知識を、人の良さそうな中年の御婦人からは魔法の基礎という名の精神修養を。
その他、向こうの言葉の読み書き礼儀等々をあれこれと三年間、みっちりと叩き込まれた。