11
遠目に見える防壁からヒューエンさんが駆け戻ってくる。リースとルガーは少し羨ましそうだ。御者席に座る僕に近寄り小声で囁く。
「先触れを出しておきました。このまま進んで通常通りに手続きを頼みます」
流石に門番は顔を知っているかもしれないという事で、僕達全員が知っているもしくは気付いている、貴族という身分を隠して忍びの旅だ、騒いでくれるなよ、という先触れだ。当然マイアさんも全員に知られている事を知っている。知っていながら最近は『婆ちゃん』『お婆様』と呼び名が定着した二人の接し方に顔を綻ばせている。妙に畏まられたくないから、という当初の理由は気にしなくても良い状況だ。
「もう、しなくても良い御苦労なんじゃないですか?」
そう言いつつも、楽しいんだろうな、と思う。人の頭頂部ではなく目を見て話せる事が、お婆ちゃんと呼ばれても周囲から叱責の言葉がない事が、懐の財布から代金を払える事が。
「主のためだ。しなくて良い苦労など無いさ」
何の打算も無い、ただ楽しい、嬉しいという屈託の無い主の顔を見る事が。
しかし、騎士達の表情はじきに引き攣る。
「おや、これは見事ですわ」
「お目が高い!ここまでの大玉は滅多に出ません。こちらとしてもここまでの物となれば、取引の相手には気を使いますので……」
「そうでしょうね、ここまで本物に似せた物ならば、小銭を握った節穴に売るのは惜しいでしょう」
並み居る店主をばったばったとなぎ倒し、懐ならぬ店の奥から値打ち物を引き摺り出す。手傷を負った強敵達に突きつける要求は苛烈を極め、用は済んだと向けた背は、がっくりと膝を突いた相手との格の違いを見せ付けた。財布という檻から解き放たれた金子が新しい主にすぐに懐くのだけが救いだ。
「あ、あの、お婆様。お気持ちは嬉しいのですが、分不相応な装飾品は……」
「いけません。女と生まれたからには着飾らなくてどうします。特にシノちゃん!」
「わ、私?ですか?」
「稼ぐ旦那様をお持ちなのです。ねだる事は悪ではありません。ただ物欲を満たす手段ではなく、常は一歩引く妻と夫が対等に駆け引きできる手段の一つなのです。これはコミュニケーションなのですよ?恋人間、夫婦間に緊張感を取り戻すための!」
男にしてみれば無用な緊張感だ。これはガルさんも賛成してくれる。絶対に。僕達は安らぎが欲しいんだ!
敵陣に飛び交う伝令も、身形のいい旅行者が来た、からどうやら金を持っているらしい、に変わるが最終的には、討ち死にしたくなけりゃ目を合わすな、という認識に統一されたようだ。それを敏感に感じ取ったこちらの総大将から指示がでた。
「私達の買い物は打ち止めですね。ここからは一歩下がって殿方の買い物へと付き従いましょう」
奴が敵じゃなくて良かったぜ、どころではない。敵だろうが味方だろうが恐ろしい人は恐ろしいと認識を改めるリュワを除く男性陣。がちがちに固められた城砦への突撃命令を受けた僕達に出来ることは、門の前で無駄な挑発を繰り返す、すなわちウインドウショッピングだけだった。
それでも多少の買い物はしなければならない。リュワの御眼鏡に適った食べ物は勿論だが、リュワの剣も買った。槍角魚の加工は勿論、この面子では例え作っても装備品とは出来ない。それどころか王国にもギルドはないのだから、目撃者全員を消す場面でしか使えない。
「私の小さな騎士に相応の武器をお願いいたします、お師匠殿」
と申されれば、はいと答えることしか出来ない。僕は膝を着いてマイアさんの背を見上げるのは御免だ。
おじさんみたいのが良い!と元気に答えたリュワに今度はトワイスさんとヒューエンさんの顔が綻ぶ。完全に身構えた武器屋の主に二人がかりで進んでいくその姿は、敵わぬと知りつつも竜にと剣を向ける御伽噺の騎士の姿。と言いたいが、所詮財布は僕の懐だ。すなわち戦うのも僕だ。長さと重量バランスを確かめた三人がにっこりと振り向いたのを合図に、僕の孤独な戦いが始まった。
「たった銀貨二枚とは情けない。シュウ君、家を束ねる長とあらば交渉事もまた大事ですよ」
「……精進いたします」
あれだな。豪傑の部下ってこんな感じなんだろうな。細かい戦功を拾うしかないのに報告したら、俺の部下の癖にそんな小さい功を誇るんじゃねぇ!と叱られる感じ。やってられない。
数日の滞在は騒がしく、多数の笑顔を巻き込みながら過ぎる。風呂で磨かれるシノとニム。服屋でマネキンと化す僕とリュワ。早朝はトワイスさんとヒューエンさんが仰向けに荒い息を吐き、夜は演奏の合間に嬉しそうな拍手が部屋に響く。ひらたく言えば目立っていた。
「状況はどうだ?」
「同速で着いて来てますね」
(シュウー、引っかかったー。十人くらいー)
「ん、並んだわね」
(全部でー、二十五人ー。薄いのがー、八人ー)
ここまでおおっぴらには魔法は使ってこなかった。今も顕現している遮音結界含め、補助的なものがせいぜいだ。しかし、この気配の薄さ……八人は手段を選ばず目的を遂げることだけを考える人達だ。こちらもそれ相応の心積もりで立ち向かわなければならないだろう。
「リュワ、ニムはマイアさんの周囲を。僕とシノは片付けにいくよ。トワイスさんとヒューエンさんは今の位置で漏れてきた奴らをお願いします。合図はコレで」
街を出た時にニムに矢を一本借りた。暇な御者の手遊びを装い、くるくるとスティック回しの要領で僕の手で踊る矢を視線で示す。ごめんなさいと口にしつつも目がきらきらしているマイアさんに答える。
「お気に病む必要はございません。こういう時のための護衛であり、貴方の騎士です。だろう?リュワ」
「うんー!」
元気な返事を背に、馬車の速度を落として手綱を放して伸びをする。相手の交戦想定位置までこのまま出向く気はない。上へと伸びた手に握った矢が掻き消えて、右手の林から呻き声が上がった時には、僕とシノは左右の木立へと飛び出していた。今頃ニムの腰からは四本の矢がそれぞれの気配に向かっている事だろう。
馬車の後方に四人、左右にそれぞれ三人。左右の六人のうちの気配の濃い二人は通してもかまわないだろう。勿論ただでは通さないが。
「くっ、雇われの護衛か!騎士の腕をなめ」
白刃の峰をヘルメットに叩きつけて鈍い音を立てる。一瞬こちらに気を向けたな?蹴倒して補足した気配に向かう。木の上、弓での狙撃か?足元に魔力を顕現させて跳ねる。弓の弦を黒刃で切り、間髪いれず袈裟に振るった白刃が防御に上げた腕と右の腿を深く切り裂き、賊が足をかけていた枝を払う。成す術なく落ちた賊を尻目に、やや後方で極限まで薄まった気配に向かう。身を隠して不意を狙っているんだろうけど、そうはさせない。こちらは完全に気配を断って、白刃を腰に戻す。やがて喉から血を噴出した死体を作って、馬車の前方で待ち構える集団の後方へと向かった。
(シノ、こっちの裏は片付いたよ)
(こっちは裏も表も片付いたわ。シュウの矢を受けたのを入れれば三人)
(リュワ、そっちは?)
(ヒューエンさんがー、シュウの方からー、出てきたのをー、やっつけたよー)
(じゃ、僕とシノはこのまま奴等の後ろに出るからね。トワイスさん達にそう伝えてね)
一応陣形らしいものを組んでいる十五人を確認する。こちらは弓は居ないようだ。おそらく裏に任せる手筈なんだろう。下手に得物を見せて標的の周囲を固められては仕損じると思ったのかな?
ガラガラと周る車輪の音が聞こえ始めて彼らの緊張が増す。やがて姿を見せた馬車に荒げた声を浴びせた。
「マイア・ウェンフォージ!!おとなしく投降しろ!先の短いその命、我等が有効に使ってやる!」
「名も名乗れぬ輩が我が主の御名を呼び捨てとは、覚悟は出来ておるのだろうな!」
答えるトワイスさんの他にヒューエンさんしか護衛は無しと見たか、声が嘲りを含んだものになる。
「ふん、その人数で何ができる!すでに囲まれているとも知らずに!やれ!」
……まぁ、これで残す人は目星がついた。こっちも幕引きに動きますか。
シノとタイミングを合わせて飛び出し、走り始めた最後尾から切り伏せていく。馬車からは矢と一緒にリュワが飛び出して短めの剣の試し切りと受けては斬っていく。指示のためにその場を動かなかった部隊長は僕とシノに捕らえられた。
「あれ、捕虜が三人ですか?」
「元領主代理殿はだいぶ強情のようでな」
「ああ、それで。では僕も御手伝いいたしましょう」
マイアさんから離れた木立の中でトワイスさんと僕で繋がれた三人の前に立つ。
「さて、どこの手の者か吐いてもらおうか」
「……」
「では、三人居ますし、こうしましょうか。一人目の貴方、チャンスは一度です。二人目の貴方、貴方は三回。三人目、隊長さんは制限無しです。まず一人目から。所属は?」
「……」
睨む顔の直上に白刃を落とす。目の前で弾けた赤い塊に他の二人が青くなる。僕だってあの日の涙を見ているんだ。幸せだと、馬車の中で言ったマイアさんを、その幸せな思い出を、たかが貴族の権力争いのために役に立ててやるだと?
「では次にいきましょう。二人目、所属は?」
主が如何程の利益を得る心算か知らないけれど、割りに合う報酬が貰える心算なら黙っているがいいさ。篭手をつけたまま握り締めた拳から中指が顔を出す。一応結界も張ろうか。
「トワイスさん、よく見ていてくださいね。急所を打ち抜くとこうなります」
人中に拳が吸い込まれる。折れた前歯を吹き出しながら歪な悲鳴が結界の中に轟いた。縛られたままで転げまわりながら質問に悲鳴で返す二人目を二度、急所をついて黙らせた後で隊長さんに近づく。
「さて、隊長さんは無制限です。頑張ってくださいね?」
青褪めて返事を返せない隊長さんの手の縄を解き、左の親指から爪を縦に割る。問いかけに答えないからですよ。そう告げて続いた質問に、部下の目を気にしなくて良くなった隊長さんは素直に情報を吐いてくれた。
戻った僕に声がかかる。
「シュウ君、ご苦労様。トワイスを筆頭に私の騎士達は優秀ね」
篭手の血をぬぐって答える。
「ええ、リュワもニムも僕達の弟子ですから。御期待には背きません」
「貴方もよ、シュウ君。大丈夫。私とシノちゃんの騎士の腕は、隠せないほど太くて逞しいわ」
背を向けて装備品の手入れを続ける僕の右肩に、誰かの手が置かれた。