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「シュウ殿とシノ殿ですね、初めまして。マイアと申します」
「これは御丁寧に。リュワとニムの保護者でシュウとシノと申します。なにやら子供達に良くしていただいているそうで、こちらから御挨拶に出向くべきを、御足労いただいて申し訳ありません」
先日の一件の直後、正式に面会したいと申し出があった。こちらの条件は初対面としてなら、向こうの条件は貴族の身分を伏せて、という事だった。リュワとニムには仲間との秘密があるからだし、マイアさんは貴族と知れて子供達に畏まられたくないからだ、と。宿の庭にまだ融けずに残っている城の雪像を自慢する子供達に相好を崩して接している。
昨夜、領主館に本物の当代伯爵様が到着し、その表情と何より隊列を成さずに街に雪崩れ込んだ護衛の騎士隊の様子に、街では噂が飛び交っていた。先代奥方様は公務の付き添いでこの街に来たのは若い頃に一度だけ、ということで顔を良く知る住人はおらず、子供達に会いに来るのにさしたる支障はないようだった。
「シュウがー、たくさんー、美味しい物知ってるんだー。それでー、シノがー、美味しい物をー、いっぱい作ってくれるー!」
「兄ちゃん、そうなのかよー!俺達も食べてみてー!」
「……シノ、生地とチーズにトマト、香草はまだある?」
「あるけど……この時間じゃ食事になっちゃうわよ?マイアさんのお口に合うかしら?食べ方も手で直接だし……」
「お気になさらずに。私もリュワ君の言う美味しい物、食べてみたいわ」
子供達の視線の圧力に負けてシノと二人で厨房を借りに行く。子供達はマイアさんに纏わりついて話をせがんでいた。僕もあの日の涙とそれに続く話を聞いてみたかったが、先頭さん……トワイスさんから、先代様が先月亡くなられた、と聞き、おおよその予想はついた。リュワとニム達の秘密の事でもあるし、もう大丈夫だと思うが万が一にも再び陰が差してはいけないと控えた。
薄生地のピザをこれでもかと焼き、一つは宿の女将さんに進呈してから僕達の部屋へと運ぶ。友達が出来たからと広い部屋に移っておいて良かったよ。
「シュウもシノもー、強いしー、格好良いんだー!」
「何度聞いてもそうは見えないんだよなー。姉ちゃんはともかく、兄ちゃんはさー……」
扉を開ける前に漏れ聞こえた会話に思わず笑ってしまった僕をシノが睨む。
「今度私にもあの握り方教えてね?」
「いや、手を傷めやすいから……」
「教えてね」
「はい……」
部屋の中に香ばしい匂いが充満し、トワイスさんもリュワと競うように口と手を動かしている。確実に負けますよ?
余ったら御家族に持たせようと考えていた量があれよと無くなり、栄養補給した子供達のエネルギーは外へと向かう。マイアさんは僕達と話があるから、と部屋に残った。
「旅の身とお聞きしましたけれど、ここからどちらへ?」
「はい、東に向かおうかと思っております」
「ほう、目的はあるのか?」
「先日武器屋で珍しい武器を拝見しまして、聞けば東の物だとか。武芸者として興味があります」
良かった、趣味全開の店に行っておいて。言い訳には完璧だ。何よりカレーが呼んでいる。ハヤシもある……のか?
「あら、良いわね。私も御一緒したいですわ。お邪魔じゃなければ良いかしら?」
「奥様!!!」
とんでもない事言い出したマイアさんに、領主館の騒ぎですら平然としていたトワイスさんの声のトーンが上がる。季節は冬、御年を召した方に旅は辛いだろう、と思うが言えない。もう裁きの場は御免だ。
「何処の者とも知れぬ者と一緒とあっては不味いお立場では?」
「左様、不味いですぞ!」
「ようやく自由の身になれたのです。前王陛下に倣ったところでどこからも文句は出ませんわ」
「昨夜、一番文句が出そうな御方が御到着になったと聞きましたが」
「左様、文句は出ますぞ!」
「あのような者を代理に任命したのです。文句があるのは貴方達でしょう」
しばらく問答してうっすら判ってきた。ああ、これは生半可な事では意を変えない人だ。そういう人をたくさん知ってるから僕では無理なんだろうな、と突然静かになったトワイスさんに視線を投げるが、
「しかし……おそらく西の侯爵の思惑だろうし……王都に行けばあの御方に御力添えも頼めるか……腕利きと一緒なら危険も少ない……」
なにやらメリットばかりがぶつぶつと口をついている。王国さん家に寄ってカレーの情報を仕入れてから向かおうと思っていたのだが……最悪、王都で一度引き返す羽目なるのかな、と考えてはたと我に返る。なんで僕は同行を前提に考えているんだ?
顔を上げた僕にシノが呆れた顔を、マイアさんが笑顔を、トワイスさんが真剣な顔を、それぞれ向けていた。
それから数日は慌しかった。マイアさんの身元は内緒なので僕達が新たに馬車を仕立てての道行きと決まった。内緒とはいえ、高貴な御方の乗る馬車だ。領主館の鍛冶場というか、武器防具の整備場所を借りて、枚数の少ない変わりに分厚い鋼板で急ごしらえのサスペンションを作り、振動を軽減する。公国での馬車には及ばないが、人の目を気にしながらの短時間仕事では仕方が無い。
合間に当代伯爵様からの詫びを受け、護衛の腕を見せてくれという要請で、護衛騎士の腕利きと模擬試合もした。刃にカバーをつけた白刃と黒刃は、一人目の剣を受け流し、二人目の槍を捌ききった。賊の体に残された中指一本拳による点穴の痣を尋ねられたが、秘伝です、の一言で通した。下手に真似されて手を傷める騎士続出なんて目も当てられない。
その間もリュワとニムは元気にお子様団と友情を深め、リュワにとってはアレスト以外ではこの街が一番詳しい街となった。ニムはおそらくトレカークよりもここの方が詳しいだろう。
「シュウ様、出立はいつ頃ですの?」
「んー、この分では五日後の出発になるるけど……どうしたの?」
表情のあまり変わらないニムの顔が曇っている。
「なんと言うか……その……嫌ではないのですけれど、嫌と言うか……」
「ニム、それはね、寂しいっていう気持ちよ。戸惑わなくても大丈夫。大事なものなの。お友達と楽しく遊んだ、その証拠みたいなものだから」
「楽しいとこういう気持ちになるんですの?今までにそんな事はありませんでしたの」
「んー……楽しい時の終わりを感じた時、かな?」
「そうだね、トレドさんの時はいきなりだったしね」
そのやりとりでトレドさんを思い出したのか、考え込んだニムはどこか納得したようだった。
「確かに、あの時もここまででは無かったですけど、何か似たような気持ちだったような……」
「トレドさんともここの皆とも、また会えるよ。それに皆だってきっとニムと同じ気持ちさ」
「そうですの?……そう考えると嬉しいような、これもなんと言っていいのかわかりませんの」
シノが優しくニムを抱きしめて話を続けていた。こういう時は断定しがちな男性よりも、気持ちに寄り添ってくれる女性の方が適任だろう。
そして時間は早まる事も遅れる事もなく過ぎる。ようやく細部が曖昧になり始めた雪像の前で、旅立つ者達と見送る者達が向かい合い、口々に約束を交わす。
この街と同じ名を持った過去の聖人、ミュゼスは、大切な友人の旅立ちにおいて、笑顔で見送ったと言う。また会えるという喜びが笑顔にさせたのだと人は言う。大事を成した友の帰還を、涙で出迎えたのは、また会えたと言う喜びが涙を流させたのだと。
リュワとニムの友達は、笑って見送ってくれた。リュワもニムも笑って手を振った。たとえその視界が歪んで相手の顔も滲んで流れていたとしても、彼らは間違いなく笑って、またな、と閊えながらもそう言い合っていた。
見えている景色だけは、あの日僕が見た景色と同じなんだろうな、と羨ましく思いながら、リュワもエアと同じにしてあげようと、固く心に誓った。




