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街の名とカレーという単語をぶつぶつと繰り返しながら歩く僕を、シノは半ば呆れて放っておく事にしてくれたようだ。
(ライスはあるのか?無ければカムロからの帰りにも寄ろう……うどんはどうだ?最悪パスタでもかまうものか……そうか、英国風、というか日本風のカレーではない可能性の方が高いな……どこかで基本的なスパイスの調合だけでも学んで、後は配合を……ギィを用いるのが英国風なんだっけ?……くそ、カレー粉しか知らない自分が歯がゆい)
と、カレーの事しか考えていなかった頭の隅にふと疑問が過ぎる。
「待て……さっきの話じゃ公爵に対する評価は人によるだろうが、悪感情ばかりではなさそうな話し振りだった」
不意に自分でもついていけそうな話題に変わった事で、シノもこちらに顔を向けて同意する。
「そうね、割合は判らないけど……公爵領の窮状の裏側までが噂になってる事を考えてみても、良感情の方が多いくらいかな、と思えるわね」
「なら何故公爵は国を出た?あくまで王の立場にこだわったからか?」
「それは、担いだ人達が……あれ?」
「追従する貴族は少なかった、さっきの話のこの部分が間違ってるのか?」
王家から公爵家を興したのは、まだこの大陸統一前だ。王家の出の武闘派の公爵、前線でこれほど指揮に向いた人物が他に居るだろうか。その後の南征で戦の腕は証明されているし、それ相応の実績が無ければ継承候補に推されたりはしない。継承権、というものがあるのだから。
「なにより、争った相手が冗談めかしてではあるだろうけど褒めるような言葉を発しているんだ。それとも当時は居心地が悪かった、というのかな?」
「それなら爵位を得る前に出奔するんじゃないかしら?授爵したという事は、王に忠誠を誓ったという事なのだから……」
「……連合で聞いた公王の人物像では腑に落ちない点が多すぎる」
「負けた人間が再起を誓って、勝った人間が厄介払いに、なんていう単純な話じゃなさそうね」
「カムロとは関係ないけど、気になるな……ん?」
と、いつの間にか立ち止まって言葉を交わしていた僕達の視界の隅を小さな影が過ぎる。薄まってはいるけど良く知る気配と指輪の反応。だけど数が合わない。僕達の仲間にも、北国お子様団にもお婆さんは居なかったはずだ。上品そうなそのお婆さんの手をニムが握り、リュワは露払いする騎士のごとく前を歩いている。お婆さんの顔にはどこか陰があるものの、自分を囲む小さな背中と手に微笑を浮かべている。その跡を尾ける気配もどこか優しげだ。
(リュワ、そのお婆さんは?)
(あ、シュウー。んーっと、えーっと……友達になったんだー)
(今日はミリアのお家で遊ぶんじゃなかったかしら?みんなは?)
(みんなも居ますの。すいません、これ以上は内緒にしないとですの……)
お子様団の仲間じゃないと入っちゃいけない領域が形成されているようだ。シノがなおも聞き出そうとするのをとめて、街歩きを続けるなら気をつけるんだよ、と念話を終わる。僕にはそういう思い出は少ないけど、無いわけじゃない。おそらく聞き出せば内緒にするような事じゃないだろう。保護者としては何故言わないんだ?と不思議に思う事なんだろう。でも、最初に『内緒だぞ!』という一言があれば、それは守らなくちゃいけない。仲間との鉄の掟が繋がりを太くし、顔と名と、思い出を心の奥深くに刻みつける。
「シノも覚えがあるでしょ?」
「……そうね、シュウはリュワより小さかったわね」
思い出話をしながら見ていると、他の団員が寄ってきて、あっちだぞ、と行方が決まったようだ。
僕達は仲間には入れないけど、見かけた保護者としては放っては置けない。リュワとニムだけならともかく、他のお子様団員達は身を守る術を持っていないのだから。てんでばらばらに行動をするわけではないようなので、気配を薄めて僕達もついていく事にした。跡を尾ける気配に近づいてみると、中年から初老に移ろうかという男性を先頭に三人、平服に帯剣姿の護衛と思しき集団。その目にはお婆さんと同じく温かい光を宿している。剣の間合いから距離を置いて話しかける。
「声をかける無礼をお許しください。御婦人の護衛の方々とお見受けしました」
少し気配が硬くなり、鞘を握った先頭の男性から返答があった。
「何者か」
「は、御婦人と同行の栄誉を賜った子供達の保護者でシュウと申します。こちらはシノ。武芸者として旅をしております」
「む、幼子の……子供達だけで街に放り出すとは、あまり感心できんな」
「お叱りは御尤もです。保護者とはいえ、まだまだ我々にも分別が足りませんでした」
「まぁ、子供とは思えぬ腕を持っておるようであるが……人の欲は腕ではなく心の隙をついてくる。忘れない事だ。で?」
「ご忠告ありがとうございます。差し支えなければ御立場と御名をお聞かせ願えませんでしょうか?」
「……すまぬが忍びの身だ」
「では、相応の御立場の方々、と理解しておきます」
僕達の物腰で気配は元の優しいものに戻った。この集団の気配は。
「お気づきかもしれませんが、四つほど、囲む様に散開している存在がおります。御味方とは思えぬ気配。我々にも露払いの栄誉をお許し願えませんか?」
散った四つと固まった三人、洩れた一人が仕事をする時間は十分あるだろう。それがリュワやニムに向かえば安心だが、他の子に向かえばもしやがあるかもしれない。先ほどお叱りを受けたし、それを許しては良くしてくれている親御さん達に顔向けが出来ない。あの夕食や団欒が冷え込む事など絶対にあってはならない。
「君達を信用できるだけの根拠が無い」
「……シノ、すまないけど君の持ち物をすべて方々に渡してくれ」
「わかったわ。私が質になります。不手際があればお裁きも後ほどいただきます」
「彼女は僕の婚約者です。事が収まった後で咎があれば、僕の身に受けましょう」
視線の先にはお婆さんと言葉を交わす子供達。リュワもニムも周囲の状況は把握出来ているはずだ。やろうと思えば容易く制圧できるだろう。でも、今は楽しい冒険の時間だ。友達と笑いあってわくわくして、一緒に何かを見つける時間なんだ。そこに血が混じっていい時間じゃない。
僕の言葉に先頭の男性が折れてくれた。
「では力を借りるとしよう。一人付ける。気取られぬように頼む」
ついと僕の横に騎士が一人移動する。接触してからここまで気配の数は三つに偽装してある。僕ともう一人の気配を消してシノの気配が戻れば数は三つのままだ。害意の先は御婦人を中心とした集団に向いている。動きも慌しいものではない。まだ気づかれては居ないだろう。
「すぐに戻ってまいります」
鞄から篭手を出して装備する。流石に街中で首を飛ばすのはまずい。拝ませ屋の復活だな。
一つ二つと害意を排除していく。路地の陰のそのまた裏から僕の腕が獲物を見つめる目と口を塞ぎ、そのまま意識を闇へと沈めさせる。路地裏に大の字に寝そべり、胸で手を組んだその姿は拝んでるって言うより、召されたっぽい格好だけど。三人目は少し腕が立ち、顔を見られたがそれだけで済んだ。足と肋骨を折って昏倒させる。四人目も片付けてシノの気配を頼りに合流する頃には、連れの騎士の表情が驚きから一定の敬意を持ったものになっていた。
「お帰りなさい」
「ただいま。子供達は?」
「ふふ、はしゃいでるわよ」
お互いの無事の確認をしない僕達に先頭の男性が話しかけてきた。
「もう全部片付けたのか?」
「はい、一応四人分の懐の中身はこれですが……身元が判りそうな物は持ち合わせてはいないようです」
引き換えに預けた荷物を返してもらいながら、ではこれで、と暇を告げると僕の監視についた騎士から声がかかった。
「どうせ貴殿達も見届けるのであろう?もう何も無いとも言い切れぬし、一緒に行こう」
僕達にも友達とまではいかないが、知り合いが出来たかな?




