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豪雪地帯、というわけではなかったようで、雪靴は出番をブーツに譲って鞄の中へと引っ込んだ。とはいえ滞在中に地面が見える日はなく、白い世界で遊ぶお子様団は嬉しそうだ。リュワとニムも友達を得て、僕とシノとの別行動となる日も増えていた。一度どのくらい離れても大丈夫か慎重に確かめてみたところ、街中であれば平気そうだったので、友達の家に二人して出かけることもあった。
(初めの頃よりー、離れても大丈夫みたいー)
そう明瞭に届いた念話に、リュワの世界が広がってるからかな、となんとなく感じた。
(ちょっとー、寂しいというかー、変な気持ちー……)
続いた念話に僕も変な気持ちになった。そう思ってくれてるのが嬉しいというかなんというか……親離れ子離れってやつかな、とシノに言ったら笑われた。よくよく考えれば僕達だってまだ子供といっていい年齢だ。少なくとも前生では。
「変に擦れてると兄上に勘繰られるわよ?」
「う……」
笑いを堪えてそう口にするシノになんともいえない呻きを返して街歩きに気を戻す。店の主には気の良い人が多く、買い物が少ない僕達との会話にもにこやかに応じてくれた。冷やかしと見るや舌打ちをされた公国の武器屋に爪の垢を進呈したい。
「先代様は元気な方だとのお話は聞き及んでいますが、そこまでとは」
「ああ、引退した騎士団長と一緒に、王都周辺ではあるが狩りだ物見だと動き回ってるらしいぜ」
「確か御年は……」
「そろそろ八十に御成りじゃねぇかな?五年前に治世をお譲りになった時に『我も一つ、国でも成そうか』と仰られた時は側近が慌てて諌めたってぇ話だ」
その冗談を真に受けたどこぞの太鼓持ちが逸ってカムロにちょっかいかけてんじゃないだろうな。
「へぇ……おや、この剣は反りがあるんですね」
「ああ、そりゃ王国中東部のものだな。あの辺は変わった武器が多くてな、こんなのもあるぜ」
と、見せてくれた篭手には小振りな湾刀が生えていた。これ、本当に実戦で使えるのかな。常は早々に飽きるシノも珍しそうに見回している。それに気をよくしたのか出るわ出るわ色物武器の数々。趣味の店かと思ったら注文のみだが実用品も扱っているらしい。それで経営できてるんだからお抱え鍛冶屋が余程の腕なんだろう。世間話という情報収集を混ぜ込みながら武器を見ていると、衛兵が三人やってきて真面目な方の商売が始まった。それを機にお暇する。
王国の後継者育成は建国以来おおむね正しくなされたようで、極端に血を好むであるとか、色狂いであるとかいう暴君の類は出てきていない。もっとも民の口の端に上る部分から判断するに、という前置きがつくので、見えないところで鬱憤を晴らしている可能性もないではない。事実、年少の頃に気性が怪しかった王も何人かはいたようだ。が、冠をその頭上に戴く立場になる頃には王としての資質を身に備え、内外を見る目は深い思慮を窺わせた。代々の功績に大小はあるが、国の規模を大きく減じるようなこともなく、その治世は安定の一言で評されるに十分なものだった。
公王……こちらでは公爵か。彼が後継者争いで膝を屈することになったのも、内外どちらに重きを置くかという辺りが理由なのかもしれないな。現に。
「南の公爵様かい?悪く言う人もいるけど、わたしゃそうは思わないねぇ。こう言っちゃ不遜かもしれないけれど、根っこはうちの旦那と同じさ。男が、やるぞ!って身一つで大事を成し遂げたんだ。この店と南の国じゃ大きさが違うけどね、ははは」
「その割には公爵領の扱いは……」
「それそれ!気の毒なことだよ。これはあんまり大きな声じゃ言えないけどね。あの争いで公爵様を担いだ連中が噂を流してるのさ」
「ええ!?元支持者がですか?反公爵派じゃなくて?」
「まず間違いないだろうって噂だよ。連中、もっと領地がほしい、戦争したいってんで武闘派の公爵様を担いだんだけどね。敗けた公爵様が南に出陣なさる時に、剣を握ったのがどのくらい居たか知ってるかい?」
「……半分くらいですか?」
「ははは、それだけ居れば随分助かったろうねぇ……声をかけた内の二割も居なかったらしいよ」
仮にも後継者を争った王族、人望がなかったのではないはずだ。もしそうならば南進は中途で挫折してる。
「連中は今持ってるものがお宝を運んできてくれると思ってたのさ。だから剣と気概だけで歩けなかったのさ。王国から離れられなかったのさ。公爵派として冷や飯を食らう羽目になっても、南で全部なくすよりは、ってね」
「すると読みが外れて……」
「妬み、嫉み、そんなとこだろうねぇ。ついて行った方々は今じゃ南の重鎮だよ。自分の身を鏡で見て女々しい噂を流すことにしたんだろうさ」
神輿を担ぐのも楽じゃないだろうけど、担がれる方も下が足腰踏ん張ってないと大変なんだなぁ……遠目でもいいから見てみたかったかも。
「でも、公爵様を良く言っていいんですか?衛兵とかの耳に入れば……」
「王族の公爵様だよ?悪く言ったら不敬だけど、良く言う分にはお咎めなんかあるもんかい。そうじゃなければ退位の時に先代様があんな事言いやしないよ」
「ははは。そりゃそうですね」
貴様!公爵を尊敬してるだと?打ち首だ!なんて衛兵が言おうものなら僕は間違いなく噴出す。隣国で交戦経験もある国だ。公国の公王としては然るべき警戒心もあるだろうけど、それは至極当然の事だ。対外的に褒め称える事はできないだろうけど、爵位が生きている、という事はそういう事なのだろう。
この噂から一歩踏み込んでみる。公爵の誘いを断った内の何人かがこう思ったとしたら?
『次こそは俺も!』
手頃な相手を見つけたとしたら?
『東にあるじゃないか!』
先代の言葉が炙り出しだとしたら?その場の諌めがなかったとしたら?
『流石は我等が仰いだ前王!私も参陣致します!』
統治権を譲った前王が老い先を更なる安定の礎に見定めた、とか。行き着く先が予定調和だとしても国は一時荒れる。それを察した左右がすぐに諌めた、とも取れる。放って置いても、冗談じゃ、の言葉が出てくるとは限らないのだから。冷静に国を見ている者たちが、自国が荒れればどこが手を伸ばすか、予想が付かないはずがない。二度、連合と公国の実例が出ているのだから。
当時の公爵派の中には野望を捨てた者も居るだろう、冷や飯を食って体も心も冷えた者、ひたすら公爵への妬みにその身を焦がす者も。全員がカムロへと目を向けている事はない筈だ。
そう考えると王国さんの話と繋がる。隣接する大国同士、注視するなら公国だろう。噂が公爵領を火薬に変え、しかも導火線が用意されつつある。あの魔物の襲撃を放置していれば、下を向いた村人は騎士団に救援を頼むことなく全滅だったろう。現公王がその噂を耳にしても、即開戦とはならないだろうが、間違いなく心象は悪くなる。そうさせないための注視だとしたら?
「まぁ、さっきも言ったけど、公爵様は国を捨てたと陰口を叩く人も居るけどね。僅かとはいえ領民への税を軽くしてから死地に赴く御方が、そんな筈は無いとわたしゃ思うのさ」
欲に狂った悪鬼羅刹が力に任せて国を興し、未だ安定とは行かぬものの建国六十年近く、二代目の治世を迎える大国を成す等、そうそう考えられるものでもない。この噂と僕の予想が正しければ、の話だが……やっぱり僕には経験が足りないという事なんだろうな。志顕さんに会うまでに成長できるかな……。
「御立派な方だったんですね……ん?こ、こ、これは……まさか!」
「どれだい?ああ、それはうちの旦那が南東部から仕入れてきた物でね……売れない物仕入れてなに考えてんだろうねあの……ちょっとあんた!若いお嬢さんになに鼻の下伸ばしてんだい!」
この釜は……ほぼ間違いない。これで作る物を僕は知っている。知っているぞ!!これはナンを焼くあの、ほら、あれの、アレじゃないか!!!名前なんかどうでもいい!ナンを焼くっつー事は、カレーも煮込むという事だ!あるのか!まさか、カレーが!あるなら僕はターバンを巻く!シノにもサリーを着せる!異世界をインドにしてしまえ!
「な、南東部、の、なんと言う街ですか?」
「何だっけ、あんた!これ仕入れたのはどこだい?」
「おー痛ぇ。ったく、ちょっと目の保養したらこれだ……確か、ニンティヒっつったかな」
「ニンティヒ!ありがとうございます!これも買います!ありがとうございます!お話楽しかったです!ありがとうございます!」
「お、おう……どっちが客かわかりゃしねぇな」
うおお、今日一番の情報をゲットしたぞ!