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王国と公国、その社会にさしたる違いはない。王国の王族から枝分かれした公爵が建てた国は、周辺の文化を吸収しながら社会を形成する暇はなく、育った社会を手本としてその基とした。建国六十年を数えて少しづつ差はできてはいるが、僕の印象を正しいとするならば、その差は影が濃いように感じる。もちろん個人の、それも住人ですらない旅の身の印象などで国の優劣など決まるものではないし、そもそも人の集合体である国に優劣をつけるのはナンセンスだとは解っている。
長い時間をかけて多様な周辺文化を取り込みながら大国になった王国、外敵に抗するためにお互いを尊重しながら和した連合、怒涛の勢いで国を興し人も世も在り方を模索する公国。幾世代重ねたとしてもどれが正解かなんて答えは出ない。人の集合体とはいえ、人生の間際に笑えるか否かで答えの出る個人とは違うのだから。
でも、とベッドから起き上がり窓を開けながら僕は思う。とある南の村が騎士団の活躍で魔物の襲撃から守られたという話。数年前に奴隷から年季が明けて店を開いたという近所の食事処。公国に比べて明るい話が多い国。
「まぁ、公国での伝手が血蝶だったからかもしれないけど」
「なぁに?王国での伝手を探すの?」
「んー、探すも何も取っ掛かりがないからなぁ……シノの方の伝手は東だったっけ?」
「そうだけど、まだ立場があるかどうかってところね。もしも変化がないのなら」
「頼った瞬間に情報が筒抜けになる可能性もある?」
「ええ」
「東に到達すれば後はどうとでもなるしね。王国さんの所で物資の補給やらなにやらはできるし、無理に探さなくてもいいか」
「下手に繋がりがあると偏った情報しか入ってこないかもしれないし、いいんじゃないかしら?」
王国では出来る限りカムロに関する情報を仕入れながら進むつもりだ。出発の時の連合での情報、公国さんの所での情報、状況を見極めるだけの確たる筋道の通った情報がないのだ。あくまでも独立を維持するという立場の藤守家が襲われ、大国に抗するなど不可能だという従属派が半数を越す南カムロが騒がしい。だがそもそも派閥形成の元になったはずの王国からの圧力を伝える使者の往来が数えるほどだという。魔族の皆さんとの接触で各国が造船、航海の分野に力を入れているというのは解るが、王国とカムロを隔てる海だって遠目にうっすら陸地が見える程度。シノが乗ってきた船にしても、筏よりはマシだが前生での釣り船に毛が生えた程度のものだ。王国がそんな程度のものを求めてカムロに圧力をかけるなんて話は到底信じられなかった。
「消えっぱなしで志顕殿に会いに行くのは避けたいしな」
「大変ねー。頑張って!」
「他人事みたいに……シノの兄上なんだからね?」
「私が口出すとまず纏まらないわよ?」
「難儀な人だよ……」
肩が落ちる僕を見てシノが笑う。悩まない程度には僕を信頼してるんだと教えてくれている。それが僕の助けになっていた。シノだけじゃない。窓を開けて庭を見たんだろう隣室からの歓声も、ドアを開ける音に続いて響くこちらに向かう足音も、僕の心を軽くしてくれる。
「シュウー!庭がー、真っ白ー!!」
「そう言えばリュワは雪、初めてだったね」
「雪って言うんですの?白い塊なんですの?」
「ニムも初めてなのねー。あれはね……」
と、シノの授業が始まり、ふんふんと頷き、時には質問を挟みながら日々知識を蓄えていく二人を横目に、僕もまずは楽しむことに決めた。雪国育ちではない僕も膝まで埋まりそうな積雪は初めての体験だし、前生では奇跡的に積もったとしても所々茶色い雪だるまがせいぜいだった。質問の種類が何でどうしてという方向に変わり、困り顔が多くなってきたシノを見て、軒下から伸びた氷柱を折り、美人教師の首筋に当てる。
「ひゃっ!」
「シノ、代わるよ」
悪戯に頬を膨らませたシノに暖かいものを頼み、質問に答えた後で全員で庭で遊んだ。悪戯の仕返しに雪球が弾幕のごとく僕に襲い掛かってきた。雪だるまを作り、雪ウサギに和み、カマクラを作ったところで近所の子供達が寄ってきた。雪の小屋に目を丸くしているのを見て、こっちになかったかと少し苦笑する。
リュワもニムもあっという間に輪に解け込んで、外で遊び続ける子供達を心配した宿の女将さんからお小言をもらうまで力一杯遊んだようだ。
「えー、リュワもニムも行っちゃうのかよー」
「明日もー、遊べるよー。今日はー、買い物に行くんだー」
あそこに格好良い武器売ってるぜ、とかお洋服屋さんはあそこにあるよ、とかお子様ネットワークから情報を仕入れた僕達は、お礼の言葉と一緒に飴玉をいくつか渡して出かけた。カムロの情報はなかったけど、周辺の魔物の話も聞けたし、リュワとニムに明日の笑顔の約束もしてくれた。カムロから遠いここでは情報は見込めないけど、少し滞在を延ばしても良いか、と楽しそうな二人を見ながら思った。
数日後、宿の庭には近隣住民の輪が出来ていた。もっと大きい雪だるまを作りたい、との北国お子様団からの要望にあまり大きいと綺麗に出来ないんだ、という話のついでに雪像の話をしたところ、食いつかれた僕が一晩かけて固めた雪の塊を、子供達が削って作ったお城が見事な出来栄えだったからだ。もこもこに着膨れした子供達がニコニコと周囲の質問に答えているが、最後は僕に来るんだろうな。
「子供達に良くしていただいているそうで、ありがとうございます」
お子様団の母親だろう、目鼻立ちのくっきりした微妙な年齢のお……姉さんがにこやかに挨拶をしてきた。
「いえ、こちらも二人と仲良くしてもらってますし、僕にもあれこれと街の事を教えてもらって、お礼には足りないくらいですよ」
「でも……本当にうちの子がこれを?俄かには信じられませんわ」
腰程の高さに聳え立つ、多少歪な尖塔を見ながらお母さん達が口々にそう言う。
「子供だと馬鹿にしたものでもありませんよ?我々と違って想像力の行き着く先が見えないのは羨ましい限りです」
大人に褒められて、どこか誇らしげな子供達の顔を見たお父さん方からは作成についての質問が出る。主にシノに向かって。それを見たお母さん方は眉が寄っている。僕知ーらない。
その夜は最初に声をかけてきたおば……お姉さんの家に招かれた。素朴だが温かい夕食をご馳走になり、返礼にとニムのマストフとリュワの口笛で数曲だけだが演奏会となった。僕は膝ドラムでリズムセクションを担当。あまりテンポの速い曲だと奥様の闘争心を煽ってしまうかも知れなかったので、落ち着いた穏やかな曲が流れ、厳しい寒さから家庭を守る厚い壁の内側に響く。部屋を暖める火の揺らぎと同調するような優しい調は、子供達の瞼を閉じさせてパーティは解散となった。
「良いな」
帰り道でポツリとシノが言う。
「僕達だってできるよ」
やんちゃな兄弟をベッドに運ぶ夫婦を思い浮かべながらそう答える。途中からはザックの家族の光景も混じっていた。僕も幼い頃を覚えていれば、あの浮遊感で思い出せたんだろうか。いや、それ以前に馬鹿な真似はしなかったのかな。
「まずは兄上からね。頑張ろうね」
「ああ、頑張ろう」
肩は落ちない。代わりに顔が上がる。
飛んだ僕を、ここに、シノに着地させてくれた存在達には感謝しかない。志顕さんにも感謝するんだ、と我を通す決意を新たに子供たちが作った小さな城へと向かう僕の体を、雪靴が沈まないように支えてくれていた。




