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往く河の流れは  作者: 数日~数ヶ月寝太郎
六章 成り立ちと思惑
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「まだ公国ー?」


「海の上だから僕もはっきりは判らないよ?」


「えー、だってー、あっちが公国でー、こっちが王国ー。どこがー、境目ー?」


 僕が聞きたい。でもまぁ覚えがある。ドライブの最中に、今県境を超えたわよ、と言う母の言葉に、幼い僕は何処からあっちで何処からがこっちなのだろう、と思いながらも越える瞬間に心構えをしておきたかったとも思ったものだ。地図にペンで線を引いたところで、線に幅がある以上、そのうちの何処が境目なのか僕にはわからない。真中で良いじゃねぇか、とさらに細いペンで引いたとしてもその線にだって幅はある。三kmの幅の海峡だって何も変わらない。はっきりさせなければいけない国境ですらそうなのだ。


「人の世って、曖昧なんだな」


「また変な方に考え飛んでるでしょ」


 ポツリと海に呟いた僕に、可笑しそうにシノが笑って答える。たしかにそうだな。心構えをしていたところで、見えない線を跨いだ実感なんて感じられる筈が無いのだから。

 リュワとニムは横に張り出した横木の上で暗い海中を覗いている。潜らなくても存在が感じられる二人なら魚も見えるかもしれないな。声を潜めてこそこそ話をしている二人が、わー、ときゃー、の中間みたいな声を上げる。リースとルガーがびくっと反応して、僕とシノも何事かと顔を向けると、僕の白刃と同じ位の大きさの魚の尾を掴んだリュワが得意満面で喜んでいた。


「シュウー!お魚のー、魔物ー!」


「うっわ、大物だ。取り合えず暴れないように固めて!」


「わかったー!」


 ビチビチと身を捩っていた魔物が大人しくなる。ててっと駆け寄って来たリュワが獲物を下に置き、ニムが屈んで突いている。


「ニム、そいつの顎に触らないようにね。下手に触ると怪我するよ」


「はいですの」


 取り合えず鰓から黒刃を入れて止めを刺す。リュワに魔法を解いてもらっても動き出さない魔物を前にレクチャーを始めた。


「これは槍角魚だね。頭の角は色んな形の種類が居るらしいよ。連合じゃ集めている人も居るって。大抵は獲物に突き刺す形だけど、これは珍しく切る形だね」


 上顎と下顎に上下に伸びる鎌のような形の角がある。エッジは鮫の歯の様な細かい鋸刃状になっているようだ。大きい物では体長が一m程まで成長する。船のように大きい物は襲わない魔物だけど、横に張り出した樽を獲物と勘違いしたかな?上の角が三十cm程の長さなのを見てふと思いついた。


「リュワが釣った、というか獲った魚……魔物だし、これでリュワの武器作ろうか」


 今までは刀を出せない場面では僕の鉈を使っていたけど、よくよく考えれば何で今まで作らなかったんだろ。魔物だから素材強度は十分だし、短剣には丁度良い長さだろう。加工で金鋸を何本かダメにするだろうけど、その程度はエアの報酬の前には雀どころか蚤の涙だ。


「わー!やったー!!」


 白刃を出して大きめの桶に板を渡す。その上に魔物を横たえて頭を落とした。血は桶へ。海に流してより大型の魔物が寄って来ても困るし、向こうに着くまでは捨てられないな。

 連合さんから受け取った魔物素材加工の魔道具を、所定の手順で操作して無害な物へと変えた。

 連合さんは、処置をしない場合の弊害についても詳しく教えてくれた。なんでも魔物の体組織はある魔力を帯びているそうだ。力としては弱いその『結びつく』魔力は、一定以上の大きさの体組織を長時間身につけている生き物と融合しようと働き、微細な細胞を伸ばす。それに侵食された生き物は攻撃性が強くなり、幻覚を見るようになる。放っておくと、誰彼構わず刃物を振り回す危険人物の一丁挙がりだ。魔物として対処するしかない存在へと変容する。細かい肉片や血などは、魔力が収斂せずに散じてしまうから、狩りの返り血程度では問題無いとの事だった。


「逆反りだけど白刃よりは反りが強いな。ショテル程きつくは無いけど。峰を削って鋼の縁取りから柄を作ればいいかな……こんな感じだけど、どう?」


 ぱぱっと紙に絵を描いてリュワに見せるが、返事は顔を見ればわかった。紙と僕を交互に見ながらこくこくと頷くその顔は玩具をもらう子供の顔だ。刃物だけど。その紙を角に当ててすっと滑らせると綺麗に切れる。引っかかりも無く剃刀のごとき切れ味に、触らなくて良かったですの、とニムが漏らした。

 そうするうちに時は経ち、公国の海岸に残した位置観測用の魔道具の反応もはるか背後だ。二つ置いてあるから海岸と平行に走っているという可能性も無い。そろそろの筈だけど、と思っていると波の音が変わる。遠く磯場にぶつかるような音が混ざり始めた。


「リュワ、人気の無い砂浜って感知できるかな?」


「シュウ様、東にありますの。波の音が静かですからおそらく砂浜ですの」


「ありがとうニム。もう少し陸に近付いてから東に向きを変えようか」


 おそらく魔法で聴覚を強化したか、音を拾ったかしたニムが教えてくれた。自分の音だけ聞いてちゃダメだ、人と合わせるなら色んな音を聞き分けねぇとな、とトレドさんから助言を貰ったニムは、それから音に敏感になった。

 ニムの誘導で筏が行き先を変える。目立った人工建造物も人の気配も周囲には無いようだ。オールの代わりに魔力を繰って、暗闇の中に白い砂浜がぼんやり近付いて来たところでロープを握って海へと入った。王国の砂を足が捉え、ロープを引く僕を支える。筏の先端が砂に乗り、シノがリースとルガーを引いて、すぐ後にリュワとニムが続いて上陸を果たした。


「ここはー、王国ー?」


 海の向こうに魔道具を確認してからリュワに答える。


「そうだよ。ここはもう王国だ。海の上は楽しかった?」


「楽しかったー!」


 次の船旅はカムロだね、とリュワの頭を撫でて、僕は周囲の確認に向かう。皆にはリースとルガーの世話を頼んでおいた。少し疲れているようだ。船酔いしたか、それとも揺れる水の上で緊張していたのかな。

 潜伏できそうな森は無い。まばらに木は生えているから、あの辺りで夜明けまでに筏を細切れにして埋めるか。砂浜も均して上陸跡を消しておこう。僕達が原因で小競り合いが起こったら後味悪いし。位置的にはハインツ公爵領の西の外れか。公国との繋がりを疑われる事を恐れて領民が流出、過疎化しているらしいから、一旦西に離れよう。確か三日程で街があったな……


 日が昇り、僕達は調子が戻った二頭の背に乗り北に向かう。何はともあれ街道だ……って、こっちに来た初日がなんだか懐かしいな。今回は水も食料も心配ないし、羽織った外套の内にはニムが居る。状況が全然違うから、サバイバルどころか家族旅行の雰囲気だ。


「シュウ様、新しい曲も聞いてみたいですの」


 いつもの曲を隣の馬のリュワと口笛を合わせて吹いていた僕にニムがねだってきた。それが嬉しくて記憶を掘り返す。と、ちょっと悪戯心がうずいた。


「少し難しいかもしれない曲だけどいいかな?」


「はいですの」


 アップテンポの曲調が僕の口から漏れ出す。聞いた事のない曲だからニムが嬉しそうに拍子をとって身体を揺らし始めるが、すぐに違和感に気がついたようだ。吹き終わって横を見ると、リュワもなんだか狐につままれたような顔をしている。


「何か変ですの」


「変拍子って言うんだよ」


 爽やかに笑って答えるが、僕も途中で訳がわからなくなりそうでした。手を叩いて数を数えながら聞いててごらん、四つまでね、と言って、いつもの曲を数小節吹いてみる。きっちり四つの繰り返しで区切りがつく。次はさっきの曲だ。同じく数小節吹いたところで止めると、数が数えられなくなっていた。


「いくつで終わったかな?」


「途中で訳がわからなくなりましたの……」


 フレーズの最後で四、頭に戻って一、と数える筈がそうではなかったために、こんがらがったようだ。不思議そうな二人の顔が可愛い。あの時の父さんも僕と同じように感じてくれたのかな……

 当然、どうして何でと質問が来るけど、僕だってこれ以上の事は知らない。楽譜も読めない僕が理論なんぞ知るわけない。トレドさんのくれた本を見てみたら載ってるんじゃないかな、と答えるとニムは自分の鞄から取り出して熱心に読み始めた。邪魔しちゃ悪いかな、と静かにしていたら再びねだられた。目的の項目を見つけたらしく、ページを捲る手は止まったが、その頃にはもう違和感無く体を揺らしているのを見て、可笑しくなった。そうそう、曲として受け入れると自然なんだよ。むしろ一回目で違和感に気付けたリュワとニムが凄い。

 リュワも一緒に読みたそうにしていたので、一旦止まって僕とシノがルガーに乗り、後ろにリュワとニムを乗せたリースを繋いで縦列で進む。並んで横座りし、言葉を交わしてフレーズをハミングし、拍子を取りながら音楽理論のお勉強をする子供達の様子に頬が緩む。僕が手綱を取り、さっきまでのニムの位置に納まったシノも御機嫌だ。暫くいちゃついてなかったからかな?


「さっきの曲、私も不思議だったわ。すんなり耳に入ってきてたのに、拍子を取るとああなるなんて」


 僕にもたれかかったシノが感心したようにそう言う。僕もあの日のドライブは窓の外なんて見ていなかったもんな。もっとも僕は、不思議だな、で終わってしまったけど。あの時の心境を今の僕が表現するとこうなるんだろう。


「人間ってね、曖昧なんだよ」



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