弱者の恫喝、まかり通るか
ギリシャ国民が財政緊縮政策に反対をつきつけ、EU全体がまたも会議を重ねるという展開を披露してくれました。どう決着をつけるのか、楽しみになってくるほどです。
ある意味で、今回の原因は生き過ぎた人道主義からくる決断出来ない政治、が問題のようにも見える。
ヨーロッパは古くから、自国の信じる原理・原則をもって発展させ、他国との衝突は覚悟の上でした。それにより、数多の血を流し、ヨーロッパ態勢を維持させていた。
そして、血を流すことを拒否した欧州連合が今の姿となる。
極端な話、ギリシャをヨーロッパから切り離せと言っている白人の方が、よっぽど正当な白人になる。
あるいは、
ギリシャに制裁(経済及び軍事)を与えるべし
という意見は、過激ながらも純然たるヨーロッパ文明の原理原則を見ました。
ただ、現代においては、上記の意見は受け入れられないでしょう。
それをやると、ファシズムだとか非難されます。
特に、ドイツでは、経済制裁だろうと、他国に制裁を与えれば、
「ナチスドイツ再び」
と言われる。
EUの経済状況は、ナチスドイツ台頭に似ていると指摘されたこともあり、ドイツが下す何らかの大きな決断には代償が必要となっています。
ドラッカー(マネジメントの著者)だったと思いますが、
「自助を可能にする環境づくり」
と言って、自律した組織の重要性を説かれました。
※記憶違いの可能性が高いので、詳しい方はご指摘お願いします
EU型の全体主義は、結局のところ互いの足を引っ張り合うものでしかなかった。
ナチズムの台頭を防ぎ、監視しつつ、アメリカやロシアと渡り合う組織という側面が、裏目に出ています。
EU下で成功したドイツが非難されるのは、EUのこうした事情にもよるのでしょう。
私はヨーロッパ実情には詳しくありません。そこまで嫌うなら、そもそもドイツを加盟させなければいいじゃないか、と思うほどです。
加えて、クリミアやウクライナの問題によって、
「EUには戦略兵器の脅しが極めて有効」
と、ロシア側に教えました。
こうなると、EUの強みが何なのか分からなくなってきます。
雑談なので、話を広げると、社会福祉のような弱者救済を過度にやると、
「弱者の恫喝」
が、問題となってくる。
「弱い奴は助けられて当然なんだ」 ということを、声高に叫ぶわけです。
福沢諭吉やプロテスタンティズムの自助論からすれば、とても信じがたいことでしょう。
自分を救うには、自分が努力するしかない。
国がやるべきことは、弱者救済よりも、知識労働者の育成を重視していく方が健全である。
国家が堂々と、
「弱者を救済しないと、お前らが困るんだぞ」
そう脅しをかける。
今回の問題はギリシャのみならず、ヨーロッパ全体が、交易を結ぶに相応しい相手かどうかを見ていくショーになっている。
戦後70年の時に、だいたい以下のようになったと思います。
・アメリカ
グローバリズムの頽廃・停滞。
キング牧師の時には「I」だったものが、時を経て「We」になったというのに。
・ヨーロッパ
コスモポリタニズムの欠陥。
経済危機は、金の切れ目が縁の切れ目になるのか。
経済危機を回避するには、ある程度の段階で重農主義に転換するしかないのか。
自給率さえ高ければ、死ぬことは無いし、配給というものを産業に出来る可能性もある。
エネルギー資源も、場合によっては原始レベルに落とすことで対処できないだろうか。
例えば、電気を人力発電にする。その労働を産業化させて一時期はしのぐ。
文明レベルを自分たちで選択する社会。
そういうものになるけど、こういうのって魅力的なんだろうか。
環境問題のクリアが、ひとまずの合格ラインとして。