2 angel's capacity (2)
もういい加減に夜も更けて深夜に差し掛かる時間帯だったけれど、僕は眠る気にはなれなかった。
人並み外れた視力とか聴覚とか(あと嗅覚とか味覚とか?)なら理解の範囲内だけれど、自分以外の人間の心を読む能力が有るなんていう話は、ちょっと信じられない。論理が飛躍している。ましてや目の前にいる女の子がそんな能力を持っているなんて話は、ちょっと鵜呑みはできなかった。
「測定が容易な身体的特徴だけを取ってみても、あらゆる要素において平均値の範囲内に収まる人間は存在しない。それは解る?」
「統計の問題だな。言われてみれば、まぁ何にしろ個人差は有るだろう。」
「各個人の能力に関しても同じ。五感や、例えば洞察力のような。」
「洞察力?」
「ある一定の能力的な範囲を平均的な『人間の能力』として定めることは可能よ。けれど、その範囲を超える能力の一つや二つは、誰でも持っていておかしくないものなの。そして、平均的範囲から並外れて顕著に高い能力を有する人間のことを、超能力者と呼ぶ。」
「その話は、なんとか解る。けど、だからって他人の思考を読むなんてことは」
ちょっと突飛すぎやしないだろうか?
「さほど突飛ではないのよ。人は五感を始めとした体性感覚の感覚神経系で周囲の情報を受容し、その情報と過去の経験を基にして脳神経系で複雑な処理を行って、状況を読み取る。観察からの推理や、洞察と呼ばれるものよ。」
「ああ。それはそうだな。」
「その観察力や推理力、もしくは洞察力が平均的な人間からは掛け離れた人がいたとしたら?」
「それは『頭のいい人間』とか『勘のいい人間』とか呼ばれるだろう」
僕だって、そういう種類の人間は何人か知っている。
「……私に日本語を教えてくれた先生は園部先生というのだけれど、彼女によれば、勘というのは優れた洞察力と同義だそうよ。『勘がいい』と評価される当人の言動は、状況観察結果による推理に基づくものなの。その推理過程が複雑すぎて言語化が困難なために、説明が不可能だったり本人にも無自覚だったりして、周囲の人々からは不可思議な能力の持ち主と認識される。」
「……世の中にはそう思っている奴と思ってない奴がいるだろうけど、僕には納得できる考え方だ。それで?」
「私の場合、誰かを観察した結果として、相手の思考内容を自分の脳内で言語的に再構築する能力に長けているの。つまり、私が一般平均を大きく上回っているのは観察力、推理力、洞察力に加えて、言語化能力。その精度が著しく高いため、現象としては『他人の思考を読んでいる』という状態に近い。だから、一言で説明するとすれば、そう言わざるをえなくなる。」
「君はあくまで相手の言動から思考を推測しているだけだということだな」
「ええ。速度と精度が高すぎるために超能力と呼ばれているけれど、過程を説明すればそういうことになるわ。」
「じゃあ僕が今、何を考えているのか、君には解るのか?」
ヒュキアは僕の目を見つめて、ゆっくりと唇を開いた。
「『人間一人の思考は複雑すぎるから他人が再言語化して認識するなんて不可能なはずだ』という確信と、『もし私の言っていることが本当ならプライバシーという概念が破綻する』という危惧。『言動から思考を読み取られるのだとすれば、読み取られたくない場合には自分は指一本動かすことができないのではないか』という恐れ。そんなところかしら。確かに貴方の考えた通り、貴方の思考は複雑すぎて、それ以上の言語化は困難よ。それに、私には貴方の思考の全てが解るというわけではない。たまに貴方が単純な思考を有した際にその内容が私に伝達されてしまう時が有る、と言ったほうが近いわ。」
正直に云って、僕はほっとした。仮にヒュキアの言っていることが事実なのだとしても、知られたくないことは、なるべく考えなければいいというだけのことなのだ。それなら今までの生活でしてきたことと大差無い。
「通常ならこういう局面では『信じてもらえたかしら』とでも言うべきなのでしょうけれど、私には貴方が私の言葉を信じるか信じないかは問題ではないの。信じようと信じまいと、これは単なる現実なのだから。」
「なんていうか、お前の言っていることが本当だとすると、まるで手品の種明かしみたいだな。」
「超能力という言葉に対する貴方の幻想を壊してしまったとしたら、私は謝罪すべきなのかしら」
「いや。謝罪はいらない。」
別に元から超能力や超能力者に対して夢や希望や憧れを抱いていたわけでもないしな。
僕は椅子から立ち上がった。
「何か飲むか?」
そんなに次から次へと喋っていたら、喉が渇くだろう。
「と言ってもコーヒーくらいしか無いけど。」
「知ってるわ。」
うげ。そんなことまで分かるのか。
「ミルクの類は無いんだ。ブラックでいい?」
イメージ的にはヒュキアは『コーヒーはブラック無糖』派っぽい。
「……ごめんなさい。実はブラックコーヒーは苦手なの。でも、砂糖を入れてくれたら飲めると思うわ。」
そう口にした彼女は、気のせいか少々はにかんでいる様子に見えた。




