8 angel's first awareness (1)
目を覚ましてベッドから起き上がり、朝食を作る。食パンとシュレッドチーズ(チーズをシュレッダーにかけたような形状の、溶けるタイプのチーズ)を買ってあったので、食パンの上にばらばらとチーズを載せ、蜂蜜を掛けてオーブントースターでトーストした。ハニーチーズトーストだ。
コーヒーを淹れていると、部屋のドアが外から開かれた。ヒュキアだ。彼女には僕の部屋の合い鍵を渡してあるから(そう何度も窓ガラスを破壊されては困るからだ)、時々こうやって不意に闖入してくることが有る。
「おはよう。朝ご飯、食べる?」
僕が言うと、ヒュキアはこくりと頷いた。僕はもう一人分のハニーチーズトーストを作り始める。ヒュキアが訪ねてくるようになってから、僕の部屋のキッチンには食材が若干ならず豊富になった。一人だと、どうしても食事が手抜きになるのだけれど。
今日は休日で、午前中から雛胤丹膳の事務所に行くことになっていた。
スピーゲルマン博士たちは、ヒュキアを連れ戻すことはしない方針に決めたらしかった。全てが元々はヒュキアのためだったというのなら、非人道的な人体実験も行われなくなるのだろう。多分。
「結局、私にはコーデリアを救い出すことができなかった。」
ヒュキアはトーストを食べ終えてから呟いた。
「そんなことは無い。君の努力が無かったら、本当に何も変わらなかっただろう。今は、彼女が彼女なりの幸せを見つけてくれることを祈るしかない。」
「そうね。彼女にとっては外の世界は辛すぎるようだったから。」
ヒュキアは遠くを見る目をした。
「君は、研究所の外に出ても辛くはないの?」
「私は物心ついた時からこうだったから。確かに外に出てすぐの頃は大変だったけれど、もう慣れたわ。」
「その……研究所に戻りたいとは思わない?」
「思わないわ。」
彼女はきっぱりと答えた。
「あそこには私の居場所は無い。有ったとしても、その居場所を維持するために他の人たちの犠牲を必要とするのでは意味が無い。私は私の力で生きなければならない。」
「無理はするなよ。君と違って僕には君の思考は読めないんだから、辛かったら言ってくれなくちゃ、分からない。」
「そうね。……差し当たっては……やっぱりミルクか紅茶を用意しておいてくれると嬉しいのだけれど。」
ヒュキアは砂糖入りのブラックコーヒーに視線を送った。
「君は僕の部屋に住むつもりなのか。」
隣なんだから、部屋に行って取って来ればいいだろう。
「私の部屋には飲料はミネラルウォーターしか無いの。」
「自分で好きなものを買えばいい。」
「そう……そうね。」
彼女はどうも、自分で物を買うという発想に至るのは難しいらしかった。無理も無いけれど。
まぁ、ゆっくり慣れていけばいい。時間はたっぷり有るのだから。