6 angel's vision (6)
コンクリートの壁に両手を突いて咳き込むと、きいんと鉄筋に咳の音が反響して耳に残った。少しナーバスになっているのを自覚する。
ギドニスがフェンスの柱を振り下ろすのと同時に地面のひび割れの中に身を隠し、運良くそのまま球場の地下通路に転がり込むことができた。
頭上でラゾ・ギドニスが昏倒するのが感知できた。麻酔銃か何かで眠らされたのだろう。しばらくは目を覚まさないはずだし、目を覚ましたとしても既に両脚を負傷している。自分は次の標的に移るべきだ。
今なら周囲からの干渉を最小限にして久留間崎と対戦できる好機だ。
ヒュキアは隙を狙ってギドニスからスピーゲルマン博士の現在地を読み取ろうとしていたのだが、ギドニスは薬で鎮静されている間のことは曖昧にしか憶えていないらしく、感知するのは困難だった。
ヒュキアは左肩を押さえて止血を試みながら、地下通路を歩く。落下時の衝撃でナイフは抜けていた。
久留間崎の現在地を確認し、そちらに向かうために階段を上る。左手からは点々と血液が滴った。階段の出口を抜けた先にはベンチが並んでいて、その向こうに荒廃したフィールドが広がっていた。コンクリートの塊が、あちこちに突出している。その一つの傍らに久留間崎が立っていた。ヒュキアを視認して驚いている。携帯電話を耳元に持ち上げて、ヒュキアが現れたことを報告し、通話を切った。通話先の音声の情報までは感知できない。超能力を有していない久留間崎はヒュキアが倒されたと判断してギドニスを狙撃させたらしい。
待機している狙撃手は、球場内に三人、球場外に二人。それらに注意を払いつつ戦闘に入っても、相手が久留間崎なら勝てるだろう。
ヒュキアは銛を担ぐように構えて駆け出した。
その足元に、銃弾が撃ち込まれる。
弾丸の刺さり方から距離と方向を素早く逆算する。それはヒュキアの予想だにしていなかった位置からの攻撃だった。
「コーデリア⁉」
ヒュキアの感知範囲を逃れられる距離からの狙撃を可能とする者は、知る限りでは一人しか居ない。視覚、聴覚、触覚などを経由して遠距離から相手の思考までをも視覚的に読み取る超能力者、コーデリア・セオハウス。
ギドニスと久留間崎がこの場に居るということは、スピーゲルマン博士の直近で護衛に就いているのは園部とコーデリアのいずれか(または両方)ということになる。園部鵺は実戦力には含まれないと見なせば、コーデリアはスピーゲルマン博士の近くからヒュキアを狙撃したと考えられる。
すぐにその地点に向かえば、博士の居場所が判るかもしれない。
スタジアムの出口に向かおうとするヒュキアの鼻先を、ナイフが掠め飛んだ。
「逃がすものか。」
久留間崎はヒュキアを足止めするつもりのようだった。
構っている暇は無い。なるべく早くコーデリアをヒュキアの感知範囲内に入れなければ、取り逃してしまう。
ヒュキアは久留間崎に追われる形で野球スタジアムを縦断した。周囲からの射撃を跳躍して躱し、銛の金属部分で弾き、コンクリート片を盾にして避けながら。背後からは久留間崎が狙いを定めているため、いつでもナイフを弾き返せるように注意を続ける。
球場を出て、人の多い方角へ向かった。相手もまさか、人混みでヒュキアを銃弾やナイフの標的にはしないだろう。
銛を手にして走るヒュキアを物珍しげに眺める視線を気にせず、走り続ける。コーデリアのものと思しき銃弾の発射地点に向かって。同時にその方向への探知を繰り返す。
感知できた。
コーデリアの気配がヒュキアの感知圏内に入った。移動している。ヒュキアの接近を察知したのだろう。
携帯電話に着信。通話に出る余裕は無い。今はコーデリアを追わなければ。
否。園部鵺の現在地が知覚できた。
そして、ジョン・ジークムント・スピーゲルマンその人の気配も。
コーデリアが二人の方向に向かって移動しているのだった。このまま追いつけば直接、対峙することになる。
自分は戦えるのだろうか。コーデリアと。園部と。
自分は殺せるのだろうか。スピーゲルマン博士を。




